4 / 国のかたち、人のかたち
次の朝、ルーシェはエメルに予告どおりに書状を託けた。中身は宛先以外のものが読むだろうから当たり障りのないものにした。王女と認められたと聞いてうれしい。シオンで別れて以来会っていないが、帰国したらもう会える機会はないだろうから、ハイロに逗留している間に是非とも会いたい。祝いの品を渡したい、まさかこんなことが起きるとは思っていなかったので適切なものではないかもしれないが友情の証として。短い間だがシルカにも世話になったから是非一緒に。そんな感じだ。
エメルは「必ずお渡しいたします」と言って、その丸められた書状をしまった。ルーシェは一瞬ひやりとしたが、なんとかその筒はエメルの鎧の隙間の、潰れずに済むところに落ち着いたようだった。
昨晩ネコと相談をして、オトをその書状にくっつけておいた。今はネコの眷属となっているオトは、ネコが命じればどんな姿にもなる——メーヴェで見つけた最初のようにも。
筒の中に収まってじっとしていれば、あの羽音がしない以上は、イヴァレットにだってそうやすやすとは検知されないはずだ。そうしてクレタが書状を開いたときにオトはもとの姿を取り戻す。上手くいけば一度だけではあるが、クレタはオトに託ける形でルーシェに、誰にも気兼ねなく連絡することができる。
朝食の部屋の前でルーシェは、去っていくエメルを祈るような気持ちで見送り、ネコと一緒に部屋に入った。
フォルセティは先に来ており、椅子の背に肘を掛け体をねじるようにして背後のシャゼリとおしゃべりをしていた。ルーシェが来たのに気づいた彼は振り向き「おはよう」と言ったが、その顔色が昨日よりずっと良かったので、ルーシェはかなりほっとした。
彼が窮地を脱したのかどうかはわからない。けれども少なくとも打開策は見つかったのだろう。ルーシェは彼が、それをルーシェに話せると思い、なおかつ話せる環境が整ったときに、いつか教えてくれたらいいなと思った。
一皿目が運ばれてきたときもまだ部屋にはマルクトはいなかった。エメルも部屋には入らなかったから見張りはシャゼリひとり。ルーシェは向かいのフォルセティに器を渡しながらも、彼を避けるようにすいと右に体を乗り出し、壁際で待機していたシャゼリに聞いた。
「今日、マルクトさんはいらっしゃらないんですか?」
「ええ、所用で。なのでここは私だけで」
フォルセティはルーシェから受け取った器の中身を頬張りながら後ろを向いた。
「あいついないんだから普通に話せば?」
「マルクトがいるかどうかじゃなくて話してる相手の問題だ」
「私にはお気遣いいただかなくて構いません」
ルーシェはそう言いながら、中身が半分くらいになった器をフォルセティから受け取った。
ネコは足元で、専用に準備された食事をゆっくり食べている。シャゼリの横の窓から見える外は穏やかな青空だ。エメルの昨日の話では、クレタには会えても明日になるという。今日は一日図書室にいようかなと考えながらルーシェは一品目を終え、フォルセティに聞いた。
「ねえ。今日、何するの?」
問われたフォルセティは、自分の分の皿を空にしたところだ。彼は視線だけを上げ、それからくわえていたスプーンを置きながら振り返った。
「俺、今日なんか頼まれてることあったかな」
「いや、特には。こっちは勝手にやるからおとなしくしといてくれればいいよ」
「そうか。ちなみに昨日のだけど」
シャゼリは眉を顰めたが、フォルセティが「昼の」と断るとすぐにその眉を解いた。
「おたくの陛下はルーシェと会うのはあの、非公式みたいなやつで終わりのつもりなの? シルカの言い方だと、あとで別にちゃんとフォーマルな場を設けるような感じだったけど」
「そのおつもりはあるようだが、いかんせん突然王女がふたりお生まれになったようなものだからな……」
「それなんだけどさ、ぶっちゃけそんないきなりだったのか? だってふたりの母親はもっと前からここにいただろ。シルカだって」
フォルセティの問いにシャゼリは少し考える様子を見せたが、ルーシェも興味津々の顔で見てきているのに気づき、ため息をついてから答えた。
「イヴァレット様は陛下が今と違って外征を繰り返していたころ、現地で陛下と出会ってご懐妊、ご出産されたあと、しばらくしてからご息女らを連れこちらにお越しになったんだよ。仮に受け入れられはしたものの、折り悪く陛下はご不在ですぐには確認がとれない。そしてクレアリット様が出奔。その後陛下がお戻りになりイヴァレット様は城に正式にお迎えこそされたが、それはあくまで温情で御子の母という立場ではなかった。そのせいであの方はこれまでかなり不遇な扱いを強いられてきたはずだが、クレアリット様がお戻りになり、今回ようやく報われた。そんな感じだよ」
