Chapter.10 『国際警察機構 捜査官 キース・クーパーの場合』

 ――あの間抜けバードマンは一体どこで何をしているんだ。

 普段のキースであれば、自分の上司のことをそうなじったりはしない。内心では思っていても表情には出さない。しかし今はその限りではなかった。それは当人がこの場にいないということよりも、目の前で起きている事件の重大さのせいだろう。

 国際指名手配の爆弾魔が、目と鼻の先のカジノに立てもっている。

 国際警察機構エスポールの一捜査官としては、決して捨て置くことのできない状況だ。確かに当初の目的であるランバーンも国際指名手配犯には違いない。しかしこのふたりには決定的な差異があった。『窃盗』と『爆破・殺人』では罪の重さがまるで違う。そして罪の重さが違えば、それを捕らえるべき重要度もまるで違ってくる。

 つまり――こいつを挙げれば、大金星だ。

 出世昇格間違いなし、正規のルートでこつこつ下働きをせずとも、一躍出世街道に躍り出ることができるのだ。そうなればもうアホ上司の下でアホ泥棒を追いかけて辺境を巡る必要もなくなるし、給料アップに特別ボーナスで常夏リゾートに別荘が建つ。世界を救ったヒーローとして有名誌のインタビューも引く手数多あまただろうし、そのおかげで社交界にも名の通った一流映画女優なんかと知り合いになったりみたいなことだって想像に難くない。つまりここが人生の別れ道であって、もう貧乏くさいコソ泥に構っているような場合ではないのだ。

 ――なのに、それなのに、あのボンクラ上司は。

 キースは携帯電話スマートフォンの通話を切った。何度かけてみても同じことだった。返ってくる応答は、『電源が切れているか、電波の入らない――』。こういうときでもなければ何の役にも立たないくせに、電話に出ないとはどういうことか。キースは怒りと焦りの入り交じった思いで、眼前の事件現場をにらみつけた。

 問題のカジノは固く扉を閉ざしたままで、そしてその周囲には見事な包囲が出来上がっている。いくら名に聞こえた爆弾魔とて、この厳重な警戒の中を逃れることは不可能だろう。そして、問題はまさしくそこだった。

 包囲しているのは警察官ではなく、この忌々しい民間企業の警備兵なのだ。

 つまりこのままでは、犯人は間違いなく財閥の手に落ちる。我々が長年追い続けた大犯罪者がだ。おそらく最終的にはこちらに引き渡されることになるのだろうが、それでは国際警察機構エスポールの面目がない。なにより、この怪しげな企業に対して更なる〝借り〟を作ることにも繋がる。それだけはなんとしても避けなくてはならない。悪を懲らしめ捕らえるのは、昔から警察の役割と決まっている。

 キースは決意した。最早あの間抜けバードマンの指示や判断を待ってなどいられない。ヤツは死んだ。あるいは元々いなかったと思うのが最上だ。もう単独で動くしかないが、しかし本当に〝単独〟では、犯人を捕らえることは覚束おぼつかない。応援が必要だ――キースは再び、懐から携帯電話スマートフォンを取り出した。

 この州の、いやこの国の警察はあてにならない。かけるとすればその先はひとつだ。オペレータの事務的な対応に、氏名とコードを告げる。ほどなく電話は繋がった。

「ご苦労、クーパー捜査官。状況は聞いておる。君の判断を聞こう」

 国際警察機構エスポール本部で何度も聞いた声。ジラングローナ副次官だ。迷うことなく、キースは告げる。

「副次官、MCATエムキャットを投入してください」

「……地元警察の協力は得られんか」

「申し訳ありません、力及ばず」

「いや、あの街では仕方あるまい。わかった、早急に派遣しよう。だが到着まで三時間はかかるぞ」

「ありがとうございます。それまではどうにか保たせますので――」

 事務的に締めの挨拶を言おうとした刹那。電話口から、最も恐れていた言葉が聞こえた。

「ときに、バードマン捜査官からの連絡がないようだが。彼はどうしておる」

「バードマン捜査官は――現場の警備兵長と交渉しております。突入などされては一大事ですので、その工作のために」

「ふむ。ではMCATエムキャットの出動要請については、君から行うように任せたというわけだな」

 その通りです、と答えるキースの背中に、一筋の汗が伝った。ことはもうただの越権行為では済まない、こうして明らかな嘘までついてしまったのだから。しかしあの爆弾魔なら、それでも充分おつりが来るほどの価値がある。要はこの先、なにも失敗ミスがなければいいのだ。無事に犯人を捕らえることができさえすれば、「捜査官の暴走」ではなく「咄嗟の臨機応変」として有耶無耶うやむやにできる。無論おとがめなしというわけにはいかないだろうが、功績の方が大きいのは明らかだ。

 とはいえ、ここで嘘がバレれば何もかも終わりなのだが――しかしその心配は、どうやら杞憂に終わった。

「まあ問題あるまい。よい結果を期待しておる」

「お任せください、必ずや逮捕してみせます。国際警察機構エスポールの威信にかけて」

 頼むぞ、という一言を区切りに、通話は切れた。

 キースは再び、視線をカジノへと転じた。相変わらずの膠着こうちゃく状態だ。爆発のあった当時、中にはカジノ客や従業員がいたはずだ。それらがいわば建物ごと人質にされているようなものなのだから、警備兵が手を出しあぐねるのも当然のことだろう。

 問題は、この均衡がいつまで保つか、ということだ。多少の小競り合いなら問題はないが、しかし一斉に突入でもされて、観念した犯人に自爆などされては元も子もない。不安なのは、警備兵側――というよりも、あの社長だ。

 彼はこの爆発に随分動揺している様子だった。しかしもちろん現場に乗り込むような真似はせず、それどころか一目散に本社の方へと向かっていった。根性なしなのはありがたいが、しかしなにしろあの性格だ、いつ逆上しキレ出して無茶な判断を下すかわからない。そしてそのとき、警備兵側に突入の準備が整っていたならば――全ては、終わりだ。

 わざわざ呼び出した対テロ用の特殊部隊を、まさか手ぶらでトンボ返りさせるわけにもいかない。まして嘘までついているのだ、もはやただで済む状況ではない。

 キースは考えた。この状況で、まず真っ先に排除しなくてはいけない危険リスクは――。


 あの唐変木バードマンだ。あいつに余計なことを言われたら、何もかも全てがぶち壊しになる。


 群衆の輪を駆け抜けて、キースは道路の端にかがみ込んだ。手にした鞄を地面に広げ、中からタブレットPCを取り出す。ここから先、一手たりとも誤るわけにはいかない。国際警察機構エスポールのロゴが踊る起動画面スプラッシュスクリーンを眺めながら、キースはその細い指を、外付けのキーボードに踊らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る