蝶結び

violet

蝶結び

 歌を歌う蝶を見たことがあるだろうか。俺はある。とある病室、夕日が窓から差し込む頃、小さく儚げな声が聞こえてくる。


 その今にも消えてしまいそうな歌声の様に、その蝶の命も儚い。それでも幸せそうに蝶は歌う。


「美琴君」


 歌い終わった彼女が俺の名を呼んだ。


「運命の人は私ではなかったよ」


 そんなことを笑顔で言う。そんな彼女に俺は内心苛ついていた。


「じゃあ誰だって言うんだよ」


 俺は気持ちを悟られぬように、冷静に聞く。


「私、背が小さいでしょ。だから背が高くて」


 彼女は目を閉じて思い描く。


「私、元気も無いでしょ。だから元気に溢れていて」


 俺はその言葉が可笑しくて笑う。


「元気が無い? 凄く元気そうに見えるけど」


 俺の言葉に彼女は笑う。彼女が日が経つ度に弱っていくのを俺は見ている。だが俺に心配掛けないように気丈に振る舞っている。俺はそれに騙されるふりをしていた。


「お前ほど元気な奴いるかな」

「そうかな? じゃあせめて明るい子で」


 そんな戯言に、俺達は笑った。


「私、髪が長いでしょ。それは気に入っているの。だから髪が長くて、綺麗で」


 確かに。彼女の髪は長くてとても綺麗だ。次誰かと付き合うなら、それが良い。


「なんだか不思議な会話しているな」


 俺はそう言って笑う。本当なら悲しくなる会話の筈なのに、それで俺と彼女は明るくなるのだから不思議だ。彼女の所為だろうか。


「恋人が出来たらさ」


 彼女は言う。


「あの場所に行くと良いよ」


 きっと菜の花畑のことだろう。彼女はそこで蝶に惹かれたのだ。以来、俺と彼女でよくそこに赴いた。


「あーあ。美琴君の恋人見たいなあ」


 彼女は病室の天井を見上げた。無機質で何の特徴もないその天井を、彼女はどんな気持ちで見上げているのか。


「今はお前が恋人だろう」


 俺がそう言うと、彼女はとても満足そうに鼻を鳴らす。そして俺の腕にしがみついて、顔を埋めた。


「美琴君」


 彼女の甘えた声。彼女のことが大好きな俺は、その声にとろけそうになる。


「ちゃんと好きな人を見つけるんだよ」


 ああそんな声で、そんな悲しいことを言わないで欲しい。俺は唐突に切なくなって、甘えたくなって、彼女を抱きしめる。


 俺は泣いてしまった。


「よしよし」


 彼女が俺の背中をさする。


「私は蝶になりたい」


 蝶になりたいと日頃から言っていた彼女。蝶は美しくて、可愛らしくて、儚い。だから彼女にぴったりだと思った。


「蝶に生まれ変わったらね」


 彼女はニコリと笑う


「やっぱり内緒」


 カラスが鳴いた。日はすっかり暮れていた。俺たちはしばらく抱きしめ合っていた。



*



 冷たいアイスを舐めて土手を歩いていた。辺りはすっかり暗い。


 今日は私の親友の命日で墓参りをした。なんだか落ち込んでしまい、散歩して気を紛らわせている。


 彼女とは小学生からの付き合いだった。明るくて、気さくで。でも確かあの頃から病弱だった。


 そんな彼女に恋人が出来たと聞いてとても驚いた。あの人も今日墓参りをしたのだろうか。


 ジョギング中の男性が駆け抜けていった。夜の虫たちが小気味良く鳴いている。私はもう彼女のことを考えるのを止めた。


 向こう側に犬の散歩をしている女性が歩いてくる。その横に川を眺めて座っている男性が居た。


 美琴君だ。


 私は彼の苗字を知らない。彼女がいない今、美琴君と仲良くする理由もなかった。


 美琴君との距離が近くなる。私はアイスを食べ終えて棒を袋に入れる。やがて真後ろを通り過ぎる。彼は気付いていない。私は無視を決め込んだ。


 その時である。私の鼻先に一匹の蝶が止まった。大きくて艶やかな羽。


「きゃあ!?」


 私は年齢に相応しくない声を上げて尻餅をついてしまった。


 彼は何事かと後ろを振り向いた。


「三鷹さん?」


 驚いた顔で私を呼ぶ彼。


「み、美琴君。久しぶり」


 私は苦笑いを浮かべた。


 尻餅をついて結構な衝撃があったはずだが、大きくて艶やかな蝶はふてぶてしく私の鼻先に居座る。だが弁解をするのには都合が良い。


「この蝶が急に止まったものだから、驚いちゃって」


 私が言うと美琴君は笑った。そして立ち上がって私に手を差し伸べる。私は彼の手を取って立ち上がった。


「はは。三鷹さん、まだ蝶がくっついているよ」

「この蝶め! 私の鼻先がそんなに良いか!」


 私はそんな戯言を言って誤魔化すが、恥ずかしくて堪らなかった。


 蝶が鼻先から離れてひらひらと飛んでいく。あまりにも美しくて、その内歌いだすのではないかと思ってしまった。


「三鷹さんは面白いね」


 美琴君はそう言って笑う。私はその笑顔がとても素敵に見えて、ときめいた。


 美琴君は先程居た場所に座り直した。私も隣に座る。草の匂い、土の匂いがふわり。


 私は隣にいる美琴君を見た。相変わらず伸長が高い。私も高い方だが、彼はもっと高い。そして整った顔立ち。月に照らされて、凄く映えて見える。なるほど、彼女が惚れる訳だ。


「美琴君は今日墓参り行った?」

「勿論。なんだか寂しくなって、ここで呆けていた」

「ああ、私と一緒だ」


 私達は笑う。彼女を失って出来た傷が、ようやく癒えた気がした。


 すっかり気の合った私達。河川敷の誰も居ない野球グラウンドを眺めながら、彼女との思い出話に花を咲かせた。


 私は美琴君の笑顔が見たくて、時折冗談を言った。すると美琴君は素直に笑ってくれるので、私は気持ちが良かった。


「三鷹さんは明るいね」

「やだな、照れる」


 冗談交じりに言ったものの、本当に照れているので頬が熱くなった。体育座りの膝にそっと顔を埋めて、彼にばれないようにした。


「ねえ今度さ」


 彼は言った。


「あいつが好きだった場所行こうよ」


 きっと菜の花畑のことだろう。彼女はそこで蝶に惹かれたのだ。以来、私と彼女でよくそこに赴いた。美琴君ともそうだったのだろう。


「良いね。行こうか」


 私が言うと、彼は立ち上がる。私も立ち上がった。


「じゃあ今度連絡するよ」

「うん、待ってる」


 美琴君との付き合いはもう少し続くだろう。


 でもそれは、引っ張るだけで簡単に解けてしまいそうな、脆い関係だ。


「あ、そろそろ髪を切ろうと思うんだけど」


 蝶の一生は儚くて脆い。


「美琴君は長いのと短いの、どっちが良い?」


 その蝶が結んだ、淡い関係だ。


「俺は長い方が良いな」

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蝶結び violet @violet_kk

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