Chapter.12 『抵抗勢力 リーダー エイジ・シャンドンの場合』

 目を疑う光景だった。

 自分の幼なじみが、目の前をまっすぐ歩いている。臆することなく、まるで庭の散歩でもするかのように、クレッセリア財閥本社ビルのロビーを――つまりこれから自分たちが破壊工作を行おうとしている、その建物の入り口を歩いている。

 なに考えてんだこのバカ、とは言えなかった。

 すでにロビーの中にいるのだから、そんないかにも不審な会話なんてできるはずもない。もう夜だというのにロビーは賑やかだった。ビジネスマンらしき人間は何人もいるし、屈強な警備兵の姿もちらほら見える。捕まったら一体どんな目に遭うのか、と、考えなくてもいいことまで考えてしまう。周囲を見渡せば見渡すほど不安は膨らんでゆき――そして偶然、その中のひとりと目があった。

「どちらへご用でしょうか」

 しまった、と思ったときには遅かった。声をかけてきたのは受付嬢だ。ぱっと見、エイジともそう歳の離れていない、柔和で温かい印象の女性だった。蜂蜜色ハニーブラウンの緩やかな巻き毛に、どこかあどけなさを残した小ぶりな顔。ぱっちりと大きなふたつの瞳は、間違いなくエイジを捉えている――と、いうよりも、もう完全に囚われてしまったという方が正しい。エイジは迂闊にも自らの置かれた状況を忘れ、「かわいい。名前知りたい」などと思ってしまうほどだった。名札には『エイミー・ヒューレル』とある。

 が、今はどうせなら連絡先も知りたいなどと思っている場合ではない。彼女は微笑んでこそいるものの、しかしエイジたちを不審に思っているであろうことは疑いようもなかった。当然だ、この清潔で近未来的なロビーの真ん中に、見るからに身なりの貧相な子供がふたり、フラフラ迷い込んできたなら誰だって不審に思う。

 エイジは戸惑った。どちらへご用と言われても、まさか「ええちょっと社長室を爆破しに」とも言えない。ならどう答えればいいのだろう? 本日は御社に大変ソリューションでコンプライアンスなヴィジョンをアテンドしに参りましたとでも言えばいいのだろうか? いや駄目だ、そんな嘘が通じるはずがない。なにしろ格好が格好、こんな見た目じゃビジネス以前の問題だ。もう駄目だ。おしまいだ。きっと屈強な警備兵に捕らえられてボコボコにされて、だからせめてどこに住んでるのかだけでも知りたいと思った。きっと小さなアパートとかだと思う。街中まちなかの高級マンションって感じじゃない。

「社長はいますか」

 たぶん丘の方、と妄想に逃避していたところに、助け舟を出してくれたのはユエンだった。エイジもすぐさま我に返り、そして「おいおいそんなストレートに聞いちゃっていいんですか俺知りませんからね」と思ったが、しかし受付嬢は別段驚いたような様子もなく、

「失礼ですが、お約束はおありでしょうか?」

 と聞いてきた。そんなものはない。ないのだけれど、でもそれを正直に言えばたちどころに警備兵が飛んで来てボコボコにされるだろう。すぐに「あります」と返答しようとしたものの、でも緊張で声が出なかった。なによりユエンの方が早かった。

「ないけど、でも、緊急事態なんです。表のカジノ爆破事件のことで、重要な情報が」

 よくもまあこんなにすらすら嘘が出てくるもんだ、とエイジは感心した。特に表情が素晴らしい。鬼気迫る、というか、いかにも緊急事態にふさわしい逼迫した顔つきだ。心なしか、受付嬢も少し気圧されたように見える。

「ですが、アポイントメントがない以上は、お取り次ぎするわけには」

「あの事件の犯人について、詳しく知っている、と言ってもですか」

「そういったご用件でしたら、こちらでお伺いしてすぐに社長へとお伝えいたしますが」

「――直接じゃないと駄目なんです!」

 ばん、と受付台を叩くユエン。まさしく迫真の演技だ、とエイジは思った。思ったのだが、でも少しばかり熱が入りすぎじゃないだろうか? まるで食いかからんばかりに身を乗り出すユエンに対して、受付嬢も少し戸惑い気味だ。

「それでは、まず社長に確認いたしますので、お名前をお伺いしてよろしいでしょうか」

 その対応にエイジは少し違和感を覚えた。口調こそ丁寧だが、しかし先ほどまでとは明らかに様子が違う。彼女の顔から読み取れるのは、大きな困惑と――そして、恐怖か。その指が傍らのPCに向かうのを見て、エイジは不安を直感した。

 ――もしかして、あそこには通報装置があるんじゃないか?

