Chapter.18 『クレッセリア財閥本社ビル 受付嬢 エイミー・ヒューレルの場合』

 間違っている、と思う。

 それが最初の感想だった。そもそもにして、こんな幼い少女が抵抗勢力レジスタンスの実行部隊だなんて、もうそれ自体が考えられないことだった。よほど人手が足りないのか、なんて、そんな事情はもう、どうでもいい。

 エイミー自身、自らの所属するクレッセリア財閥に関して、それほど良い印象を持っているわけではなかった。特にこの財閥の生み出した社会的・経済的格差の影響は計り知れず、スラムに追いやられた住人たちの生活苦は相当なものだと聞いている。抵抗勢力レジスタンスなんてものが組織されるのも当然だと、詳しいことはわからないながらに同情的な考えを持っていた。いや、同情というよりもそれは好意、もしくは共感といった方が近いかもしれない。何もない辺鄙へんぴな田舎町に生まれ育った彼女にとって、この巨大歓楽都市と対を成すスラムの、その素朴で頑健なイメージにはどこか惹かれるものがあった。

 この実行犯の少女、歳はまだ十代の半ばくらいだろう。その頃のエイミーといえば、毎日友達と共に野山を駆け巡っていた。恋、というものを知ったのもこの頃だ。エイミーにとってそれは自覚的なものでなく、友達の話としてそれを知った。誰かが誰かを想う、その様を見て聞いて、そこに漠とした憧れを抱き始めたのが、ちょうどこの少女くらいの頃だった。

 そんな少女の手に、拳銃を握らせる。この街はそういうところなのだと、それを知らないわけではなかったはずだ。いままで見て見ぬふりをしてきたのだと、そんな自分が、嫌いになる。音もなく上昇するエレベータの中、ガラス張りの窓から街を見下ろす少女。固く唇を引き結んだ横顔を見つめていると、不意に彼女がこちらを向く。

「……ごめんなさい。行きがかり上こんなことになったけど、あなたに危害を加えるつもりは、ないんです」

 申し訳なさそうなその顔は、素のままの少女そのものだった。謝りながら、事のあらましや全ての事情を説明するその少女。たかが人質相手に、なにもそこまでする必要はないはずなのに――そう思った瞬間、エイミーの震えがようやく、止まる。理由なんて考えるまでもない、震えるほどに恐ろしいのは、この少女もきっと一緒なのだ。

 エイミーはゆっくりと立ち上がり、そして可能な限りの笑顔で微笑んだ。営業用のスマイルだったかもしれないけれど、でもその奥に、持てる限りの本心を詰め込んだ、そのつもりだ。自己紹介がまだでした、と、自分の名前を告げる。エイミー・ヒューレル。このあたりには珍しい、詳しい人間ならすぐに北方の出とわかるその姓。そうでなくても、今時エイミーなんて古くさい名前はそういない。でも、親から貰った大事な名前だ。

「……ユエン・マキシマ」

 黒いロングヘアの毛先を弄びながら、恥ずかしそうに少女が答える。黒い双眸といい、その姓名といい、移民かあるいはその血が混じっているのは、もはや考えるまでもないことだった。胸を張ってくださって構いません、とエイミーは告げる。驚いた様子でこちらをうかがう、少女、ユエンのあどけない顔。微笑みながら、答える。

「マキシマ様は、お客様ですから」

 唖然とした様子のユエンに、何をしてあげるべきか。エイミーにはわからない。そも、他ならぬ彼女自身がまだ、この街に戸惑ったままなのだから。ならせめて、自分にできることだけを――エイミーは自分が受付嬢であることを、その仕事それ自体には満足していることを思い出した。田舎では決して得ることのできなかった、唯一のもの。数々の人との、沢山の出会い。お客様も、警備兵のひとたちも、それにちょっとおかしな先輩も。もっと大切な出会いだって、ここで初めて知ったことだ。ならきっと、目の前のこの少女だって、そのひとつには違いない。

「ようこそ、クレッセリア財閥本社ビルへ。ご用件をお伺いいたします」

 チン、と音がして、エレベーターが停止する。開くドアの外へユエンを案内した。先を歩む彼女の小さな背が、はっきりと、迷いのない声で、答える。

「社長室へ」

 かしこまりました、と答え、社長室へ向かう。エレベーターの中で聞いたユエンの事情、それはあまりに深刻だった。でも彼女は、決して暴力による解決を望んでいるわけじゃない。そう信頼しているからこそ、案内するのだ。でも、ひとつだけ問題がある。

 社長室の前まで来て、立ち止まる。ここまできて、情けないのは承知だけど、でも仕方ない。

「申し訳ありません。社長室の扉は、専用のIDカードがないと開かないんです」

 エイミーの言葉に、ユエンは少し考えるそぶりを見せて――そして、笑った。「大丈夫」というその笑顔は、まさしくその年頃に相応ふさわしい無垢な笑顔そのものだった。髪を振り乱し扉に向き直る、その少女の背中を見て、エイミーは改めて思う。

 ――やっぱり、間違っていると思う。

 なにが間違っているのかなんて、もう考えるまでもない。ゆっくりと振り上げたその細い腕――いや拳が。まるでスローモーションのように、真っ直ぐ扉へと放たれて。

 一撃で。

 この重厚な樫材の扉が、粉々に吹き飛ぶとか。絶対間違ってる、と思う。

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