4 / 白いタイルの先

 滞在中の居室として、ルーシェとフォルセティとはそれぞれ別の部屋に通された。案内も、ルーシェをシルカが、フォルセティをシャゼリが行い、お互いに相手の連れていかれた先はわからない。ネコは迷いなくルーシェについてきた。


 ルーシェは先を歩くシルカを、左右を気にしながら追いかけた。階段を上がった先の廊下も、ルーシェが普段暮らすユーレの王城より倍くらいの幅がある。白い、磨き上げられた石のタイルがずっと先まで続いている。両脇に並ぶ扉どうしは間隔が広いから、きっと部屋も広いのだろう。すたすたと歩いていくシルカにようやく追いつくとルーシェは小声で聞いた。

「ねえ。クレタは?」

 シルカはルーシェを一瞥し、すぐに前に目を戻した。歩調は緩めないし返事もない。ルーシェは不安を打ち消すように繰り返し問いかけようとしたが、そのときふいにシルカが立ち止まり、人差し指を口元に持っていった。ルーシェは言葉を呑み込んだ。

 シルカの人差し指は、ゆっくりと彼女の口元を通り過ぎ、斜め前の扉を指さした。

「あの部屋を使うようにという指示だ」

 シルカの声はアルファンネルのところで聞いた彼女の話し方よりも低く、まるではやるルーシェを押さえようとするようだった。ルーシェは察した。これは警告だ——今ここでその話をするな、という。どこでイヴァレットの竜の虫が聞き耳を立てていてもおかしくないのだから。

「ありがとう」

 ルーシェが礼を述べると、シルカは少しだけ目を細め、その扉のほうへ歩み寄った。

 彼女がルーシェの礼を何に対するものと受け取ったのかはルーシェには自信がなかった。しかし、シルカが扉を開け室内を見せて、窓の外の景色をルーシェが目にしたときにシルカが述べた言葉は、ルーシェにシルカの意図を理解させるには十分だった。

「この部屋は夜明けの眺めくらいしか見るものがない。もっとも、風はいいのが一日中入る」

「そうなのね。じゃあ窓は開けておこうかしら」

「寒いからほどほどにしておけ。滞在中暇なら、さっきの廊下の突き当たりが図書室。本の持ち出しはできないが、自由に出入りしていい。準備ができたら出てこい。最低限の設備は案内する」

 シルカはそう言うと、ルーシェとネコを部屋に残し、扉を静かに閉めた。

 窓枠に飛び乗ったネコは伸び上がるようにして空から地面までを順番に見、ルーシェのほうを振り向いて首を傾げた。ルーシェは窓辺まで近づくと少しだけ窓を開け、その様子を見ていたネコには静かに人差し指を口元に立て、それを答えとした。


 この扱いは気遣いというわけではあるまい——単に部屋を分けるだけでなく、引き離したのだから。ルーシェはふかふかのベッドに腰掛けると、目を閉じて深呼吸をした。

 タイガとの謁見は明日の午前に設定されている。それまでこのあとどうするかという話を、きちんとできていない。右も左もわからない場所でひとりにされることがどんなに心細いものか、ルーシェは改めて認識した。それでも縮こまったりめそめそしたりしていたって何も始まらないのだ。ルーシェは胸に重くたまった不安を、こねて丸めて小さくしてから腹に落とし込み、それから「よし」と呟くと目を開けて立ち上がった。

 ネコがルーシェを見上げている。ルーシェはそれに気がつくと、ネコの前に両膝をついた。

「あなたの名前をまだ聞いていなかったわ。教えてくださる? たっとあまつ風の竜」

 ネコは目をすがめ、小さな声で「うーだよ」と答えた。


 一方フォルセティは、シャゼリの先導にふてくされた顔でついていっていた。

 シャゼリはさっき預かったフォルセティの武器護身具の類いを、フォルセティを連れていくその前にマルクトに返そうとしたが、マルクトはその中のひとつだけを受け取り立ち去った。最も貴重なあの祭具である。フォルセティはそれで、ふたりの関係をなんとなく察した。

 だから今シャゼリは、フォルセティが携帯していたそのほかのもろもろを持っている。そうでなくてももとより武装している男であるから、フォルセティも彼にけんかを売るつもりはさすがにない。

 にしても無愛想すぎた。白いタイルが張られた美しいホールを抜け、ざらついた石作りの廊下に入ってからも割と歩かされているが、その間にフォルセティがした質問にシャゼリは一言も答えなかった。王のこと国のこと、気候のこと文化のこと。家族のこと、それからとっておきは髭面の衛兵から仕入れた城下町の定食屋のこと。それはもう当たり障りのなさそうなものからありそうなものまで満遍なく聞いてみたつもりなのだが、シャゼリの歩みに合わせて鎧が立てる音が乾いた廊下にむなしく響くだけで、全敗であった。

