7 / 羊飼いの夢

 マルクトが振り向きながら立ち上がった。シャゼリはそれを手で制し、フォルセティの前まで歩いてきた。

「陛下が呼んでる」

「俺を?」

 眉を顰めながらフォルセティが聞くと、シャゼリは頷いてからマルクトに言った。

「俺と、こいつで呼ばれた」

「……ご用件は」

「日取りの件と」

 こわばっていたマルクトの表情が少しだけ緩んだ。フォルセティはふたりの顔を交互に見、椅子をテーブルのほうへ押し込むと一歩横に踏み出した。

「行くよ。どこ? こないだの趣味の悪い部屋?」

「いや、そこじゃない。案内する」

「そんじゃ頼むわ」

 フォルセティはマルクトに小さく会釈をすると、シャゼリのあとをついて部屋を出た。


 シャゼリは無言で進んでいく。フォルセティはその後ろを歩きながら、先日なんとか頭に入れた城の間取り図を思い出し、この先にあるものを考えた。

 思ったとおり狭い階段があって、それを思ったより先まで上る。もともと城下より小高くなっている城だ。その上のほうなら当然、町は眼下に一望できる。廊下の左手に等間隔に並んだ縦長の窓から外の様子をコマ送りのように見、その終わりに合わせてフォルセティは前を向いた。

 木製の扉の前でシャゼリが立ち止まった。フォルセティはその隣に並ぶと扉の周りを見渡した。なんの部屋なのかはよくわからないが山側を向いた、確か決して広くはない部屋だったはず。フォルセティが隣を見ると、シャゼリは深呼吸をしてから右手を胸の高さまで持ち上げ、ふと思い出したようにフォルセティを見た。

「さっきマルクトとなんの話を?」

「なんで今聞くんだよ」

「じゃあ、あとで教えてくれ」

 シャゼリはそう言って前を向き直り、扉を叩いた。


 許しを得てシャゼリが開いた扉の先には、腕を組んで窓のほうを見、こちらに背を向けたままのタイガがいた。ほかに誰もいる気配はない。フォルセティが怪訝な顔で見ていると城の主は肩越しに振り返った。シャゼリは思わず息を呑み、姿勢を正し直した。

「お召しにより参上いたしました」

「複製は進んでいるかね」

 そう言いながらタイガは体も向き直った。フォルセティは、呆気にとられて言葉を失ったシャゼリを横から小突き、代わりに答えた。

「複製じゃなくて学んでいるだけです」

「複製も学ぶのも使うためだろう。結果的には変わらん」

 目を泳がせているシャゼリの前で、フォルセティはタイガを睨みつけた。タイガはその視線をやんわりいなすように首を傾げると、組んでいた腕を解いて手招きをした。フォルセティが眉を顰め、自分を指さす。しかしタイガは頭を振り、シャゼリを指さした。

「来なさい」


 シャゼリは口の中がからからに乾くのを感じながら、タイガの言うまま歩み寄り、促しのとおりに窓辺まで進むと外に視線を投じた。

 この部屋から見えるのは城下ではなく、城の裏側のほうだ。タイガの目的がわからず、シャゼリはただ山の稜線をなぞっていたが、後ろからタイガがものを言おうとする気配に思わず振り返った。しかしタイガは手を払い、シャゼリは渋々背を向け直した。

「おまえはもう知っているだろうが、ハイロには方々ほうぼうに竜の虫とやらを配置してある」

「はい。皆、『王の御業みわざ』と」

「だがあれにはもっと有意義な使い方がある。おまえが師とするノイシュトバルトは、さぞかし私のことをけなしただろうな」

 シャゼリは返事ができず、黙ったまま窓ガラスを見つめた。外が明るいせいで、映っているはずの室内の様子はタイガの表情を含めほとんど見えなかった。タイガはシャゼリの返事がないことなど想定していたかのように、少し息をついただけで続けた。

