怪盗紳士ランバーン 不夜城ブラスクラムの三日月
和田島イサキ
Introduction 『クレッセリア財閥本社ビル 受付嬢 フレイラ・アントワイズの場合』
エイミーはいつだっておかしなものを拾ってくる。
彼女ほどこの会社に似合わない人間はいないだろう、とフレイラは思う。いったいどういう動機で入社してきたのかよくわからないけれど、世間知らずというか純朴というか、エイミーはまさしく天真爛漫そのもので、見ている側が不安になるくらいだった。まして受付嬢なんて仕事をしているものだから、この大企業のありとあらゆる男性社員から簡単に狙われてしまう立場にいるわけで、かつ彼女はそのことを――それが決して大げさな表現ではないと言えるほどの、彼女自身の素朴な魅力について、まったく無頓着でいるのだから始末が悪かった。
今日だって都合五人ほどの男性社員から声をかけられて、それも「今夜一緒に食事でもどうだい」だなんて、またずいぶんと積極的なアプローチをされていた。にもかかわらず、彼女はとぼけた様子で自分の好きな食べ物について話し始めたりするのだから堪らない。しばらく一緒に働いていたおかげで、フレイラにはエイミーのそれが決して芝居ではないということがよくわかる。この子は幼すぎるのだ。食事をするイコールお酒を飲むイコールなんか変なムードが出来上がるイコール結局あんなことやこんなことをアレコレする、という大人の世界の単純なルールを彼女は知らない。まあ自己責任といえばそれまでだけれど、しかしだからといって放っておけるはずもなかった。なんというか、そもそもフレイラ自身がお節介焼きということもあるのだけれど、ついつい世話してあげたくなってしまうような、そういう不思議な魅力がこの子にはあるのだ。
そんなわけで今日も都合五回ほど、彼女のラブロマンスのきっかけを妨害したというのは別に嫉妬のせいでもなんでもなくて、ただ純粋な正義感のような何かから出た行動に違いなかった。確かにフレイラはもうそれなりの年齢、それもそろそろ婚期を逃したとか言われ始めるあたりで、まあ一昔前はいろいろと声をかけられたこともあったけれどでもそこは慎重にもっと条件のいい人が現れるかもしれないからといろいろ計算した結果みんな様子見にしている間にいまではすっかりそういう浮いた話もなくなった、なんて事情もあるのだから、まあそういう意味では嫉妬なんてないと言えば嘘になる。なるのだけれどでもだからって別に焦っているとかそういうことは全然ないしそもそも結婚なんてものに夢見るよりは働いている方が好きなのであってそうしているうちにきっとそんな自分の良さを本当に理解してくれる人がいまに目の前に現れるに違いなくて――と、まあそんなことはどうでもいいのだけれど、とにかくフレイラにしてみれば、エイミーを見ていると危なっかしくて仕方がないのである。
フレイラは最初、エイミーのことをいわゆる「天然ボケを装ったキャラクター」なのだと思っていたし、また彼女自身もそのように自認しているらしいのだけれど、でもそれはどう考えても見栄かあるいは勘違いとしか言いようがなかった。彼女の言動は、どう見ても「素」そのものだ。理由は明白、今時どこの田舎を探したってここまで純朴な娘はそういない。ある程度の良識を身につけた大人なら、道端に「見るからにヤバそうな何か」が落ちているのを見たら避けて通るはずだ。それが捨て猫を見つけるたびに拾ってくるという程度なら、フレイラも「ああエイミーはちょっとアレがアレな感じの子なんだ」で済ませていたかもしれない。でもそれがアクション映画で見るような銃弾の包みだったり、見たこともないような怪しげな薬品の袋だったりするのだから、先輩であるフレイラとしては捨ておけなくなるのも仕方ない。おかげさまで更衣室のフレイラのロッカーには、この会社の暗部がぎっしりと詰め込まれてしまう羽目になった。ついでに言えばアパートは猫だらけだ。
そのせいもあって、その日のフレイラは大変機嫌がよかった。エイミーの拾いものは「洒落にならないもの」が多くてほとほと困り果てていたのだけれど、ついに今日、ようやく洒落になりそうなものを拾ってきてくれたのだ。
フレイラのアパート――誰のせいだと思っているのか、エイミーは冗談で〝猫屋敷〟なんて言う――は、会社からそう遠くない、小高い丘のようになった住宅街にある。仕事から上がった後、フレイラとエイミーはここで夕食をとりながらお喋りに興じることが度々ある。この街には女二人で飲めるようなお店なんてないし、そもそもエイミーは極度の下戸でお酒が駄目だというのだから、仮にバーなんかに行ったところで格好がつかない。そんなわけでフレイラは、彼女にとっては見慣れたこのワンルームで、ワイングラスを片手にまどろんでいた。さっきからきゃあきゃあと嬌声を上げて猫とじゃれ合うエイミーを見ていると、つい、いつの間にか手酌で飲むお酒にも抵抗を感じなくなってしまった自分について考えてしまったりもするのだけれど――でも今日はそんなことは気にならない。左手で蛍光灯の明かりにすかし見たのは、今日のエイミーの戦利品である、その真っ白い封筒だ。
