Chapter.27 『クレッセリア財閥本社ビル 受付嬢 フレイラ・アントワイズの場合』

 ノリでいい加減なことを言うんじゃなかった。

 自覚なら嫌ってほどある。その場のテンションというのは本当に厄介で、肝心なときに余計な見栄を張るから、折角せっかくのチャンスをふいにしてしまうことになる。例えば、合コンにしたってそう。フレイラが「この男どもは間違いなく落ちた﹅﹅﹅」と確信した瞬間、彼らは逆に途轍とてつもない溝を感じている、というのもよくあるパターンだ。まあ所詮は社会の歯車に過ぎない社畜ども、あんな薄っぺらい連中に女の本当の魅力が理解できるわけが――。

 なんて。

 そんな愚痴を、まさか爆弾に向かって呟く羽目になるとは思わなかった。


 いや大丈夫きっと止まる、と、根拠はないけどそう思った。こういうのは結局なんだかんだで助かるもので、だからこの時限装置はいい加減止まるべきだと、そう念じるうちにもう三分が過ぎた。なのにまったく止まる気配がないどころか、平気で残り五分を切るこの爆弾はまったく女心をわかってないと思った。あるいは照れ屋さんなのだろうか、いやきっとそうに違いないからとりあえず「こいつぅ」と指でつついてみたりした。反応はない。当然だ、だってこれは爆弾なのだから。

 このまま放っておけば爆発するし、そうなればまずフレイラは死ぬ。長い人生そりゃ死ぬことくらいあるだろうけれど、問題は生き返るアテがまったくないことだ。一度死んだらずっと死にっぱなし、それが世間の常識というものであって、そうなればもう合コンに参加したりそこで素敵な王子様をゲットしたりましてやその彼と紆余曲折を経て奇跡のゴールイン、晴れ渡る青い空に響き渡る鐘の音、海の見える丘の白い一軒家そのベランダには彼お手製のブランコ、そこに腰掛ける愛の結晶はふたりくらいがいいななーんて気が早すぎるかしらキャー素敵、だとか、そういう皮算用をしている余裕すらなくなる。

 女の人生とはとどのつまり、命あっての物種だ。冷たくなってもう動かない女を嫁に迎える男はいない。仮にいたところでそんな物好き、よほどのお金持ちか美形かその両方でないと釣り合いが取れない。いや金と顔くらいじゃまだ足りない、私ひとすじで浮気しなくて性格が良くて優しくてあと時間にうるさくない人がいい。あと四分、とかそういう人とはとてもやっていける気がしない。あと三分五十八秒。

 ――さすがにもう、現実を直視せざるを得ない。

 とりあえず、白馬の王子様は現れないらしい。そして爆弾は自分勝手で、女の都合なんかまったくお構いなしだ。だったら自分でどうにかするしかない、と、フレイラは爆弾に向き直る。脳裏をよぎったのは、前に映画で見た爆弾解体のシーン。あのとき心底怯えている風を装って、隣の彼の手を握ったその指が、いまは本物の爆弾を掴む。赤か青か、という映画のクライマックスと違って、フレイラを迎えたのは色とりどりのコード。あら綺麗、というより一体どれを切れというのか、フレイラはコードを順に手繰り、そして考える。

 赤は人事局のベイリーに送った花の色。青は営業局三課のハイネンにあげた写真立てだ。黄色は警備局のツォイのために編んだマフラーの色だし、茶色といえば同じ総務局のカロードに作ってあげたお弁当を思い出す。ピンクは技術局開発室のジョレイの机に忍ばせたバースデーカードで、緑は取引先の営業担当だったマーカソンと一緒につけた交換日記だ。

 巡る思い出は限りなく、そしてその全てが絶対に忘れるものかと誓った過去だった。返品だかクーリングオフだか知らないけれど、結局その全ては炎の向こうへと消える羽目になった。最後に燃え残ったのは、女の一途なこの思い――奴ら絶対に許さん、と力任せに全て引き千切ちぎろうとした、まさにその瞬間。

 ――暴風雨の騒音は、ロビーの喧噪とよく似ている。

 そう思ったのは、聞き慣れた〝その音〟のせいだった。この騒音の中でもはっきり耳に届く、受付の電話とまったく同じ、その呼び出し音。

 残り三分二十秒。せっかちな彼を小脇に抱えて、屋上の端の非常電話まで走る。こんなところの番号を知っている人間は――なんて、いちいちそんな予想をしたわけじゃない。ただなんとなく、予感だけがあった。

