第2話 白い家
震える指で、インターフォンのボタンを押す。
一度、深呼吸。
「志賀さん、いらっしゃい。」
玄関を開けて出てくるのは、間違いなく昨夜の彼。
名前は昨夜、名乗り合った。
津島圭一、それが彼の名前。
「今、開けます。」
駆け寄ってきて、門を開けてくれる。
「よく来てくれましたね。」
多分、こんな立派な家だから、
門も玄関も自動で開けられるんじゃないだろうか。
それでもわざわざ出迎えてくれる。
その気遣いが、温かかった。
「あ、あの、昨夜はありがとうございました。」
改めて、頭を下げる。
「いや、改めて言われると、気恥ずかしいです。」
少し、視線を逸らして照れる様子が、かわいかった。
私も、照れくさくなる。
昨夜は少し、険しい顔立ちに見えたけれど。
夜のせいだったんだろうか。
今はそんな風に感じない。
調子いいな。
自分でも、そう思う。
死のうと思うほど、傷ついたのに。
昨日の今日で、こんなに浮かれてる。
この人との縁をつなげたかった。
それだけだった。
今から思うと、ほんと、良く言ったな。
あんな図々しいこと。
あの後。
私は、私の事情を彼に打ち明けた。
同僚が、新人の若い子と結婚した。
この男、私に入社の時から絡んできて。
回りも私たちをそんな風に扱った。
べつに、私は好きだったわけじゃない。
だから、辛かった。
その男が、別に彼女ができると。
私を邪魔者扱いするようになった。
回りも、
ある人は彼氏を取られた可哀想な女、と憐れみ、
ある人はそのことを笑いものにした。
あらぬ噂も立てられて。
上司に異動を言い渡された。
なんで?
なんで私が?
入社以来10年もの間、大切にしてきた仕事も奪われて。
すべてに絶望してしまった。
いや、すべてに思い知らせたかったのかもしれない。
そんな浅ましい女の告白を、
彼は静かに聞いてくれた。
白を基調にした、美しい一軒家。
それなりの広さの庭もある。
弟と二人暮らし、というから、マンションか何かだと思った。
家具とかも、高そうなものだ。
座り心地のいいソファーのリビング。
大きな窓は、そのまま庭に出れるようになっていて。
明るい光を取り込んでいる。
高い天井を見上げると、
大きなファンがゆっくりと回っている。
内装も、白を基調としている。
ちょっと、堅苦しい感じがするかもしれない。
中年女性が出てきて、お茶を入れてくれた。
「家事代行サービスで来てもらっている佐藤さん。」
「あ、そうなんですね。こんにちは。」
取りあえず、挨拶した。
佐藤さんはにっこり笑って、下がっていった。
いわゆる、今風のメイドさんなんだろうけど。
普通のおばさん、って感じの人だ。
「弟を呼んできますね。」
彼は立ち上がり、部屋を出て行った。
その姿が見えなくなると。
これで良かったんだろうか?
そんな後悔が沸き起こった。
少し前。
弟さんが自殺を図ったらしい。
大事はなかった、そうだ。
私の自殺を止めようとしたのも。
親身になってくれたのも。
弟さんを重ねたからだそうだ。
どうしても他人事に思えなかった、
彼は、そう言った。
弟の苦悩を理解してやることができない。
だから、力になってやることができない。
彼はそう、苦しそうに言った。
心の痛みは、同じ痛みを持つ者にしか分からない、
良くそう言われるけれど、本当なんだろうか・・
彼がそんな言葉を吐いた時に。
魔が差したのかもしれない。
『それなら、私が話をしてみます、弟さんと。』
そう言ってしまった。
彼は、私に感謝してくれて・・今につながっている。
縁をつなげることはできた。
でも、弟さんのこと。
人の不幸を。
私は利用している、それだけだ。
・・
学校でいじめられているのかもしれない。
お兄さんと二人で暮らしているということは、
親が居なくて寂しいのかもしれない。
近所の子の相手をしたこともある。
子供はそんなに苦手じゃない。
うん。
話をして、力になってあげよう。
そう、心に決めた。
「志賀さん。」
呼びかけられて、ドアの方を見ると。
二人の男性が入ってくる。
彼と。
もう一人は彼によく似た人。
「弟です。」
!!
勝手に子供だと、思っていた。
「初めまして。志賀さん。」
笑顔は彼より繊細だけど、声もよく似ていた。
「あ、あの・・もしかして、双子、なんですか?」
「驚きました?すみません。」
申し訳なさそうに、笑う兄。
静かに微笑む、弟。
「隆二です。杏子さん、でいいかな?」
そういいながら、私の向かいに座る弟さん。
カラードシャツとスラックスというドレッシーな服装を、
少しルーズに着こなして。
髪型も少しルーズに流している感じで。
何となく、色っぽい。
繊細かつ、どこか緩慢な仕草や言葉使いもまた、
そんな感じで。
目を合わせるのが、ちょっと照れくさかった。
基本は似てても、ずいぶん違うな。
圭一さんの方は、シンプルかつラフな感じだ。
昨夜はビジネススーツだったけど。
「二人きりは気まずいですよね?
二対一も緊張すると思いますが・・」
そう言いながら、圭一さんは自分も席に着く。
ちょっと、ほっとした。
佐藤さんが、三人分のお茶とお菓子を持ってきてくれて。
その後は、たわいない話をした。
圭一さんはベンチャー企業の経営者をしているそうだ。
『小さな会社だし、始めたばかりだから。』
そういって照れる仕草が、やっぱりかわいい。
隆二さんは画家をしているそうだ。
『親の遺産があるから、気楽でね。
二人とも好き勝手しているんだ。』
マグカップを口元に運ぶ仕草も、妙に絵になる。
素敵な部屋で、素敵な男性二人に囲まれてる。
そんな今の状況が、何か、信じられなくて。
現実が、現実でないみたいで。
違和感を感じずにいられなかった。
「志賀さんは・・これからどうするつもりですか・・?」
躊躇いながらの圭一さんの言葉。
その言葉が、私を現実に引き戻した。
明後日の月曜日には、出社しないといけない。
あの場所に、行かないと。
・・
いっそ、明後日から、新しい部署なら良かったかもしれない。
でも、すぐに異動には、良くも悪くもならない。
・・
それに、仕事が変わってしまう。
そのことを考えずにはいられない。
・・
思わず、言葉に詰まってしまって。
思わず、涙がこぼれた。
「行かなくて、いいんじゃない?」
隆二さんだった。
「辛い時は、逃げてしまってもいいと思うよ?」
現実には、そうはできない。
でも、そう言ってくれたことが、嬉しかった。
言えない気持ちを分かってくれて。
肯定してくれたのが嬉しかった。
「俺の会社で良ければ・・来ませんか?」
圭一さんは、現実的なことを理解した上で、
気を遣ってくれる。
今の私には、味方が二人もいる。
「ありがとうございます。」
すこしだけ、勇気が出てきた。
「でも、もう少し、頑張ってみます。」
虞美人草は誰がために咲く 斎藤帰蝶 @KichoSaito
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