「あれは自分が与えた道具がさまざまに使われることで世界にもたらされる結果を観察したい、ただそれだけの存在なのだよ。だから、あれにとっては我々もまた思考実験や、その試行のための道具に過ぎない。そのためあれは、我々にいかなる艱難辛苦かんなんしんくが生じようとも露ほども関心を持たないし、意に沿わない私の道具コードの使い方を批判もするだろう。だが私は民に責任がある。結果が我々にとって益であるか。私にとってはそれがすべて」

 タイガの後ろでフォルセティが大きく伸びをした。それはさすがにガラスに映った像でも見えた。シャゼリは少し緊張が解けた気がして、視線を下に移すと顔を上げ、振り返った。

「おそれながら。陛下」

 タイガが目を細め、シャゼリは思わず唾を呑み込んだ。それでも彼は深呼吸をして続けた。

「陛下の今のなさりようについてですが。賢明だが、臆病であると」

 フォルセティは驚いて顔を上げたが、タイガは眉も動かさず、シャゼリを見たまま静かに尋ねた。

「それはおまえの評価か」

「言葉は他人のものです。しかしそれを聞いたとき私は、これまで漠然と感じていたものに形を与えられたと感じました。ですから私の評価でもあります」

「ならば自分の言葉で言ってみなさい」

 シャゼリは口を固く結ぶと、しばらく目を伏せ考えてから視線を上げ、答えた。

「陛下はご自身であまりに多くの役割を担ってこられた。そしてそれで回っていたころもあるのだろうと思います、とくにこの国が今ほどに大きくなかったときには。しかし為政者に求められるあり方は国の成長とともに変わります。陛下はその過渡期をどのように導いていくか、それを模索しておられるのでは」

「続けなさい」

 シャゼリは頷いた。

「陛下のさきのなさりようは、陛下ご自身が卓抜した能力をお持ちだからこそできたことです。その能力は民を引きつけ、この国を拡大する原動力となった。しかし前に進むときに後押しになってきたものが、足元を固めるときにも同様のたすけになるとは限りません。あまりに強力な指導者を戴いてきた民は、その後ろをついていくことに慣れすぎた。一方的な信頼は依存と変わらない。依存されるものは依存するものを信用できない」

 後ろにいるフォルセティからはタイガが少し頷いたように見えたが、タイガの目だけを見ていたシャゼリはそれに気がつかなかった。

「ですから陛下はコードをあのように使われるのでしょう。本当はもっと応用的な使い方もできるのに、それをすることで指数関数的に増える新たな問題を前に踏みとどまられている。陛下はご自身の限界をこの国の限界とお考えで、それは今はおそらく真実です。ですがならばこの国のこの先は、民に挑戦させるしかないのではありませんか。猛き獣は子に苦難を与え、そうして親離れを促すもの」

 シャゼリはそこまで言い終えて、長く大きく息を吐いた。タイガが目を細め、それはシャゼリをかなり緊張させたが、タイガは少し口角を上げただけで何も言わず、ただゆっくりと足を踏み出した。


 シャゼリの横に並び、タイガは窓辺に立った。タイガは外を見たまま言った。

「委ねるというのは、勇気が要るものだよ。どれだけ準備をしてもなお、確実を期すには足りず。だから私はまだ跡継ぎさえ決めかねている。子の数など知れているのにな」

「兄上方は優秀な方々です」

「確かにいずれも任せた仕事は抜かりない。しかし私の指示に忠実すぎて、それはそれでつまらないものだ」

 シャゼリは眉を寄せて首を傾げた。タイガはそれに気がついた。シャゼリは慌てて頭を振ったが、タイガは見逃さなかった。

「ここには聞かれて困るものもおらんだろう。言ってみなさい」

「いえ、兄上方のことではないのです」

「ではこの父の?」

 シャゼリは大きく目を見開いてまじまじとタイガを見た。タイガは目を細め、顎を引いた。タイガのほうがシャゼリよりも少し、背が高い。

「父だろう」

「それはその、そうなのですが」

「なら遠慮は要らない。客人も面白がっているし」

 なあ、と振り向いたタイガにフォルセティは慌てて大きく頷いた。とはいえ実のところ別のことに気を取られていてふたりの話などほとんど聞いてはいなかったので、これ以上話を振られても困る。合わせて振り向いたシャゼリを追い払うように手で示し、フォルセティはなんとかその話題から逃げ切った。

