7 / 箱庭の子どもたち

 ルーシェとフォルセティはクレタを見、アルファンネルも顔を上げた。

 シルカは無表情のままクレタを凝視したが、クレタが目を逸らそうとしないのでため息をついて答えた。

「あれがおまえの話を聞くかな」

「聞き入れるとは思ってない。でも私が、言いたいことがある」

「帰りは保証しないが、いいか」

「大丈夫よ。帰りは私があんたを連れて帰るから」

 シルカは一瞬言葉を失い、少しだけ間を置いてけらけら笑った。ルーシェは思わずクレタとシルカとを見比べた。クレタもつられて笑うかと思ったが、彼女は表情を変えずに淡々と続けた。

「私にはあんたのいる場所のことはよくわからない。どれだけ厳しい環境なのかも知らない。でもそれを話で聞いただけで、はいわかりましたって引っ込むのも嫌。本当に無理なんだなって納得するまでは」

「納得したあとでは遅い」

「それならそれで自分で後悔するだけだから。あんたを恨んだりしない。私のすることの責任は私がとる。あんたは見てて」

 シルカはクレタをじっと見、それから再び大きなため息をつくと後ろを振り返った。アルファンネルがこちらを見ている。彼女は繕い物を足元の籠にしまうと、膝の上に手を重ね、静かな調子で言った。

「フィーはルーシェを連れて、お戻り」

「そうします」

 フォルセティが迷いなく答え、ルーシェは思わず彼を見た。しかし彼はまっすぐアルファンネルを見ているだけだった。


 アルファンネルがルーシェたちに、クレタへの同行も、ここへの長居も許さないのは当然だ。一国の王女が国交もない、友好的でさえないと思われる国においそれと乗り込むわけにはいかない。そしてあの本から読み解いたことを踏まえれば、ここもいずれきっと安全ではなくなる。そんなことはルーシェも十分理解している。でも。

 ルーシェは、アルファンネルがクレタを止めようとはしないだろうと思っていた。だからもしかしたら自分もと思っていた。そういう子どもじみた甘ったれた淡い期待が、幻想に過ぎなかったとわかっただけ。彼女は肩を落とした。


 クレタはいつものように眼帯をすると、すくと立ち上がった。

「ごめんね。あなたたちが帰るのを見送るつもりでいたけど、私、やりたいことができた」

 ルーシェは座ったままクレタを見上げ、微笑んだ。

「私、あなたのそういう、決めたらすぐ動くところ気持ちよくて、好きよ」

「ありがと。また会いに行くからね。何年後になるかわからないけど」

 ふたりの会話を頬杖をついて見ていたフォルセティがユーレのある方角に目を向け、ふたたびふたりに目を戻した。シルカも席を立ち、外されていた眼帯を乱暴に手にすると、クレタに向かって顎をしゃくった。

「これは? していたほうがいいのか? 鬱陶しいんだがな、距離感もつかみづらくなるし……」

「お願い。次あんたがここに戻ってきたら、そのあとはもうずっと外してていいから」

 シルカは肩をすくめると、おとなしく眼帯で左の目を隠し、見える右目でアルファンネルを一瞥した。その視線の先を追ったルーシェに見えたアルファンネルの表情は柔らかく、ルーシェはそれを少し、意外だな、と思った。


 ほどなくクレタはシルカとともにアルファンネルの家を辞した。

 ルーシェたちとはもう会うことはないかもしれないのに、だからこそそれを意識したくないかのようにも感じられる、至極あっさりとした別れだった。フォルセティと一緒に玄関の外まで出てふたりを見送ったルーシェは、その姿が見えなくなるとその場で大きなため息をつき、下を向いた。

 アルファンネルの指示は、そしてフォルセティの選択も、正しい。わかっている。正しいのだ。けれども。

「私たちだけ逃げるみたいで。やだな」

「俺も」

 ルーシェは間髪入れずに答えたフォルセティを見た。でも、まだだ。彼女は努めて冷静に、顔を前に戻すと両手を腰に当て、独り言のふりをして言った。

「せめてクレタの手助けだけでも、行けたらいいんだけど」

「方法はある。けど簡単じゃない」

 フォルセティは行く気だ。確信したルーシェはもう一度彼を見、今度ははっきりと彼に向かって言った。

「ここを、帰国するふりして出て。そのあとあなたが反対しなければ行けるでしょ? 危ないと思ったらすぐに逃げれば。ネコちゃんもいるし」

「いや、それだけじゃだめだ、帰国したときに俺がやばい。今度は国内の、風の民の露店なんかじゃないんだ。そんなとこに連れてったとかバレたら今度こそやばい。だからそれを補って余りある成果を持って帰って目くらましにする」

 ルーシェは彼にとってさしあたり、ルーシェの考えたようなことよりも彼の両親(から叱られること)のほうが重大なのだと気づき、一瞬呆気にとられた。しかしよく考えれば彼は出国前、曲がりなりにもガイエルの陰謀を嗅ぎつけてシルカに釘を刺され、その前に好奇心から毒物であるおそれのあるものまで口にした、そういう鋭さと無鉄砲さが合体して浅慮と深慮が矛盾なく同居している男である。イシトを森から連れ出したときだってそうだった。

「未解決のことはまだあるんだ」

 フォルセティは少し早口になりながら言うと周りを見回してから、笑いをかみ殺しているルーシェの手を引き、アルファンネルの家に入った。


 玄関を閉めるとその場に立ったまま、フォルセティはアルファンネルに聞こえないよう、ひそひそ声でルーシェに言った。

「レヴィオがルーシェと一緒に、耳飾りを買いに行ったことがあったろ、十年くらい前。俺が両親からしこたま叱られたやつ」

 ルーシェは、再び始めた繕い物の手を止め不思議そうにこちらを見ているアルファンネルに愛想笑いをし、フォルセティを引っ張って食卓寄りの位置までつれていった。

「覚えてるわ。最初におばあさまに会ったときでしょ」

 ルーシェの声は普通の大きさで、フォルセティは思わずアルファンネルを見たが、アルファンネルは聞いていないとでも言うかのように顔を背けた。フォルセティは肩を落とすとルーシェのほうを向き、ルーシェ同様、普通の声量で話し始めた。

