Chapter.13 『国際指名手配犯 怪盗紳士ランバーンの場合』

 簡単にご説明いたしますと、と、目の前の秘書は前置きした。

「有名なゼイランド高地に専用の農場を持っておりまして、そちらで栽培・収穫された豆を空輸し、深煎りして粗挽きにした後にその成分だけを抽出・濃縮しております」

 はあ、としか答えようがない。なのでとりあえず、

「はあ」

 と答えると、見事に会話が途切れてしまった。目の前の秘書――ファナは黙って口元にコーヒーカップを運んでいる。そしてそれを見つめるランバーンの手元にもまた、同じコーヒーカップが握られていた。

 とりあえず何か言わなきゃいけない、と、ランバーンは頑張って口を開く。

「しかし、それにしても随分と甘いコーヒーのようですが」

「申し訳ありません。こちらのものは特別製で、社長の好みに合わせてありますので」

 砂糖三杯は入っていないとぐちぐちうるさいから、と立て続けに呟くファナ。隠し事のできない人間というのは珍しくないが、しかし彼女のようなタイプは初めてだ、とランバーンは思った。彼女は考えたことを全て口に出してしまう癖があるらしく、現に今も途切れることなくぶっ続けで社長の悪口を垂れ流し続けている。汚らしい阿呆だとかゲロ以下の臭いがプンプンするだとかあるいはカエルの小便よりもゲスだとか、ランバーンとしてはそこまで言われるその社長の性格が気になって仕方がないのだが、しかしこのままではいつまで経っても話が進まない。ランバーンは話を変えることにした。

「このコーヒーと、あと社長のお人柄についてはわかりました。ですがファナミリアさん、僕がお訊ねしたのはこのビルについてです」

 その言葉に、ファナが手元のコーヒーカップに目を落とした。しばらく考え込むように俯いた後、小さくひとこと。

「このブラスクラムの街、一般的には『酒とカジノと女の街』と思われているようですが……現実にはもうひとつ、別の顔があります」

「……ドラッグ、ですか」

 よくご存じですね、と微笑むファナ。その表情はどこか寂しげで、ランバーンとしても「いえだっていまあなた自身が呟きましたから」とは言えない。黙って彼女の言葉を待つ。

「たかがカジノやその客目当てのバー程度では、ここまでの財を築き上げるのは不可能です。その背景には、薬――それも世の中には知られていない、多種多様の薬品が大きく絡んでいます。例えば、今お出ししたこのコーヒーにしても」

 そう言うと彼女はカップをソーサーの上に戻した。代わりに取り出したのは、傍らのケースに入った『コーヒー豆』――正確には豆ではなく、それを模した錠剤だった。それが薬品であることは明らかだ、先ほどファナがコーヒーを淹れる際には、その豆を挽くでもなくドリップするでもなく、湯で満たしたカップに直接放り込んだのだから。

「いくら濃縮したところで、インスタントコーヒーをここまで小さな錠剤にするのはそう簡単なことではありません。まして風味を損なわず、となれば尚更です。事実、この錠剤のうちでコーヒーの成分はわずか三割ほどです。残りは色素や化学調味料ですが、ただそのうちの一割は、薬品です。味覚と嗅覚を麻痺させ、混乱させるための」

 まさか、と答えかけて、しかしランバーンはその言葉を飲み込んだ。コーヒーの味については飲んだランバーン自身がよく知っている。甘すぎることを除いては、どんな一流品にも引けを取らないだろう。ファナの言うことが本当かどうかは別としても、しかし錠剤ひとつでこの味を再現するのはそう容易なことではないはずだ。どうあれ、相応の技術力が必要になるのは間違いない。

「このビルは総階数で八十階建てです。そのうちの四十六階から六十階までは、薬品開発のための研究所になっています。組織上は財閥本社と切り離されておりますので、一部の職員を除いて立ち入りは禁じられております」

 この巨大なビルの、なおかつ十五階分のフロアとなれば、確かに相当な規模の研究所には違いない。しかしなぜそんなものが本社の中にあるのか、ランバーンのその質問に、ファナが小さく微笑んだ。

「ここはブラスクラム、ほとんど独立国家並みの支配力を持った都市です。その中央の高層ビル、それもこんな上階となれば、後ろ暗い研究をするのにこれほど適した所はありません。ここはおそらく、世界中で最も警察権力から遠い場所でしょう」

 もちろん半分はあのアホ社長の趣味だけど、とファナは例のごとく呟いた。そう言われては、特に後半についてはランバーンとしても納得するより他にない。しかしそれとは別に、もうひとつ気にかかる点があった。