「先輩、それ、どうするんですか?」
都合三匹ほどの子猫を抱きかかえながら、まったく無邪気な表情でエイミーが尋ねてくる。そんなこと、訊くまでもないことだ。開けるに決まってるじゃないの、と答えると、途端にエイミーの眉が「八」の字になる。まるで絵に描いたような〝困り顔〟だ。
「でも。人の手紙を勝手に開けちゃ悪いですよ」
確かにエイミーの言うことはもっともだった。が、だからといって、このまま開封せずにおくわけにもいかない。なにしろ宛名も差出人も書かれていないのだから、この手紙をあるべき所に届けるには、どのみち中身をあらためる以外に方法がない。かといって開けずに捨ててしまって、もしそれが大切な報せであったりしたらあとあと問題になるだろう。なにしろこの会社には四六時中ひっきりなしに脅迫文やら爆破予告めいた封書が届くのだ。そのほとんどは単なるいたずらで終わるとはいえ、中には実行に移されるものもあるのだから、それを見過ごしたとあっては会社にとって大問題となる。そもそもその会社の入り口真正面にいる、受付嬢であるフレイラたちの身が危ない。
フレイラはそう説明したけれど、案の定、エイミーは納得のいかない様子だった。フレイラはエイミーのグラスにワイン代わりの牛乳を注ぎ足しながら、
「そりゃ私だって、悪いなあとは思ってるけど」
と、それなりに罪悪感を覚えていることを伝えてみせた。無論、まったくの嘘というわけじゃない。後ろめたい気持ちがあるからこそ、わざわざこうして家にまで持ち帰って、お酒の力で罪悪感を振り切ろうとしているのだ。空になったワイングラスをテーブルに置き、今度は両手でその封筒を両手で弄ぶ。シンプルで飾り気こそないものの、どうやらずいぶんと上質な紙を使っているらしいことはすぐにわかった。赤茶けた鑞で封がしてあるのも、どこか上品な感じがして威厳がある。
中身がいわゆる〝ヤバいもの〟でないことには自信があった。なにか極秘事項の書かれた機密書類ならこんなレターサイズであるわけがないし、テロじみた犯行予告文であればこんな上品な封で送られてくるはずもない。フレイラの見立てでは、この中にしたためられているものは十中八九、ラブロマンスかスキャンダルか、あるいはその両方に違いなかった。まあつまるところ、ラブレターだ。そう考えれば、宛名が書かれていないのも頷ける。そしてそう思うと――思わず頬がにやけてしまうのを止められない。
いや違う。開けてみるまでは何が書かれているかはわからない、だからこそ、後ろめたい思いを推してまで開けなくてはいけないのだ。それは決して個人的な興味だとか、他人が他人に宛てて真剣に書いた恋文を安全なところから覗き見して笑おうだとか、ましてやそんなものを酒の肴にして退屈な己の人生(主にラブロマンスとかそういった方面において)を紛らわそうとか全然そういうことではなくて、まあ要するにこれは仕事だ。どんな凶悪犯からの危険な文章が入っているかもわからないのに、こうして中身を確認しなくちゃいけないだなんて、まったく受付嬢も楽じゃない――と、そんなことを呟きながら、でもやっぱり期待に頬が緩んでしまうのを抑えられない。フレイラは封に手をかけた。
「エイミー。それじゃ、開けるからね」
彼女の「でも」という返事が聞こえるよりも早く、フレイラはその封を切っていた。さてどんな名文長文が飛び出すか、そんな彼女の予想は、しかし見事に裏切られることになった。中に納められていたのは便箋ではなく、カード状になった一枚の厚紙だった。それも真っ白で、何ひとつ書かれていない。あまりの展開に唖然としていると、テーブルの差し向かいに座ったエイミーが、目を白黒させてきょとんとしているのが見えた。彼女の方から見えるとすれば――フレイラはカードを裏返した。
はたして、そこにはちゃんと文字がしたためられていた。流麗な筆記体で、たった三行――いや、宛名と署名を除くなら一行か。でも、これならエイミーの反応も頷ける。そこに書かれていたものはまったくの予想外、会社の重要機密でも、テロの犯行予告でもなく、ましてラブレターなんかであろうはずもない。もっと驚嘆に値する、ゴシップとしても事件性においてもより大きい、そしてなによりも刺激的な文言だった。
『 クレッセリア財閥総帥 コルドナ・ファッテンブルグ様
近日中に「ブラスクラムの三日月」を受け取りに参ります。
怪盗紳士ランバーン 』
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