Chapter.01 『国際警察機構 捜査官 キース・クーパーの場合』

「なんだアレは。失礼じゃないのか」

 その言葉を聞くのはもう五度目だった。キースは半ばうんざりしながらも、しかし溜息をついたり露骨に嫌な顔をするなどということはしなかった。こういう上司の愚痴や小言など、世の大人であれば誰だって経験していることだ。そんなものにいちいち反論していてはきりがないし、なにより人事評価や出世といった面でいろいろと支障が出るのは明らかだ。それが理解できなくては仕事などやっていけるものではない、それゆえ、キースはただ黙って頷いていた。それをいいことに、あるいは反応が薄いのが気に入らないのか、とにかく愚痴は続く。

「犯行予告があったのはわかっておるのだ。そして差出人はあの忌々しいランバーンだぞ。国際指名手配が出ておるような小生意気なコソ泥だ。それをだな、なにも知らぬ一地方都市の田舎企業の分際で『我々で処理する』とはどういうことだ? ええ? 奴らはふざけておるのか? 今時はそういうギャグが流行はやっておるのか? おいどういうことだキース。聞いておるのかキース。あいつらは頭が沸いておるのか、それとも元々脳味噌が足らんのか、一体どっちなんだ」

 知るか、と同時に、少し黙れ、と思ったものの、しかし一捜査官に過ぎない身の上ではそんなことも言えない。軽蔑の視線を投げかけて顔に唾を吐く代わりに、キースは、

「ええ。バードマン主任、まったく仰せの通りです。彼らはある種の社会的敗北者、まあ簡単に言えばいわゆる衆愚です。カスです。ただでさえ教養がなく常識もわきまえない上に愚昧なのですからもはや救いようがありませんね。たかが民間人の分際で我ら国際警察機構エスポールに逆らうなど、身の程をわきまえない蛆虫うじむし以下の所行としか言いようがありません。あのような愚かな者どもは生かしておいてもなんら世に益するところがないのは明白です。わかりました。殺しましょう。ええもう殺す以外にありません。裁くのです我々の手で。そのための権限と責務が我々にはあるのです。なに簡単なことです彼らは正義に背いたのでありますから反逆罪でもなんでも適当な罪状をでっち上げてなんならこの巨大なビルごと爆破して皆殺しに」

「いや、さすがにそこまでせんでもよいと思うが」

「ごもっともです」

 会話はそこで途切れ、後には苦々しげにクレッセリア財閥の本社ビルを見上げるバードマンと、そしてつまらなそうにタブレット型PCを操作するキースの姿だけが残った。ちょっとつついてやった程度で日和るのならば、最初から愚痴など言わなければいいのだ――などと思っても、やはりそれを口にするほどキースは愚かではなかった。そんなことよりもいまはもう昼の十二時を過ぎている。一般的常識的に考えて昼食の時間だ。いくら国際警察機構エスポールといえど、養分を摂取せずに働いてばかりいるわけにはいかない。つまりそこらのレストランなりカフェなりで昼食を摂る必要があるはずなのだが、しかしこの石頭の主任捜査官にはそんな単純な理屈も通じないらしい。彼はランチタイムに出かける財閥社員たちに訝しげな視線を投げかけられていることにも気づかず、さっきからずっとこのビルの前で愚痴なのか負け惜しみなのかよくわからない不平を漏らし続けている。そしてそれは、いまもって終わる気配をみせないのだからたまらない。

「しかしだなキース。民間人であるこやつらが協力せんだけならまあわからんでもない。だがこの州の警察まで我々に手を貸さんとはどういうことだ? あのボンクラどもは事態を理解しておるのか? ランバーンが予告状を出したのだぞ。不遜にも泥棒めが『これから犯罪行為を行いますよー』と宣言しておるのにそれを指をくわえて見ておるとはどういう了見だ。奴らはなんのためにおるのだ、あれで俸給を貰っておるのか、ええおい」

