第9章

1 / 王の血胤

 シャゼリたちを部屋から追い出し自由の身となったフォルセティは、足元の絨毯を蹴り上げ乱暴にめくるとグローブを外し、両膝をつくと床に四つん這いになった。

 最初ここに来たときシャゼリに伝えたことは、もちろん嘘ではない。しかしあの罠の張られた部屋のことを思えば、この城はきっとそのとき見てとった以上に深く、暗い。だから彼は今一度、この城の全容を知ろうとしたのであるが——そのとき不意に扉を叩く音がして、フォルセティは慌てて絨毯を戻し立ち上がった。

 素知らぬ顔でグローブをはめ直しているところに入ってきたのはマルクトだった。彼は扉を閉めると数歩立ち入り、周りを見回して「シャゼリは?」と聞いてきた。フォルセティは、さあ、と言いながら首を傾げた。

「ちょっと用があるからって言ってついさっき出ていきましたけど」

「なんの用だと?」

「僕には言えないそうです」

「そうか」

 マルクトは扉を振り返って目を細め、再びフォルセティのほうを向いた。フォルセティは腰をかがめ、部屋の隅に転がった靴を取り上げたところだった。

「くつろいでいたところ、すまないね」

 マルクトはそう言ったが、その顔は全く申し訳なさそうではない。フォルセティはベッドに腰掛け靴を履きながら答えた。

「ほんとですよ。せっかく監視がいなくなったんで、やっとひとりでゆっくりできると思ってたんですけどね」

「監視されている自覚があるんだね」

「本人が言ってましたよ。僕は監視警戒の対象だって、ってあいついないけど……それで。なんの用ですか」

 靴を履き終え立ち上がったフォルセティにマルクトは歩み寄り、ぎりぎり手の届かないくらいのところで立ち止まった。それから彼はやや見下ろすような形でフォルセティの顔をまじまじと見、フォルセティが眉を顰めて睨み返してきたのに苦笑を漏らすと一歩下がった。

「竜の使いというのは本当に、紫の瞳をしているんだな」

 フォルセティは怪訝な顔で答えた。

「なんですか。珍しがりにきただけなら見物料とりますよ」

「いや、すまない。そういうつもりではなかった。少しいいかな」

 マルクトは今度はきちんと申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。フォルセティは肩をすくめ、さっきまでシャゼリが掛けていた椅子を勧めながら再びベッドに腰掛けた。ただし、浅めに。


「イヴァレット様のご息女のことだ」

「クレタとシルカですか」

 マルクトは一瞬眉を寄せたが、すぐそれを解いた。

「ああ、うん。おふたりはそう呼ばれてきたんだな」

「少なくとも僕らプライアは、旧律で与えられた名をそんなに軽々しくは呼びません」

 フォルセティはイシトのことを思い出し、我ながら白々しいなと思いながら続けた。

「神の歌と、王の風。双子に同時に与えられたのならおそらく何か意図や目的がある組み合わせでしょ。その目的が何かと考えればなおのこと、気軽に呼べるものではないです」

「そうだよ。人を超えた力を授けるものと、王の威光を広めるもの。王を王たらしめるものたちだ。きみはいつからそのことに?」

「いや、あくまで一般論です。僕なんか所詮、弱小辺境国の一介の聖職者見習いに過ぎないので」

 そうかな、と苦笑しながらマルクトは脚を組んだ。

「で、答えは?」

「え、まあ。名前聞いたときからもやもやはしてましたけど、そのあとあの本のことを知って、それを『王の風』が奪いにきたと聞いて……そんでここに来てさっき国王を見てちょっと。これはなんていうか、あなたがここに来たことも踏まえての勘ですけど、クレタとシルカはガイエル王のたねなんじゃないですか」

「うん。つい今しがた陛下がクレアリット様のかんばせをご覧になり、正式にお認めになった」

 マルクトは腕を組みながら首を傾げ、続けた。

「ところで。きみはガイエルに残るつもりはないか?」

「あ? あるわけないでしょ」

 呆れた調子で即答したフォルセティに、マルクトも「だろうな」と言った。

「そう言うと思っていた。でもそれで、次に私が何を聞くかは予想できるだろう」

 フォルセティは眉を寄せ、たっぷり時間をかけてマルクトを見、それから腕組みをしながらわざとらしく首を傾げてみせた。

「さっぱりわかりませんね」

 とぼけた返事をしたフォルセティを前に、マルクトは組んだ手を膝に置き、背もたれに体を預けながら言った。

「陛下は御自らの血筋に神秘の目を持つ娘が生まれ、そしてそれが今無事にここにあることを、ことのほかお喜びだ」

 マルクトは目を細めフォルセティを見た。フォルセティは諦めたように大きく息を吐くと居住まいを正した。

「その喜びの本質は、自分の血と希少な見た目を持ったはらが手に入ったことではないですか」

「きみは無礼だが話が早いね」

「無礼で結構。僕みたいな部外者にそんな話、内容にもいよいよ察しはつきました。ストレートに言っていいですよ、まどろっこしいので」

「ではそうしよう。陛下には数名のご子息が後継者に名乗り出ているが、残念ながらいずれも陛下にとっては物足りないとのことでね。陛下は今般、その血をひくクレアリット様をして優れた因子を取り入れ、その御子みこを御自ら教え導き次の王としたいと仰せだ。その因子として陛下は、きみたち竜の使いを希有でかつ抜群に有益な血統と評価しておられる。今ならまだその御子は、陛下がご健在のうちに成人する余地もあるし」

