2 / 竜の御使い

 ここからガイエルまでの道のりと宿場の数は、昨日フォルセティが祝福を与えた宿の女性がふたりの部屋で朝食を用意しながら教えてくれた。もちろん特別待遇である。

 もうルーシェはフォルセティに毒見をさせていない。やめる、と伝えたときフォルセティは渋ったが、ルーシェが譲らないので折れた。もっとも彼はそのあとも、ルーシェの皿から四分の一くらいを最初に取り分けてもらっている。毒見用ではなく、単純に食べる量の違いである。必ずルーシェより先に食べ始めるのは、食い意地が張っているのか彼なりに思うところがあるのかは、わからない。


 宿が昨日の礼だと言って包んでくれた携帯用の昼食を荷物の一番上に詰め、ふたりとネコは精算を済ませて宿を出た。オトは少し先に発たせている。ふたりは宿場を貫く通りを、来た側とは反対方向に向かって歩いていった。

 通り沿いには宿が多いがいくつか商店もあり、もうどれも開いている。旅具の販売や修繕をする店の前には馬が一頭繋がれていた。主はきっと店の中だ。店先に吊るされた商品は、ふたりの祖国のそれとはかなり違った。こんなに保温性を重視しているものはユーレでは見かけない。

「わりと人がいるのね」

「この先はたぶんもっと増えるよ。別方面からの道も合流するし」

 ルーシェは少し名残惜しそうに、あとにしたばかりの町を振り返った。

 さっき通ったゲートは、夜は閉ざせるよう大きな観音開きの扉が取り付けられているが、今は完全に左右に押し開けられている。ルーシェたちの次に町を出たのはロバに荷車を引かせた二人組だった。荷は肩ほどまでの高さに積みあげた木箱で、中身はわからない。こもが被せられ、ひとりが後ろから押してロバを加勢しているが、荷物の上では一頭の耳の垂れた茶色い犬がどことなく誇らしげな顔で前を向き、尻尾を振りながら踏ん張っていた。ルーシェはその車輪が立てる重たそうな音に、中身は何かな、と考えながら再び前を向いた。


 なんとなく、思っていたガイエルとは印象が違ってきている。ルーシェがイシトから聞き、またフォルセティ=トロイエの本から想像したガイエルの王タイガは野心的で、冷徹。その彼が育て上げた国のこともルーシェには、とてもではないが好きになれるとは思えなかった。しかし、ガイエルを目指す人々の顔は必ずしも暗いものではない。

 ルーシェは歩きながら少しだけフォルセティに寄ると、脇見をしていた彼を軽く小突いた。

「いたっ」

「えっ、ごめん。あの、ガイエルってどういう国なの?」

「俺だって知らないよ。ご存じでしょうが」

「そうだけど。なんか、思ってたのと違う気がしてきてて」

 ルーシェは後ろを気にしながら言った。さっきの犬はいつの間にか荷物の上で伏せているが、尻尾は相変わらずだ。

「私、勝手に、極悪非道の王だって思ってた。だから国も、民を押さえつけるような」

「ああ……でもまだわからないよ。誰が見るかやどこを見るかによって印象は変わるはずだし。だいたい俺たちと同じ目的で向かってる人なんかいないだろうし」

「それもそうなんだけど……ううん。そうね」

 ルーシェは空を見上げた。彼女の違和感を否定しないフォルセティも、きっと同じように感じている。少し先でオトが輪を描くように飛んでいた。


 引き続く旅程は順調そのもので、フォルセティが予言したとおり交通量は増えた——日を追うごとに、思った以上に。ルーシェたちと同じようにガイエルを目指すものもあれば、反対方向から向かってくるものもある。大荷物のものが多いが、ルーシェたちよりも身軽なものも見かけた。年齢性別も様々だ。少年少女と猫の組み合わせに興味を示すものは少なくなく、フォルセティの一見して聖職者とわかる衣装はそれに拍車をかけた。何人かとは少しばかり世間話をし、持ち物を交換したりもした。フォルセティの祝福は珍しがられた。

 道沿いの宿場も、順を追って大きくなった。最初の宿場は商店は数えるほどだったが、次はもうガイエルというここは十分に都市と呼べる規模と機能を備えている。

 荷車が二台ずつ並んでも行き違えるくらいには幅がある道の両脇に軒を連ねる商店は、生鮮品であったり家財家具であったりを専門的に取り扱っているところもあり、半分くらいは明らかに旅人向けではない。路地を覗いた先にも建物が並び、軒先に取り込まれ損ねた洗濯物がはためいている。日が落ちたばかりで、空は真っ赤だ。

 ルーシェは抱き上げたネコで暖をとりながら、フォルセティが宿を選ぶのについていった。アルファンネルからもらったお金は使わなければならないことも増えて、残り二割を切るくらいまで減ってしまったが、次がガイエルならそんなに心配ないだろう。なにしろその手前でふたりはユーレからの人ならざる使者と合流するのだから。


 ふたりの最後の宿は、両隣に賑やかなグループが部屋を取っており、騒がしかった。ルーシェは明日に備えて休みたかったので、笑い声が聞こえるたびに恨めしそうに壁を睨んだりしていたのだが、フォルセティは気にする様子もない。彼は隣のベッドの上であぐらをかき、これまでに調べた水場などをまとめたあの図面を開いて腕組みをしている。