 瞬間、ユエンが大きく身を乗り出した。表情は真剣そのもの――というよりも。

 なんだか、妙だ。それはまるで、何かを覚悟した人間のような――。

「……名前﹅﹅ですって﹅﹅﹅﹅? あたしたち﹅﹅﹅﹅﹅の名前が﹅﹅﹅﹅そんなに﹅﹅﹅﹅知りたい﹅﹅﹅﹅?」

 ――様子がおかしい。

 と、エイジがそう気づいたときには、遅かった。


「――〝抵抗勢力レジスタンス〟だ! 全員その場に伏せなさい!」


 ロビーの空気が凍り付く。中でも一番凍り付いたのは、エイジであったに違いない。

 ユエンはいつの間にか、手にした拳銃を受付嬢のこめかみに押しつけている。一体どこから取り出したのか、というか、そもそもなんでそんなものを持っているのか。当然そんなこと尋ねているような暇はなく、周囲の人々にならって床に伏せようとしたその瞬間に、

「ギョウちゃんっ!」

 と呼びつけられたので最早どうしようもなかった。慌てて振り返るエイジに、ユエンが何かを投げて寄越す。受け取ってみると、どうやらそれは先ほどのプラスチック爆弾だった。こんなもの投げ渡すとか、もし落として爆発でもしたら洒落にならない。エイジは手のひらが汗ばむのを感じた。そしてその手元に、いまやロビーにいる人間全ての視線が注がれている。

「最初に断っておくけど、あたしたちは世間で噂されているほど、野蛮な組織じゃないつもり。今日はね、話し合いにきたの。こちらの社長とね。だから関係ない人たちをどうこうしようとは思わないし、あたしたちも余計な犠牲者は出したくないの。余計な﹅﹅﹅犠牲者はね」

 ユエンの言葉に、受付嬢が「ひっ」と息を飲むのが聞こえた。顔を蒼白にして、今にも泣き出さんばかりにガタガタ震えている。その様子を見てか、ユエンが優しく微笑みかける。当然、手にした拳銃をグリグリ押し付けながら。

「あたしの許可してない行動は、取らない方が身のためだと思うよ? 息を飲むのも、怯えて叫ぶのも、もちろん抵抗だなんてもってのほか。あなたのその可愛い可愛いお顔が、何十個もの破片になってもいいなら別だけど――これは今、ここにいるみんなに言っておくね?」

 そこで言葉を区切り、周囲を見回すユエン。今や口を挟むものは誰もいない。

「あたしたちはね、平和主義者なの。だから誰かが怪我をしたり、ましてや命を失うなんて……そう、とっても胸の痛むこと。だからね、そんなことは、できれば﹅﹅﹅﹅したくない﹅﹅﹅﹅の。でも、世界の平和と安全のためには、あたしたちだけの努力じゃきっと足りない。少なくとも、ここにいるみんなの協力が必要になる。そう思わない?」

 ほとんど一息にそう言い切ると、ユエンはエイジに目配せした。小声で囁くように「それ、掲げて」とか言う。エイジは言われた通りにした。

「知らない人がいるといけないから、ちゃんと説明してあげる。いま彼の持っているそれ﹅﹅は、表のカジノを半壊させたのと同じ爆弾だよ。さすがにこのビルを壊すには足りないけど――でもまあ、今このロビーにいる人間をまるまる吹き飛ばすくらいの威力はあるかなあ? もしこの中から、いまこの場にいるみんなの協調を乱すような人が出てきたら、彼はそれ﹅﹅を使わざるを得なくなる。いい? この中の誰にどんな理由があろうと、〝ルール〟だけは絶対に守ること。知ってる? 爆弾ってさ、平等なんだよ。誰ひとり、分け隔てなく、公平に、殺すの。たったひとりの裏切り者のためにね」

 言いながら、ユエンはゆっくりと後退あとじさる。恐怖に足取りの覚束おぼつかない受付嬢を、片手で強引に引き立てながら。やがてロビー奥のエレベーターに辿り着くと、そっと扉の開閉ボタンを押す。扉はすぐさま、音もなく開いた。

「〝ルール〟は簡単。何も﹅﹅しない﹅﹅﹅こと﹅﹅。動かない、喋らない、妙な考えを起こさない。黙って寝ていれば無事に帰れる、子供にだって理解できることだよ。あなたたちは大人なんだから、きっとあたしたちよりもよく知っているよね? 例えば、自分だけが助かろうなんて考えや、余計な英雄ヒーロー願望は、世の平和を乱す害悪でしかない、ってことくらい。だから、祈りなさい――あなたたちの中に、みんなの大事な〝ルール〟を乱す、『大人のなり損ね』がいないことを、ね」

 ユエンと受付嬢、ふたりを乗せたエレベーターの扉が閉まる。エイジが最後にそこに見たものは、もはや歯の根の合わない受付嬢と、そしてユエンの、まるで氷のような笑顔だった。ロビーに取り残されたエイジは、同じく残された数人の会社員や警備兵と共に――ユエンに言われた通り、ただ祈ることしかできなかった。

 ――どうか、平和で安全に、何事もなくおうちに帰れますように。

 その願いは今や絶対に、叶うことはないとわかっていても。

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