「六十一階から八十階まではどうなっているのか、おわかりですか?」

 管轄外のことですので確証はありませんが、と前置きして、ファナが続ける。

「社員寮です」

「……寮、ですか?」

「はい。研究所職員のための生活スペースが六十一階から七十階まで。それより上はわかりませんが、噂程度に社長の別荘だと聞いております。表沙汰にはできない『お得意様』をお招きして歓待するためのものだとか」

 ファナのその言葉に、ランバーンは首をひねった。そんなビルは聞いたことがない、というのは当然としても、最上部の十階全てが社長のプライベートルームというのは――ファナのぼやきからここの社長がそういう性格であるということは知っているとはいえ、しかし――いくらなんでも広すぎる。そのいかにも怪しい『別荘』について、重ねて問いかけようとした瞬間、

「ここまでです。私の口からお話しできるのは」

 と、ファナは両手で自分の耳をふさいでしまった。なるほど、連想したことを全て呟いてしまうとなれば、こうでもしない限りは言いたくないことまで喋ってしまうだろう。にしても、いくらなんでもやり過ぎだと思う。彼女は、ランバーンが少し口を開いただけでも、

「あーあーあーあー」

 と大声まで出して、ランバーンの質問が聞こえてしまわないように必死の様子だ。そこまでして隠さなければならないこととは何なのか、という点も気になるが、しかしそれとはまた別の懸念もある。ランバーンは必死で呼びかけたが、しかし彼女にはまるで聞こえてすらいない様子であった。それどころかしっかりと目を閉じているのは、口の動きから質問の内容がわかってしまうのを避けるためだろう。

 やむを得ず、ランバーンは立ち上がった。さっきから電話が鳴っているのに出ないわけにもいかない。

 窓を背にして置かれている大きなデスク、その側まで歩み寄ると、軽く咳払いをして受話器を手に取る。少し迷ったものの――まあ、やむを得ない。社長の﹅﹅﹅声を﹅﹅聞いた﹅﹅﹅ことが﹅﹅﹅ない﹅﹅以上は﹅﹅﹅

「はい。こちら社長室、エメントです」

 電話の相手は警備兵だった。別段、疑惑を抱いた様子もなかったことに、ランバーンはほっと胸をなで下ろした。どうやら上手くいったらしい。女性の声を真似るのはあまり得意ではないだけに、正直なところ自信がなかったのだ。気を良くして「何事ですか」と尋ねると、電話口の警備兵は、興奮した様子でまくし立てる。

「緊急事態です! 抵抗勢力レジスタンスを名乗る賊が社内に侵入しました! 対象は二名、ひとりは『ギョウチャン』と呼ばれる十代半ばの少年で、爆弾を所持したままロビーに立て篭もっており、居合わせた人間全員が人質になっています。もうひとりは同じく十代の少女、どうやら拳銃らしきものを所持しているとのことです。さらに人質にした受付嬢を連れたままビル内を移動している模様。指示をお願いします」

 抵抗勢力レジスタンスなんて言われてもよくわからないが、とにかくなんかすごいことになってるらしいことはランバーンにも理解できた。イヤな感じの汗が首すじを伝うのがわかる。一縷いちるの希望を込めてファナに目をやると、やはり彼女はまだあーあー言いながら耳を塞いでいた。一介いっかいの怪盗でしかないランバーンに、ビル警備の指示など出せるはずもない。

 とりあえず、

「がんばれ」

 とだけ告げて電話を切ると、ランバーンはおもむろに服を脱ぎ出した。顔だけ変装を解いた姿で、そこらをフラフラ歩き回るわけにもいかない。そもそも体格を大きくするために服を二重に着込んでいるのだ、これでは動きづらくて仕方がない。警備服やらシークレットブーツやらをあらかた脱ぎ捨てると、中から現れたのは、いつも通りの仕事着だ。

 といってもその出で立ちは、いかにも泥棒というものではない。仕立ての良いダークグレーのスーツ、鮮やかな深紅のアスコットタイ、胸ポケットからは白いハンカチが顔を覗かせている。伊達に〝紳士〟を名乗っているわけではない、この正装こそが彼の仕事着であり、またトレードマークでもあった。

「さて」

 と、タイのずれを指で正すと、ランバーンはファナの方に目をやった。案の定、まだあーあー言っている。気が引けるが仕方がなかった、もう放っておくしかないだろう。

 この混乱に乗じて、三日月まで辿り着く。

 ヒントはおそらく、上階の『別荘』にあるはずだ。そしてそこに辿り着くためには、抵抗勢力レジスタンスやらと鉢合わせしているような暇はない。一刻も早くこの部屋を出なくては――ランバーンがドアノブに手をかけた瞬間、そこから思いもよらぬ音が聞こえた。

 ――みしり。

 え? と思う暇もなく、ドアノブが――正確には、巨大な扉そのものが、ランバーンに向けて吹き飛んできた。

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