 フォルセティは思わず口を真一文字に引き結んでけ反った。

「予想していたのとは違った?」

「あ? え、いや。方向性自体はそういうわけでも……」

 フォルセティは唸りながらもとの姿勢に戻り、言った。

「いや、でも。さすがにそれは、言わないと思いたかった」

「と言うと?」

「あんたの主は娘をなんだと思ってるんですか」

 マルクトは無表情のままフォルセティを見ている。居心地の悪さに耐えきれなくなったフォルセティはため息をつくと下を向き、片手で目を覆った。

「僕がここに残ると言わないのは最初からわかってるでしょう」

「むろんだ」

「だったらあんたらの企てはつまるところ、僕がここにいる間にクレタにプライアの……あんたら流に言えば竜の使いの血を引く子どもを身ごもらせ、理想とする血統を組み立てて、産むだけ産ませて取り上げる、という」

「そうだね」

「どうかしてるぞ」

 顔を下に向けたまま睨み上げてきたフォルセティに、マルクトは涼しい顔で答えた。

「合理的なだけだ。持てるものどもの中で生き残っていくために、我々はその時点でとり得るすべての選択肢を排除しない。きみの継ぐ血はプライアの最高峰だと聞いている。ならば我々にとって最も望ましいのもきみの血だ。もちろんきみがその気にならなければどうしようもないが、我が国に自ら飛び込んできたのもきみだろう? 現実的に考えてもらいたい」

 そこでマルクトは言葉を切り、扉のほうを一瞥した。ルーシェの世話係はきっともう、シルカから誰か別の知らない女に変わっている。フォルセティが奥歯を噛んだのを視野の端に認め、マルクトは穏やかな口調で続けた。

「陛下のご希望は単に強い王の器を作ることであり、きみの肩書や名誉を汚すつもりは全くないし、そのための協力は惜しまないとのことだ。賢明な判断を期待する」

 言い終わり立ち上がったマルクトに、フォルセティは顔を上げないまま絞り出すように尋ねた。

「……本人の。クレタの話は、聞いたんですか」

「なぜ?」

 マルクトは冷たい目でフォルセティを見下ろし、踵を返した。


 

 その頃。

 ルーシェの部屋を離れたシルカは、後宮の隅に与えられた自分の部屋で迎えを待っていた。

 タイガがクレタを娘と認めたという。これで母の立場は安泰、シルカも晴れて姫となる。なのに——ひとつも、嬉しいとは思えなかった。

 薄暗い部屋には小さな窓しかない。これまで「妾の連れ子」という扱いに甘んじてきた彼女に与えられていたのは、ほとんど物置のような部屋だった。頼めばもう少しましな家財家具も用意されたのかもしれないが、シルカは何も希望しなかった。弱みを見せることになるから。それでここには最低限の寝床くらいしかないが、シルカはこの部屋が決して嫌いではなかった。ここは奇しくも、シオンで見たクレタの家によく似ている。

 迎えはきっと間もなく、すばらしく手触りの良い衣や美しい髪飾りを準備してここを訪れる。そして彼女の手を引き、明るく温かく良い匂いのする部屋に連れていく。その身を香油で清めさせ、髪を梳いて結い上げ、光り輝く人形に仕立て上げる。

 そうなればシルカはこれまでのような扱いは受けなくなくなるだろう。しかしその先に待つのは自由ではない。ルーシェにあてがわれた客間よりもずっと上等な部屋が用意され、彼女はそこに閉じ込められる。王の娘は王の駒。これまでよりずっと貴重な、駒だ。

 シルカは抱いた膝の間に顔をうずめた。持って生まれたものがために決まりきった役割を期待され、いかなる努力も当然のものとして評価もされないあの空気を嫌って、母は風の民を裏切りこの国に来た。ところがどうだ。「王の娘」という、真実か否かもわからない、ただひとりの男が勝手に認めたその血筋のために、シルカとクレタは自由を奪われる。

 その場から顔を上げるだけでは、空は小さな四角い枠に切り取られただけしか手に入らない。もちろん、舞っているはずの水竜も見えなかった。


 同じ「姫」でありながら自らの希望で国許くにもとを離れ、信頼できる従者とともに、自らの祖母を訪ねて旅をし、その旅で得た友人を助けるために国の協力をもらいながらここまで来たルーシェのことを思った。

 今後、彼女の世話係はきっとほかの女に命じられるのだろう。そしていずれ彼女は帰る。この城を、この塀を、この荒野を抜けて、あの広い海に囲まれた豊かな国へ。シルカは思わず呟いた。

「いいな」

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