「ふうん。ホントにここは王との関係だけで扱いが決まるんだな」
「おかしいか?」
いかにも素朴な疑問のように聞き返されたフォルセティは肩をすくめ、ルーシェを見た。ルーシェはその意図するところをなんとなく理解し、シャゼリに言った。
「私たちの国、大事なことは国民から出してもらった代表が会議で決める体制なので、王位は適性とか能力とかじゃなく、とにかく長子が
「みたい、とは?」
「私も聞いた話だから詳しいことは知らないんですけど。今の国王は私の母ですが、父は実家が町の薬屋で、本人は軍人です。
「は?」
「風の民です。さすがにこれはかなり反対されたそうです」
シャゼリは呆気にとられてルーシェを見つめたが、ルーシェが目を逸らさないので、なんとか感想を絞り出した。
「ずいぶん……その、自由なんですね」
フォルセティは椅子の背に肘をかけ、鼻の頭を掻いている。ルーシェは彼にも話を振った。
「サプレマもよね、確か」
「えっ」
「これまでの慣習を破ったって聞いたことある」
「ああ。竜と結べる血が途絶えると困るから、これまでは代々他所からプライアを迎えて血の濃さを維持してきたみたいなんだけど、母さんどこまで考えてたのかな。父さんは変なとこクソ真面目だから気にはしたと思うけど、ちゃんとプロポーズする前に承諾宣言されて退路を断たれたって」
「サプレマ……」
両方の顔を知っているルーシェは下を向いて両手で顔を覆い、笑いをこらえている。フォルセティはばつの悪そうな顔でシャゼリを見た。
「とにかくそういう感じなんだよ俺たちんとこ。だからここの国の話聞くと、そんなことある? と思うことが多くて」
「俺がそっちの国の話を聞いても同じ感想を持つよ……」
シャゼリは半ば呆れた顔で答え、長々としたため息をついて続けた。
「おまえたちの国にはたぶん、それでも国を維持できるだけの何か、保証があるんだな。我が国にはないものが」
「保証?」
ルーシェが聞くと、シャゼリは頷いた。
「こちらは国を守るためには国王が強くなければならない。国王に反抗することが利にならないという感覚を国中、場合によっては他国に対しても印象づけないと国が分解してしまう。我が国の成り立ちが、それぞれが王を擁していた国々を
「おまえんちもそうして繋がれてるんだな」
フォルセティの聞き方には少し棘があったが、シャゼリは反発はせず目を閉じ頭を振った。
「俺は祖国が併合されたあとに母が陛下に
「マルクトさんのお父さまと、お兄さまね」
ルーシェが言うと、シャゼリは顔を上げた。
「シル……いや。シルキアーテ様がお話しに?」
「ええ。知られたくなかったことであれば、ごめんなさい」
「いや構いません、当家の忘れてはならない過ちですから。ただ……」
シャゼリの言葉は続かなかった。フォルセティはシャゼリとルーシェを交互に見、眉間に皺を寄せて説明を求めたが、ルーシェは頭を振り、シャゼリに言った。
「私たちの国は確かに、ガイエルみたいに誰か特定の人がひっぱって育ててきた国ではありません。ずっと前いろんな国が集まって、彼らの間の争いを収めるために話し合い、その紛争の種となるものを奪い合わず、器とするべき国をひとつ作ってみんなで守りましょうって、そんな経緯というかお膳立てでできた国です。だから国を維持するため私たち自身に求められる努力という意味ではきっとガイエルより恵まれているし、そのせいで考えが甘いところもある」
「それで立ちゆかなくなったりせずに今もあるのなら、幸せなことだと思います」
シャゼリの返事が皮肉なのか本心なのか、それとも社交辞令なのかもルーシェにはつかみかねたが、それでも彼女は頷いた。
ルーシェたちが部屋を出たときには、もう廊下にはエメルが待っていた。
エメルはフォルセティとシャゼリが先に行ってしまうのを見送ると、穏やかな笑みを浮かべ、ルーシェに今日の予定を聞いた。ルーシェは図書室で読みたい本があると答えた。エメルは、それでは、と少し考えて言った。
「ご昼食はお部屋に準備いたしましょう。図書室から本を持ち出していただくことはできませんが、お昼頃お部屋に戻っていただきましたらいつでも召し上がれるようにしておきます」
「ありがとうございます。あの、手紙はクレタには?」
「お渡しいたしましたよ。とても喜んでおられました。夕食のときにはお返事をお持ちできると思います」
ルーシェは繰り返し感謝を述べ、頭を下げた。
その日、空には水竜はいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます