Chapter.02 『クレッセリア財閥本社 秘書課社長付秘書 ファナミリア・エメントの場合』

「いやしかしあの必死の形相ったらないね。ああ傑作だ、おいお前もそう思うだろファナ? そうだもう一回再生しよう」

 確かにこの社長の言い分には一理ある。あのぼろ切れを身にまとった貧乏刑事がこめかみに青筋たてて怒鳴り散らすさまは、誰がどう見てもちょっとしたコントそのものだ。それは刑事の石頭ぶりもさることながら、この社長の持つ『人を小馬鹿にしておちょくり倒す才能』があってこそのものだというのは言うまでもない。これは何度見ても飽きない、と、最初こそファナも思ったものの、しかしその考えが間違いだったことはいまや明白な事実だった。

 なにしろこの応接室の映像を見るのは、この一時間でもう十度目だ。そしてその度にこの社長、コルドナが馬鹿みたいに噴き出すのだから、この昼食はいつまで経っても終わる気配がない。どうせ最後には食事の大半を残して「もう飽きた、まずい」とか文句を垂れて終わるのだ。そのくせ三時頃になると「おなか空いた」とかなんとか勝手な文句を垂れたりするのだから、それに付き合わされるシェフはたまったものではないだろう。それはファナ自身にしたって同じこと、このコルドナの食事の度に斜め後ろで突っ立ったまま待機しなくてはいけないのだし、そもそもそれが「美人秘書が後ろに待機してるとか、なんか社長っぽくて格好いいから」とかなんとかそんなアホみたいな理由なのだから本当に意味がわからない。この社長は子供か。小学生か。もう彼も四十代のいい大人だというのに、いったい何を考えているのかさっぱりわからない。もしかして少しおつむがアレなのかも知れない。可哀想に。まあどうでもいいけど。

 ――と、おおむねそんなような内容を斜め後ろでぼそぼそと呟いたおかげか、ようやくコルドナはリモコンを手に取り、目の前のスクリーンに映る映像を消すと、

「ごめん」

 とファナの目を見ずに謝って、そして目の前の皿を不満げにつんつんと突っつき始めた。いいから早く食え、とファナは思い、そしてそれも呟いてしまったので、コルドナはいかにも不味そうにもそもそと目の前の食事を口に放り込み始めた。たぶんこいついま涙目だ、とファナは思った。そう思った瞬間、コルドナの肩がふるふると震え始めた。また呟いてしまったらしい。悪い癖だ。こうなったら、ここは適当に話題を変えるしかない。

「ですが社長、なにもわざわざ社長自らが応対に出ることもなかったのでは」

「なに、ただの趣味だ。面白いじゃないか、貧乏人をからかうというのは。ましてそれが警察ともなれば堪らないね。ザマアミロだ、イヌどもめ! ばーか!」

 この人なにか警察に対して嫌な思い出でもあるのだろうか、とファナは思ったが、どうせロクなことじゃないだろうから呟くだけに留めることにした。そもそも、そんなことよりも――。

「ですが、もう少し自重して頂かなければ困ります。なにぶん時勢が時勢ですので」

「なに、気にするほどのことじゃないさ。アレだろ? 抵抗勢力レジスタンスとかいう馬鹿者ども」

 ファナは頷いた。抵抗勢力レジスタンスというのは簡単に言えばこの財閥に恨みを持つひとたちの寄り合いみたいなもので、しょっちゅうこのビル宛てに爆破予告を送ってくる迷惑なひとたちだ。まあこの財閥はいろいろと危ないことやイケナイことに手を染めているのだから、そういうのに反対する人間が出てくるのは当然のことだろう。とはいえ、ほとんどが街外れのスラムの住人で構成される抵抗勢力レジスタンスに、この財閥の黒い商売の証拠が掴めるはずもないのだから、まあ簡単にいうなら単なる貧乏人の逆恨みということになる。そんな逆恨みに巻き込まれて怪我をするのはごめんなので、どうせ爆破するなら社長だけスカッと爆破してくれないものかとファナは常々思っていた。それはきっと社員全員同じ思いであるに違いないのだけれど、しかしそんなことを言えばこの社長はすぐに涙目になる。現にいまも、心なしか顔を上に向けて涙がこぼれないように必死でこらえているようだった。なんというか惨めを通り越して微笑ましくさえある、無駄に頑張らないで素直に泣けばいいのにあーあ、と、そこまで呟いたあたりでコルドナがうずくまった。両手で顔を押さえている。

「とにかく、気をつけていただかなくては困ります。社長に万が一のことがあってはいけませんので」

 社長が何かわめき返してくるのが聞こえたけれど、それはしゃくり上げるばかりでまったく言葉になっていなかった。背中でもさすってやるべきかな、という考えがファナの頭に浮かんだものの、なんか面倒くさいのでやめることにした。代わりに、それとは別に気になっていたことについて釘を刺す。

「それと、抵抗勢力レジスタンスばかりではありません。ランバーンという者も随分と有名な怪盗のようですから。いくら私設の警備兵で固めたこのビルといえど、盗難に遭わないとも限りませんので」

 その言葉に、ぴたり、と社長のしゃくり上げる音が止まる。ゆっくりとその場に立ち上がるなり、彼は、

「君は、『ブラスクラムの三日月』がなんなのか、知ら、知らんだ、ひっ」

 と、無理に格好つけようとしてまたしゃくり上げた。確かにファナは、その『ブラスクラムの三日月』が何であるか、この社長の口から聞いたことはない。考えてみれば不思議なことだった。ファナは秘書として、この社長について業務上のことからプライベートまでほとんど全てを知り尽くし管理しなおかつ思うがままに操っているのだから、この三日月というのは相当な秘密なのかもしれない。となれば、考えられる可能性はひとつしかない。きっとごくごくプライベートなこと、そしてなおかつ秘書には言えないようなこと――はっきりと言ってしまうのであれば、この社長の変態的な性倒錯フェティシズムのことに間違いない。なにしろいい歳こいてこんな小学生じみた性格のこの男のことだ、きっと常人には想像もつかないようなおぞましい性的嗜好に倒錯しているに違いない。それはもうサディズムとかマゾヒズムとかそんな生易しいものでなく、もっとドロドロした、人に言うのもはばかられるような――そうだロリコンだ、きっとそうに違いない。だいたい前々からこの人なんかロリコンくさいなって思っていたんだった。そもそも顔からしてロリコンくさい。これはもう完全に変態の顔だ。顔が変態だ。ああやっぱりそうだったのか怖い怖い。このひとランドセルとかに興奮するんだ。こわー。

 そこまで考えたところで皿が飛んできたのでファナは大変驚いた。どうやらいつもの呟き癖がまた出てしまっていたらしい、社長はなにやらぼろぼろと泣き喚きながら手当たり次第にものを投げている。〝泣きギレ〟すると何をしでかすかわからない、という自分を演出しているようだけれど、どうせこの根性なしには実際にものをぶつけるような度胸はない。つまり当たらなければどうということはない。ファナは懐から社用の携帯電話スマートフォンを取り出すと、連絡先から社内の雑務担当を呼び出した。社長室の大掃除は、もはや恒例の出来事だった。

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