 ふたりはユーレを出て最初のうちこそきちんと別々の部屋を取っていたが、風の民との同行の中で、当然のように同じテントで(皆に交じって)雑魚寝をしたりしているうちに、なんとなく気にするほうが恥ずかしい感じになって、ふたり旅になってからももうずっと同じ部屋だ。さすがに見られたくない荷物をいじるのは背中を向けてやるし、着替えるときには出ていってもらっているが、そのときもフォルセティの対応ときたらあっさりしたもので、まるでルーシェが神経質すぎるかのように思えてくる。

 実際、そんなことはないはずなのだが——ルーシェはフォルセティの見ていた図面から、少しだけ目線を上げた。図面に目を落としている彼の頬は前より日焼けしている。髪もちょっと伸びたように見えるが、実際はそんな程度ではなく、鬱陶しくなるたびに適当に自分で切っているはずだ。

 ルーシェの視線に気づいたフォルセティが顔を上げた。

「なに?」

「え? あ、日焼けしたなって……」

「それはそっちもじゃん? でも俺は筋肉もついたよ。荷物重いからさあ。あなたに持たせるわけにもいかないし」

「筋肉ってそんなすぐにつくものなの?」

 フォルセティは口をとがらせ、袖を肩までまくると腕を伸ばして見せつけてきた。ルーシェは彼のもともとを意識して見ていたわけではないので、それが彼の言うとおりなのかは正直なところわからなかったが、確かにルーシェの、肩から肘までストンと落ちた二の腕とは全く違う。肘から先だって、ルーシェのはあんなに筋張っていない。彼女は素直に「ありがとう」と頭を下げた。フォルセティは満足げに腕を下ろした。


 それから彼はネコとルーシェとに確認しながら図面にいくつかの書き込みをし、仕上げた図面は手を伸ばして隣のベッドのルーシェに渡した。明日水竜と合流したら、オトには一旦ふたりのところを離脱して、それをドルジのところに持っていってもらうのだという。

 清浄な水の情報は、あの土地の死産を減らす一助になるかもしれない。もちろんそれだけですべてが解決するはずもないのだが、それでも情報はないよりずっとましなはずだ。ルーシェは彼が書いた文字をなぞり、それが意外に整った筆跡であることになんとなくうれしくなった。目を細めたルーシェに、フォルセティは怪訝な顔をした。

「なんかおかしいこと書いてあった?」

「大丈夫。ドルジさんに届けるのよね。私も少しメッセージ書いてもいいかな」

「いいよ。書くものある?」

 ルーシェは「貸して」と言いながら手を伸ばし、ペンを受け取ると図面の端にこちょこちょと小さな字で文章を書き込み、息を吹いてインクを乾かした。それから彼女は図面をきれいに折りたたみ、フォルセティに返した。彼はそれを荷物の中に大事そうに詰めた。


 次の朝はよく晴れて、いつもより風も弱く空が高かった。

 両隣の部屋は、昨晩わりと遅くまで騒いでいたせいか朝は遅そうだ。ふたりは寝不足気味のまま、静かな廊下をネコを先頭にそろりそろりと歩いて通り抜けると、宿をあとにし、朝食は外でとった。

 道にはみ出すくらいまでテーブルと椅子とを並べた店で、野菜といぶした塩漬け肉の薄切り、それから少しだけ果物が挟まったパンを食べる。店員によれば肉は自家製で、果物は昨日、野菜はさっき届いたばかりだと言う。大きな口を開けて思い切り噛みつくと、しゃきしゃきと音が鳴った。香ばしく焼かれたパンに肉の塩気と果物の甘味酸味の組み合わせは、期待していなかったルーシェをかなり感動させた。

 ルーシェは二切れ目も遠慮なく口いっぱいに頬張りながら、あの犬の乗った荷車を思い出し、この野菜もあんな感じで運ばれてきたのだろうかと考えた。色々な材料が、色々な人の手を経て各地から集まり、今ひとつの食べ物としてルーシェの手の中に(それから胃に)収まったのだと考えると少し胸に迫るものさえある。犬の妙に誇らしげな顔を思い出すと、自然と相好が崩れた。フォルセティはルーシェの倍食べた。

 それからふたりは別の店で、途中で食べる携帯食を調達し、ガイエルまでの最後の旅程を始めた。ガイエルの壁が見えてきたのは、正午を過ぎ昼食を終えて、また少し歩いたころだった。


 水竜とどこで合流するかについて、詳しい調整は何もされていない。それでも落ち合えるのはこちらにネコがいるからだ。ネコは上空のオトを呼び寄せた。フォルセティはオトの脚に昨日仕上げた図面を結びつけ、ふたりの来しかたへと向かわせた。

 これで空からの見張りがいなくなる。ルーシェは不安を口にしかけて、やめた。オトを見送った視界の端に、きらきらした光が見えた。ふたりはネコを抱え上げ、そちらに向かって走った。途中で何人かが空を見上げている横を通り過ぎた。


 その光はまさに、ルーシェがメーヴェの食堂で見たタペストリーそのものだった。あれは夜の絵だったが、明るい昼間であってもこれほどまでに美しい。

 ふたりが見守る中、その竜は上空で一度舵を切り、ガイエル王城の真上を見せつけるように横切ってから、優雅にふたりの前に降り立った。

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