Chapter.14 『クレッセリア財閥 社長 コルドナ・ファッテンブルグの場合』

 アホか、と一喝してやった。

 バカめ、とも言った。だってそうとしか言いようがない。

 とはいえ、と、コルドナは考えた。まあ正直、気持ちだけならわからなくもない。高級な大理石の床にはとにかく金がかかったし、そしてあんなに高かったんだからきっと大変質の良いものに決まっているのだ。それを素晴らしいなあと思うその心にはまったく同感するより他にないが、しかしだからといって大の大人おとなが、それもその場にいる全ての人間が、揃いも揃って床に寝転んで頬ずりとは、一体なにを考えているのか。

「寝てないで働け、この貧乏人どもめ」

 と、社長らしくコルドナは言い切った。それはロビー中に響き渡るような大声で、そしてそんな風に社員を一喝する社長というものは大変男らしくて素敵だなあとコルドナは思うのだが、しかし誰も立ち上がろうとしないのだから困ってしまう。というか、まったく意味がわからない。社長がこんなに怒っているのに、でも全然言うことを聞かないどころかみんなでのうのうと寝ているとかそういうのマジあり得ないし、とコルドナは内心の怒りをあらわにした。怒ってでもいないともう駄目だと思った。そういえば昔からそうだった、なんでみんな俺の言うことだけ聞かないんだろう。いや聞かないというかそもそも聞こえてないというか、俺みんなと一緒に会話しているはずなのに、なんで俺の言葉にだけは返事がかえって来ないんだろう――。

 胸中に熱いものが込み上げてきたその瞬間、待ちびていた返事がようやく聞こえた。

「う、動くな! お前らも、もし立ったら、ドカンだぞ!」

 返事の主は、貧乏人だった。いやこの場にいるどいつもこいつもみんなまとめて貧乏人で、そして人の話に返事をしない大ばか者なのでみんな死んじゃえばいいんだとそう思うくらいなのだが、しかし彼はその中でも群を抜いて貧乏人だった。もう一目見ただけでわかる、服がボロボロだし大変汚いし、しかもそういうのがまた大変よく似合う感じの、まだ年端もいかぬ少年だった。

 そんな子供の言うことだから、と、コルドナは自分を落ち着けようとした。

 が、無理だった。当たり前だ。だってこの子供は、ここにいるみんなに「立つな」、と――社長コルドナの命令とは正反対のことを告げている。そしてみんなは社長の命令よりも、この貧乏人の意見を優先しているのだ。こんな光景を見せつけられて、黙っていられるはずなんて、ない。

「うるせー貧乏人! ガキ! 死ねバカ!」

 ありったけの怒りを込めて、無我夢中で叫ぶ。こいつが悪いんだ、こいつが悪なんだ、と、そうとでも思わないと、もう耐えられそうになかった。だからそう言った。そう言ったのにでもみんな、

「やめてください」

 とか、

「ここは落ち着いて」

 とか、みんなして貧乏人の味方をするのだからもう本当にこんな地きゅうは早くばくはつしてにんげんがみんな死ねばとてもいいのに、とコルドナは思った。いや思ったなんてものではない、もう限界だった。頬がすごく熱くなっていて、手のひらにびっしょりと汗をかいているのがわかる。負けるもんか、これ以上はもう、泣くもんか――と、コルドナは例の少年を睨み付けた。たぶんなにか卑怯な手でみんなを味方につけたに違いないその少年は、しかし意外にも、

「な、なんだお前は! 誰だ!」

 と、なんだか少しひるんだ様子に見える。チャンスだ、と、コルドナがそう考えないはずもない。ここで頑張って勇気を出したら、きっとみんなはぼくのところに帰ってくる――と、そんな予感が彼を突き動かす。

「俺は大人で、そしてお前よりお金持ちだしそれにこのビルで一番偉いし、あと俺は社ちょ」

 最後まで言い切ることは出来なかった。

 あーっ、という、慌てたような周囲の嘆息。コルドナの背筋に冷たいものが走る。

 ひょっとして、やってしまったのだろうか。何かこの場の空気を冷めさせるようなことを、俺はいま、言ったのか――と、そう思うと居ても立ってもいられない。全身の血の気が引いて、でもそれとは逆に体が熱くなるような感覚があって、もう今すぐこの場から消え去りたいような、そんな衝動にさえ駆られるほどだ。

 少年は相変わらず立ち尽くしたまま、じっとコルドナを見据えている。しかし何故だろう、その表情はどこか驚いたような――というよりも、ほとんど呆然としているようにしか見えない。しばらく口をぱくぱくさせた後、覚束おぼつかない動作でコルドナを指さす少年。

「えっ……あなたが、社長? ほんとに?」

 なんだとそれはどういう意味だこのおたんこなす、とコルドナが怒鳴るよりも、周囲の社員たちの方が早かった。

「違うぞ! 何を言っているんだ君は!」

「そんなはずないでしょう! まさかこの方が社長だなんて!」

「そうだそうだ! こんなところに社長がいるわけないじゃないか!」

 限界、だった。

 ――ここにいるみんなは誰ひとりとして、俺のことを社長と認めていない。

 そう思った、その瞬間。

 コルドナの中で、何かが――音を立てて、切れた。

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