 少なくとも路上で無益な不平を並べているだけよりはマシだろう、とキースは思ったものの、しかしことこの件に関しては彼、バードマンの言い分もわからなくもない。

 ここブラスクラムの街においては、警察権力などあってないようなものだった。というよりも、これを街と言っていいのかどうかさえ怪しい。ここブラスクラムはいわゆる夜の街、それも『酒とカジノと女の街』として有名で、その名は世界的にも轟いているくらいの規模である。メインストリートには豪奢なネオンに彩られたカジノが建ち並び、少し脇道に入ってもバーやらクラブやらが軒を連ねるようなところなのだ。一夜限りの夢に賭けるチンピラ崩れからどこぞの国の成金お大臣まで、夜ごとに様々な人間が集い、そして欲望と熱狂の渦に飲まれてゆく。一晩で天文学的な数字の現金が飛び交うというが、しかしこの街の全てはこのクレッセリア財閥が掌握しているのだ。言ってみればこのブラスクラムそれ自体が、クレッセリア財閥の唯一にして最大の店舗、あるいは『城』とでも言うべきものだろう。当然、財閥には数え上げたらきりがないほどの『黒い噂』がつきまとってはいるものの、しかし彼らの力は田舎の州警察などよりは遙かに強大だ。この街では実質、財閥の私設警備兵ガードマンたちが警察の役割を果たしている。そんな無法が通じるのはもちろん、この街においては金のみが法である、ということの証左である。キースはしばらく考えて、口を開いた。

「まさしくその通りです、バードマン主任。この州の警察は完全な腑抜けです。彼らはこの街の暗部を暴くことよりも、事なかれ主義で見て見ぬふりをする方を選んだ。無論、それなりの報酬を財閥から受け取っていることでしょう。到底許せることではありません、彼らはなによりも重んずべき正義を金で売り渡したのです。ここの州警察は最早我々の同志ではない、正義の守り手としての矜恃を失ったクズ共、つまりは打ち倒すべき悪に他なりません。わかりました。殺しましょう。もうそれしかありません。正義を穢す愚か者がいったいどんな末路を辿るか、見せしめとして皆殺しにすべきなのです。いえご心配には及びません、この程度の田舎警察の武力などたかが知れたもの、我々に与えられた正義の権限とコネクションをフルに活用すればまだるっこしい司法の裁定など待つまでもなく邪悪の信徒共を一方的に根絶やしに」

「いや、まあ、君の気持ちもわかるがしかしここはひとつ穏便にだね」

「すばらしいご裁量です」

 そして例のごとく会話はそこで途切れる。キースの判断ではこれが最良の方法であった。この主任、放っておけばいつまでも不平を並べ立てるのであろうし、そうなれば昼食を摂り損ねてしまうのであるから仕方ない。せっかくこんな観光都市に来たのだから、みすみすこの機を逃す方法はない。なにしろいままで偏屈な怪盗を追い続けてきたせいで、砂漠の遺跡だの密林の迷宮だの、まともな食事さえ摂れないようなところにばかり飛ばされ続けてきたのだ。ここで贅沢をしなければどこで贅沢をするというのか。そう考えているうちに、いよいよバードマンが待ち望んだ一言を口にした。

「なんかアレだな、わしは疲れた。それに腹も減った。どうだキース、ここらで飯にしないか」

「さすがは主任、誠に賢明なご判断です。無論我々は、あの忌々しい泥棒に正義の裁きを下すまで休息を許される身ではありません。しかしいくら正義の執行者たる国際警察といえども人間です、無休で働き続けるわけにはいきませんからね。捜査に必要なだけの養分の補給は、むしろ率先して行うべきかとわたくしも思います」

 その言葉に、バードマンは満足そうに頷いたが、しかしすぐに背を縮めてあたりをきょろきょろ伺いながら、

「うむ。だがしかしな、キース。わしはどうも、こういったところは初めてでな」

 そんなことは言われるまでもなく知っている。というのもこのバードマンという男、主任という肩書きの割には垢抜けない、というよりもどこかみすぼらしいところがある。今日も豪奢で近未来的なクレッセリア財閥本社ビルのロビーで、この男ひとりだけが明らかに浮いていた。薄茶けたヨレヨレのコートにいつもの中折れ帽の姿のまま、警備兵たちが明らかに警戒の空気を発するのもお構いなく、

「ランバーンはどこだ! 隠し立てするとためにならんぞ、全員逮捕だ」

 などとがなり立てたりするのだから始末に負えない。キースにしてみればたまったものではなかった。こんな田舎者がいたのでは落ち着いて食事も摂れない。まずはこの時代遅れの唐変木をなんとかしなければ――キースは無表情のまま、素早くタブレットPCの画面パネルを叩いた。

「お任せください主任。この街についてはどんな些細なことでも全て調査済みです。こんなこともあろうかと、事前に我々にふさわしい店舗をリストアップしておきましたのでご心配なく。食事といえども捜査の一環、おかしなものを食べて体調を崩すわけには参りませんからね」

 そういって微笑むと、バードマンは安心したように一言「頼むぞ」とだけ言って、再び貧乏くさくそわそわし始めた。こういうときのこの男ほど与し易いものはないな、と、キースはタブレットPCに表示された、高級レストランの一覧を眺めながら――今度はおべっか用ではない、心からの微笑をその頬に浮かべた。

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