 フォルセティは大きなため息をつきながら肩を落とし、立ち止まったシャゼリにぶつかりそうになった。

「なんですか。いきなり止まらないでくださいよ」

「前を見て歩かないほうが悪い」

「そりゃそうなんだけどォ……」

 フォルセティは独り言のように愚痴りながら、シャゼリが指さした先を見、それから彼がその扉を開くのを半目で眺めた。

 用意されていたのは、高く奥まったところに換気のための横に細長い窓だけが備えられた薄暗い半地下の部屋だったが、それなりのしつらえと、それなりの広さもあった。調度品の色選びなどからは、なるべく客人がこの空間を不快に感じないようにとの工夫も見える。へぇ、などと素直な感嘆を漏らしたフォルセティは、隣のシャゼリに目を戻した。

「僕ここ使っていいんですか」

「だから案内したんだが?」

 シャゼリは眉間に皺を寄せている。フォルセティは彼が自分にどんな対応を期待しているのかわからなかったので、なるべく刺激しないことにした。

「それじゃあ遠慮なくお借りします。宮殿下の荷物も僕が持ったままになってるので、あとでまるごと持っていくか、だめなら本人に受け取りにきてもらいたいんですけど」

「それならこちらで届けておくから、出せ」

「え。ああいや、それはちょっと。どうですかね」

 フォルセティは、ルーシェが「あっち向いてて」と言って開いていた道具なども一緒くたになっていることに思いを致し難色を示したが、シャゼリの返事はにべもなかった。

「誤解がないよう言っておくが、少なくとも貴殿に関しては十分に監視警戒を怠らぬよう命じられている。だからあまり自由にさせるつもりはない」


 部屋の中ほどまで進んでいたフォルセティはその場で肩を落とした。竜の依り代たるプライアが、その能力がゆえに注目されるのはよくあることだが——この国では案の定、それは友好的な意味ではなかった。

 こちらがどんなに従順な態度を示したところで、このままではこの男は対応を変えることはないだろう。ならば方針転換だ。フォルセティはこれ見よがしのため息をつき、振り返った。シャゼリは扉の先で待っており、部屋には入ってきていない。

 目が合ったまま逸らさないフォルセティに、シャゼリは眉を顰めて聞いた。

「なんだ」

「監視警戒を怠らない、っていうんだったらこの待遇はだいぶ甘いですよ」

「どういう意味だ」

「言ったとおりです。たとえばこの城」

 そこでフォルセティは言葉を切って片膝をつき、左のグローブを意味ありげに外すと手のひらを石の床にべったりついて続けた。

「表から見えない北の棟はかなり木造部分が多い。その裏手の石積みは急作りのままの箇所がありますね? 組み方が甘くて劣化が目立つ。そこの目地から生えてきてる中に結構たちの悪い蔓性のやつがいるから、放っとくと近いうちに崩れます。そしたらそこを足がかりに侵入して火を放つのは簡単だなあ。東側からなら風の通り道も多そうだし、乾燥してるからきっとあっという間に燃え広がる」

 フォルセティは部屋の中を見回しながら立ち上がったが、彼の語ったことは部屋の外のことばかりだ。いずれもシャゼリが案内してきたルートとはほとんど関係がない、見えるはずもない部分のこと。地竜と結んだプライアの業にシャゼリが奥歯を噛むのがわかった。フォルセティは踏み込んだ。

「少なくとも我が国は専守防衛です。そちらが何もしてこない限りこちらも手を出さない。だから僕も今の情報をあなたがたに悪いように利用するつもりはありません。ただ手札に加えただけで」

「……やり方が……汚い」

 シャゼリが苦虫を噛みつぶしたような顔で絞り出した言葉は場違いに素直だった。フォルセティは気の抜けた声で答えた。

「いやまだ汚くないでしょ」

「まだ?」

「だって俺は別に、優位に立ちたくて今の情報を披露したわけじゃないし。無意味な意地悪でもされない限りはあんたらに特別反感もない。むしろ手の内明かしたことの意味をくみ取ってくださいよ。つーわけで今のは手土産みたいなもんと思って、確認してもらって。そんで事実だってなったら改修の参考にでもしてください」

 シャゼリの眉が解かれ、毒気を抜かれた表情になった。フォルセティは内心ほくそ笑み、しかし表にはそれよりずっと純朴な笑顔を浮かべて問うた。

「ところでさっきの件は」

「さっきの。なんだったか」

「だーから。俺はルーシェに、俺に触ってほしくなさそうなやつを取りにきてもらいたいんですって。別にシルカも来てもいいし。なんならあんたがまるごと持ってってくれて、ルーシェが取り分けた残りを返してもらってもいいですけど。とにかく俺が触ってあんた経由で渡すのだけは避けたいの。わかるでしょ? 下着とか! 女の子の!」

 フォルセティはつかつかと扉のそばまで戻ると、呆気にとられた顔のシャゼリに両手を合わせて頭を下げた。

「頼むよ。仲良くしましょうよ。ね」

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