 タイガがしつこく促すので、シャゼリは観念して言った。

「ご自身の与えた仕事をご自身の想定のとおりにこなす兄上方をつまらないと仰ったのが、まるで先ほどの……」

 タイガは眉を上げ、窓の外を見た。それから彼は数秒、顎を触りながら山を眺め、呟くように言った。

「そう言われれば、そうだな。私もあれを批判はできんか」

「大変失礼を申しました。決して陛下のことをその、無責任だというわけではなく」

「構わんよ。ある面では確かに、いや。確かにそうだ。面白い」

 面白いな、とタイガは独り言のように繰り返すと、一歩前に進み出て窓を開けながら言った。後ろでフォルセティが小さく声を上げた。タイガはそれをゆっくり振り向きながら窓の脇に立った。

「春先の涸れ川に水の来る報せは、ハイロの外まで虫を置き広く観測させていてな。しかし今年は外の虫を誰かが根こそぎ引き上げてしまっていたようで、報せが来たのは今朝だ。水量は多く、しかも例年になく迫っている。さて」

 フォルセティは目を泳がせ、シャゼリは青い顔をしている。タイガはふたりを交互に見、それから窓のほうに目をやった。

「シャゼリ・アスタッド」

「はい」

「心当たりがあるなら、なんとかしてみなさい。私が頭を下げたと言えばノイシュトバルトの溜飲も下がろうよ」

 シャゼリは口を開きかけたが何も言わずに閉じ、大きく深呼吸をすると頷いた。

「直ちに」

 言い終わるや否や部屋を飛び出したシャゼリのあとを追おうとしたフォルセティは、しかし、タイガに呼び止められた。

「残りなさい。きみへの用はまだ終わっていない」

「なんですか」

「貴国の王からの親書のことだ」

 フォルセティは眉を顰め、タイガのほうを向き直った。

「僕はそれに関してはお付きでしかないので、内容は存じ上げませんよ」

「内容は私が知っている」

 なんで、と呟いたフォルセティにタイガは肩をすくめてみせた。

「見ずともわかろうよ。それとも貴国は最初から、本気できみたちのような素人を公式使節として派遣したとでも」

「そういうわけでは……」

「まあいい。かつてイヴァレットがきみの母君と直接話したことがあるそうだ。きみにはそれと同じものをもう一度設定してもらいたい」

 フォルセティは必死に考えを巡らせた。タイガの目的がわからない。

「断る選択肢はあるんですかね」

「きみは私の頼みをひとつも聞かないつもりかね」

 タイガが目を細めた。さっきシャゼリに見せた表情とは全く違う。フォルセティはタイガをじっと見ると前に進み出、その真正面に立った。

「ご要望はその場の用意だけ、ということでよろしいでしょうか」

「むろん。イヴァレットのは彼女の庭であってこそらしいのだが、あそこは国王どうしの会談にふさわしい場所ではない。だからきみには先日の通り雨のあるじに取り次いでもらいたいのだ。場所が適切ならばそれ以上の要求はない。私は貴国の王に礼を尽くしたいだけだからね」

 そう言いながらタイガは上を指差した。天井ではなく、空。そこにいる水竜のことだ。フォルセティは目眩を覚えた。きっとこの目の前の男は、ルーシェがクレタに会った日のボヤ騒ぎの真相を知っている。ならばルーシェがクレタに会ったことも、シルカがフォルセティに会いにきたことも。そしてそこで話されたことも何もかも知っていて、そしてそれを知らせる目的でこの場を設けた。

 フォルセティは大きく息を吸い、それからそれを長い長いため息として吐き出した。

「わかりました。お請けします」

「助かるよ。貴国の王に頼みたいことができたのでな」


 タイガは去りしな笑顔を浮かべたが、それは意外にもフォルセティに不安や不快を覚えさせるものではなかった。

 フォルセティはその笑顔が、シャゼリとよく似ていたからだな、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る