 こんな時にかけてくるのは、いつもの長電話の相手以外にない。

 ――まだ残業してたわけ、なんて。そう伝えた相手は、思った通り。

「フレイラ先輩! 急ですみません、時間がないので、簡潔に言います!」

 時間がないのはこっちも同じ、と、そう答える暇も与えてくれない。エイミーの言葉は、とにかく現実味に欠けていた。

 まさか国際警察機構エスポールの特殊部隊だなんて、まったく――。


 やっぱりこの子はいつだって、おかしなものを拾ってくる。


 嵐の闇夜に、ライトの灯るその場所。ヘリパッドまでは、少しばかり距離がある。

「なんとなくわかったわ。要は、ヘリパッドを使えなくすればいいのね?」

 そうですお願いします、と必死なエイミーの悲鳴。手動開閉装置の操作方法は、というその言葉を、フレイラは遮る。

「いいわ、そんなの聞いてたら間に合わないわよ。ただその代わり、ちょっと派手になるかもね。下手したらこのビル崩れるかもしれないから、エイミー。あんたは、あと三分以内にそこから逃げなさい」

 無理です、と答えかけて、すぐに「何する気ですか」と言い直すその声。説明している暇はなかった。このせっかちな爆弾は、女の長電話はお気に召さないらしい。あと、三分。

「あんた、死んだりケガしたりしてる場合じゃないでしょ。悔しいけどあんたには、待ってる彼がいるんだから。まあ私にもね、いるっていうかアレよ、そりゃあ学生の頃なんかは」

 思わず長話になりかけたところを、遮って貰えたのはたぶん運がよかった。驚いたように、「どうしてそれを」、だなんて。本気で隠せていたと思っていたらしいところを見ると、エイミーもまだまだ詰めが甘い。

「一目瞭然、あんたの右手薬指の付け根の皮膚、ちょっと固くなってるでしょ。それに一度、外し忘れてたわよ、ペアリング。同じデザインのリングを誰がしてるかなんて、四六時中ずっと受付に座ってりゃ、嫌でもわかるわよ」

 ちょっと気が早いけど、お幸せにね――その言葉に嫉妬や羨望はまったくない。いや、ちょっとはあるかもしれない。というか、どうしてあの子ばかりがいい思いを、なんて肚の底から思うし荒れ狂ったりもするけれど、でもいまの言葉そのものに偽りはない。羨ましいのは別として、でもエイミーには幸せになって欲しい。それだけは間違いなく、本心だった。

 根っからの都会育ちのフレイラにとって、当初彼女はちょっと珍しいだけの存在でしかなかったけれど――でも、すぐにわかった。この子なら、モテて当然だ。何も知らない『女の子』だった彼女が、慣れない世界に戸惑い、困惑し、そしてときに落ち込んだりする。そんな様子をそばで見ていて、そしていつの間にか助けてあげたいと思っていた。それはやっぱり、彼女の魅力のなせる技で、そしてなぜだかそこに惹かれるのも、まったく悪い気はしなかった。

 ――そんなことはもちろん、直接に言うには面映おもはゆいけれど。

 受話器を非常電話に戻そうとした、その時。

「先輩、私……結婚するんです」

 なんですって、と叫びそうになったのをどうにか堪える。ちょっとこの子本当に幸せになるつもりじゃないの、そんなの私の目の黒いうちは――と、もうフレイラ自身なにを考えているのかわからなくなってきた。呆然と立ちつくすフレイラの耳に、どこか控え目なその声が響く。

「来て、くれますよね……その、ええと、式に」

 ほとんどうわの空で「勿論」なんて答える。よかった、というエイミーの返事は、なぜだか全然嬉しそうじゃない。むしろひどく重い、決意の込もったような声で。

「絶対ですよ。絶対無事に戻って、来てくださいね」

 少し涙声なのがわかる。大丈夫、と言いたいところだけど、でも正直なところ自信はなかった。特殊部隊がどうこうという以前に、もうあと二分を切っている。そろそろ通話も切り上げなくちゃいけない。

 深呼吸のあと、はっきりと。

 嫉妬のやけくそと、そしてありったけの祝福を込めて。

「もう、意地でも受け取りにいってやるから。あんたの投げる、ブーケ」

 返事を待たず、受話器を置く。きっぱりと公言してしまった以上、もうアクシデントは許されない。女の約束を違えると、あとでいろいろ面倒なのだ。フレイラはヘリパッドを振り返り、爆弾をそっと、足下に置く。あと、一分三十秒。

 特殊部隊のものらしいヘリは、もうずいぶんと近くまで来ていた。でもそれよりも手前に、報道のヘリ。この屋上ギリギリを旋回するように飛んでいる。あとしばらくすれば、ヘリパッドのすぐ近くを通過するはずだ。

 スカートをたくし上げ、腰のあたりできゅっと結ぶ。ヒールを脱ぎ捨てて、ブラウスの袖をまくり上げる。なぜか右手の袖がするりと抜けたから、ちょっと考えたあと、それを額にあてがった。鉢巻はちまき代わり、ユニフォームとスパイクはないけれど、でも充分だ。

 遠くに霞むヘリパッドまでは、それなりの距離。でも――。

 いける。あとは、タイミングだけだ。

 爆弾を拾い上げる。合図は、いらない。背を曲げて、屈んだその姿勢から、弾けるように。

 ヘリパッドに向けて、俊足が唸る。

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