Chapter.08 『ブラスクラム 西地区スラム住人 ユエン・マキシマの場合』

 ギョウちゃんは昔から変わらないな、と、ユエンは思う。

 それは少なくとも彼女にとっては、決して悪い意味ではない。むしろ安心感すら覚えるほどだった。変化の激しいこの街の中で、彼だけはずっと昔のままでいる。そしてその事実が、ユエンをなぜかほっとした気持ちにさせるのだ。

 それがいつまでも続くわけではない、という現実はしかし、彼女自身が一番よくわかっていた。一見変化の無いように見えても、でも彼は少しずつ変わっている。最近はいつのまにか革命組織のリーダーになんてなっていた。いや、そういう小さな変化なら昔からあったのだ。例えば十歳くらいのころ、あだ名が「エイジくん」から「ギョウちゃん」になったとか。

 ――でも。

 いま彼を目の前にして、ユエンは改めて思う。やっぱりギョウちゃんはギョウちゃんだ。昔から、根っこのところはずっと変わらない。不安そうな顔で、

「ねえ、本当にやるの? ……いや、怖いわけじゃないけど」

 なんて、聞かれてもないのに言い訳するところとか、いかにもあたしの知ってるギョウちゃんそのもの――と、ユエンは微笑んだ。それはごく自然な笑顔ではあったが、しかし同時に、これ以上彼を不安にさせないためのものでもある。

「ねえギョウちゃん、見えるよね、あれ」

 ユエンが通りを指し示すと、エイジはやや控えめにその先を窺う。ふたりはいま、ブラスクラムのメインストリートである通称『カジノ通り』の、あふれ返る人混みの中にいた。普段から行き交う人の絶えない通りとはいえ、しかしここまで混雑しているのはまれなことだ。当然、こんな人混みの中に埋もれては、ユエンの指さす先もそう簡単には見通せないのだけれど――しかしまるで「見るまでもない」といった風に、エイジは肩をすくめた。

「なんか警備兵がわんさかいる。あとみんなすんごい武装してる」

「うん。それで、彼らの取り囲んでいるカジノからは煙が立ちのぼってるよね。なにがあったのかはあたしにもわからないけれど……でもさ、これってチャンスだと思わない?」

 できる限り軽い調子で言いながら、ユエンは視線を斜め脇に転じた。この街の象徴でもあるこのカジノ通り、その最も目立つところにでかでかとそびえているのは、クレッセリア財閥の本社ビルだ。事故現場とはまさに目と鼻の先、となれば――このおびただしい数の警備兵はおそらく、本社ビルから割かれた人員であろうことは疑いようもない。つまり今、鉄壁のセキュリティを誇る本社ビルは、普段に比べて警備が手薄になっているはずだった。これをチャンスと言わずしてなんというのか、ユエンはエイジの手を引いて歩き出した。彼は相変わらず足を止めて「うんこしたい」とかなんとかぼやいているけど気にしない。今はうんこよりもチャンスだった。スッ、と深く、息を吸い込む。

「大丈夫だよ。あたしとギョウちゃんならきっとなんだってできるよ。確かにあたしやギョウちゃんはちっぽけな子供かも知れないけど、でも、きっとこの街の誰にも負けない勇気がある」

 そう一息に言い終えるなり、ユエンは振り返って微笑みかけた。エイジの腰がここまで引けていては、せっかくのチャンスも台無しだ。ここはとりあえず格好良いことを言っておだて上げて、そして彼の言うことは全て肯定してあげなきゃいけない。しかしエイジは相変わらず暗い顔で、

「ないよ、そんなの」

 なんて急に言うもんだから、つい「そうだね」なんて即肯定してしまった。不安に満ちた瞳が胸に痛い。

「あ、えーと、でもほら。あとまだいろいろあるし。爆弾とか」

 取り繕うつもりで言ったその言葉が、ますますエイジの顔を曇らせる。信じていないのかもしれない、と、ユエンは腰のバッグからその『爆弾』を取り出した。それは文字通りの爆弾で、詳しく言うならスタンダードなC−4プラスティック爆弾だ。お手軽簡単、誰にでも爆破工作ができちゃう便利な代物で、案の定それを見たエイジは目を丸くした。

「ユエン、そんなものどうやって手に入れたのさ」

 どうにも答えようがなかった。この爆弾は今朝方、カジノ客らしい裕福そうなヒゲの男からったのだけれど、しかしそもそもどうしてその男がこんなものを持っていたのかわからない。どう説明したものか、返答に窮したユエンはなんとなく街並みを見上げて――そして煌々と輝くネオンの中の、あるカジノビルの壁を指さした。

「貰ったの、あの人から」

 壁には大型のモニタビジョンが掛かっていた。そこには間違いなく、その爆弾の持ち主であったヒゲ男の顔が映し出されている。はっきり目鼻立ちまで見たわけではなかったものの、しかし珍しい形のヒゲだけはよく憶えていた。チャンネルはブラスクラム専門のローカルチャンネルで、画面右上に「緊急ニュース」のテロップが踊っている。通りに溢れる群衆、そのざわざわと騒がしい喧噪の中、アナウンサーの声は妙に冷たく響き渡った。

『――犯人は大量の爆弾を所有しており、今なお現場のカジノに立てもっている様子です。なおこの男は国際指名手配のテロリストで――』

 ユエンは再び、エイジの手を引いて歩き出す。彼がいくら及び腰であっても、そんなことはもう関係なかった。これは、チャンスだ。文字通り千載一遇だ。なぜこんなところにテロリストがいるのか知らないし、暴れ出した理由もわからないけれど――ただ、はっきりと言えることが、ひとつだけ。


 この爆弾は、間違いなく『本物』だということだ。

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