Chapter.11 『クレッセリア財閥本社ビル 受付嬢 フレイラ・アントワイズの場合』

 まさかここまで使えないヤツとは思わなかった。

 それが、このバードマンという男に対する率直な感想だった。なんだか矢鱈やたらと偉そうで、その上とにかく仕切りたがるくせして、結局なんの役にも立っていない。むしろ足手まといと言ってもいいくらいだ。特にいま最も迷惑なのは、この致命的な体力のなさだ。

 なんか国際警察だとかなんとか言っていたけれど、これで警察が勤まるなら楽なものだ、とフレイラは思った。もし今の職場クレッセリアをクビになったら、今度は警察に就職するのも悪くないかもしれない。少なくとも、たかだか二、三キロ走っただけでへばるような中年オヤジよりは役に立つだろう自信がある。

 いまフレイラが走っているのは、他でもない警察の仕事のためだった。詳しく言うなら『人捜し』だ。バードマンとぶつかったスラムで、騒ぎを聞きつけて出てきたらしい主婦に頼まれたのだ。

「うちの息子が帰ってこないんです、いつもこの時間には家にいるのに」

 一人息子が行方不明となれば誰だって心配する、しかもそこにたまたま刑事が現れたとあれば、誰だってそう相談を持ちかけるだろう。だというのに、この使えない中年オヤジは、

「そんなもんは地元の警察に頼め、わしはもっと大きな事件を追っておる最中さいちゅうだ」

 などと威張り散らしながら言うのだから、これを捨て置くわけにはいかなかった。あんたの追ってる事件がどんな大層なものか知らないけれど、でも人の親が一人息子の安否を気にして縋る思いで相談しているのにあんたのその態度は一体なによ何様なのよ謝りなさい土下座して訂正のうえ謝罪しなさい、とつい勢いで説教してみたら、その主婦に感激されたような目で見つめられてしまった。こうなると最早引っ込みがつかない、女の意地と面子メンツにかけてもその放蕩息子を捜し出さなくてはならなくなった。

 そんなわけで、フレイラはバードマンを引っ立てて、その息子を見つけるべく走り回っている。

 当然、あてもなく探しているわけではなかった。唯一の希望は、気づいたらいつの間にかかたわらにいたこの子――名も知らぬスラムの野良犬、というか野犬だ。どういうわけかいやに懐いている様子だけれど、まあ動物に好かれるのはいつものことだから気にしない。このに、さっきの主婦に用意させた『息子の衣服』の臭いを嗅がせて、そしてその後を追いかけているのだ。上手くいくかどうかはわからないし、事実バードマンは、

「そんな野良犬に警察犬の真似事ができてたまるか」

 なんてぼやいていたけれど、しかしこのオヤジにそう言われるとなんだか意地でも成功させたくなってしまう。現にこの野犬は臭いを嗅いでからというもの、まったく脇目もふらずに真っ直ぐ走り続けている。そも他にめぼしい方法もないのだ、フレイラはバードマンを引き連れて、それを追いかけているのだった。

「ちょっと待ちなさい」

 本来なら革紐リードを引くところだけれど、しかしそんな気の利いたものはないのでやむを得ず尻尾しっぽを引っ張った。ぎゃん、という悲鳴を上げて野犬が止まる。尻尾を掴んだまま後ろを振り向くと、遙か遠くに薄汚れたコートが見えた。また随分と離れている。フレイラは溜息をついた。

「ちょっとあんたねえ、人捜しなんてそっちの本職でしょ? もっとちゃんと走ったらどうなの?」

 そう怒鳴りつけてやると、息も絶え絶えに言い訳が返ってきた。

「ばッ、馬鹿ッ、たれが……や、野犬と同じスピードで、ずっと走るだなんて、でき、るか」

 できるか、と言われても、事実としてできているのだから言い訳にさえなっていない。まったく本当に使えないオヤジだ、犬の方が遙かに役に立つ。傍らの野犬を抱きすくめながらフレイラは考えた。この子はともかく、あのやる気のない駄犬オヤジをちゃんと躾けるためには――。

「そうね、あんたがちゃんと役に立ったら、ご褒美やるからってのはどう?」

「なんだか知らんがいらん。絶対にいらん」

「なによ失礼ね。あんたアレでしょ、あの怪盗ランバーンを追っかけてるんでしょ? だとしたら、きっと仕事に役立つと思うんだけどなあ」

 フレイラは制服のポケットに手を忍ばせた。嘘やブラフで言っているのではない。上手くすればランバーンを取り押さえるために大いに役立つかも知れない物だ。フレイラの真剣な様子に気づいてか、それとも元々ランバーンと聞けばなんでもいいのか、さっきまで完全に肩で息をしていたはずのバードマンが、

「おいなんだ。隠し立てすれば逮捕だぞ」

 と急に溌溂はつらつとし始めた。大成功だ。

「なによ、元気じゃないの。そんだけ怒鳴れる元気があれば走れるわね。じゃ、行くわよ」

「おい待て、行くってお前、どこまで走る気だ」

 そんなこと、この子に聞きなさいよ――フレイラは、再び駆け出した野犬を見ながら呟いた。本当に目的の少年のところへ向かっているのかは博打だけれど、しかしこの子は一体どこまで向かう気だろう。すでにスラムを大きく離れて、随分と市街地の近くまでやってきていた。と、いうよりも、この道にはどうにも見覚えがある。宵を彩る無数の電飾ネオン、行き交う人々の群れと喧騒。見上げれば少し先に、通い慣れた巨大な超高層ビルが見えた。先ほど逃げ出してきたばかりの、クレッセリア財閥本社ビル。

 ――まさか、あそこに向かうなんてことはないわよね。

 カジノ客らしい通行人の群れを掻き分けながら、フレイラはこれから向かうその行き先について思いを巡らせた。

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