Intermission 『ブラスクラムにかかる三日月』

 三日月の夜はいつも、ひとりで過ごすことに決めていた。

 とはいえ、どのみちこの騒ぎだ。今日ばかりはここを訪れる客もありそうにない。

 一向に進展を見せない実況中継を繰り返すテレビモニタ。そのスイッチを切ると、照明を落としたままの室内は薄暗闇に包まれる。唯一の明かりは、窓から射す月の光だけだ。一面ガラス張りの窓は、そのか細い光さえも充分に通してくれる。しかしそれでも、外からは決して室内を見ることができない。マジックミラーというものは、考えてもみれば不思議なものだ。

 超高層の最上階、『雲の上』だなんて呼ばれるこの部屋からは、望めない景色などないとさえ言われる。窓辺に立ち、街を見下ろせば――確かにいくらでも見えた。豪華絢爛なカジノの電飾ネオンに、通りを行き交う人間の群れ。裏路地にひしめくはバーやクラブ、そしてそこに花を添える女たち。外れのスラムは寂しいながらも、しかしちらほらと見える小さな灯火は、確かに生活の匂いを感じさせた。

 人の栄華と、それをもたらした欲。さらには日々の生活までをも飲み込んでしまう、この街。

 その頂点、眼下に広がる景色には際限がない。だがそれは、いずれも人の造りしものと、そしてその営みに過ぎない。

 三日月を見上げる、その度に思う。

 ――月ははたして、夜の景色を見下ろす以外に、何も望むことはできないのだろうか。


 ティーテーブルを前に、少しの思案。使用人や家政婦は、今日はみな帰らせた。ひとり残されたこの部屋で、すべきことなど何もないはずだ。けれど、とても落ち着いてなんかいられない。何かを期待してしまうのは、下が騒がしいせいだけではなかった。三日月が、そうさせるのかもしれない。

 テーブルの上に、グラスをふたつ。とっておきのシャンパンを脇に添えて、中央のキャンドルに火を点ける。少し寂しいけれど、でもなんだか響宴パーティのようだ、と思う。でも、もしパーティだとしたら、何か名目が必要だ。少し考えて、筆を執る。

 まあこんなものだろう、と頷いて。

 白いカードに書き付けられた筆記体。それを、小さな声でひとり、囁くように。


『 ようこそ 雲の上へ 』


 中天にかかる細い月。いずこかから現れた雨雲が、その輝きを包み隠す。

 ――夜は、これから始まる。

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