「俺、あのときも結構、露店で出てたもの食ったんだよ。でもあのときは何もなかったし、体調崩した人が続出なんて話も聞いてない。だけどガイエルが風の民にここの土地を提供して、あの本に書かれた目論見に着手したのはそれより前だったはずだ。だから、奥の山が原因で土の汚染が、っていうならなんであのときは大丈夫だったのか、そこにちゃんとした理由があるならガイエルの目論見にそれは最初から織り込まれていたのか。もしガイエルにとっても想定外の事態だったとすれば」

 フォルセティ=トロイエが手がけたあの本の書き込みに手がかりになる記述はなかった。しかしルーシェたちが風の民のところへ耳飾りを探しに行ったのは、そのナイトがこの世を去ったあとのことだ。フォルセティは続けた。

「とすれば。ガイエルは気づいた時点で軌道修正をするはずだ。そしたら、その内容を突き止めさえすれば、俺たちはあの本より新しくて正確な情報をユーレに提供できる」

 それなりの手土産になると思う、という言葉だけ少しトーンを落としたフォルセティを前に、ルーシェは思い出すように上を見た。フォルセティの言うことがなんとなく突飛な気がして、でもそれが実際突飛でもなんでもなかったことが以前もあった気がして、ルーシェは冷静になろうと必死で自分の記憶をたぐり寄せた。


 あの当時の風の民のキャンプがどんなだったか、明確な記憶がない。はっきり覚えているのはアルファンネルのテントや、その中の様子くらいだ。温かい色の織物に囲まれた、薄暗くて狭く、それでいてなんとなく懐かしいところ。この家とよく似ていた。ルーシェは視線を戻した。

「その頃はまだ汚染されてなかった、と考えるのは難しいの?」

「土地自体にそのころ大きな変動があったとかならわかるんだけど。そういう話は特にないし、だいたあの本が書かれた時点で既に、のはずだから」

「じゃあその頃は土の毒が植物に取り込まれない理由が何か、別にあったのかしら」

 ルーシェは少し考えて、指折り数えて年数を遡った。

 あのころルーシェはいくつで、ということはクレタやシルカも同じくらいだ。クレタに聞いた、クレタがイヴァレットのところから逃げてきたのも同じくらい。ということはイヴァレットが風の民のもとを離れたのも似たような時期。

 ううん、とルーシェは唸った。

「例えばそのころは、この部族の先視だったイヴァレットが、自分の竜の虫を使って仲間のいる土地を清浄にしてたとか」

「虫だけじゃ無理だよ、そこまで複雑なことは」

「そうなの? 私には竜と、竜の虫の切り分けがよくわからないんだけど。あなたの地竜にならできる?」

 フォルセティは、たぶんな、と答えた。

「でもよほど広範囲に影響を及ぼそうとするんでもなければ、地竜なら誰でもいいと思う。自称首座のやつじゃなくても」

「ならエルジェシルの地竜にもできそうね。どんな竜だったのか、私にはわからないけど……」

「エルジェシルって誰?」

 フォルセティが眉を顰め、ルーシェはそこで初めて彼女がイシトから聞いたエルジェシルと地竜の話をろくにフォルセティに伝えていなかったことを思い出した。

 ルーシェは慌てて彼にイシトから聞いた話をした。フォルセティは顔色を色々に変え、最後に大きく長いため息をついた。

「それが森の空気が都合良く調合されてる理由か。その話もうちょっと早く聞きたかったな」

「ごめん。なんかタイミングが合わなくて……そうこうしてるうち、あなたとネコちゃんがあんまりさくさく解決してくものだから、もう話した気になってた」

「ルーシェがその話聞いたのはいつなの」

「森に、イシトを連れに戻ろうって提案する前よ。寝ているときに、夢の中みたいなところで。言わなかったかしら」

 確かにフォルセティはルーシェから、夢の中でイシトに会ったと聞いたことはある。そのときルーシェの話を深掘りしなかったことをいささか後悔しながら、彼は人差し指で眉間を搔くと、それをそのまま鼻の頭まで下ろし、一瞬何か言いかけたものの口を閉じた。ルーシェは眉を寄せた。

「なに?」

「もしかしてそういうの、初めてじゃない?」

「森に入る前にもあったわよ。フォルセティ=トロイエを最初に見たとき。嵐の中の後ろ姿みたいなのだったから、話はしていないけど。それがどうかした?」

 フォルセティは眉を顰めたまましばらく黙っていたが、頭を振った。

「いや、なんでもない。でもとりあえず、エルジェシルの地竜の線はないと思う」

「どうして?」

「エルジェシルの地竜が死んだのはその、エルジェシルがイヴァレットを生んだころとそう違わないはずだろ。クレタたちは俺たちとほぼ同い年だから、たぶんその親であるイヴァレットは俺の両親とか、女王陛下や旦那さんとあんまり歳変わらないじゃん。そしたら前回ここの連中がユーレに行った、俺がいくつだあのとき……ああもう、とにかくあの時点でもうその地竜はとっくに死んでる、たぶん。だから」

 ルーシェは思わず両手を見た。指折り数えて確認するにも何を数えていいかわからない。揃って下を向き狼狽しているふたりは、アルファンネルがこちらを見て苦笑いしているのにも気がつかなかった。

「クソ、こうなったら」

 フォルセティの言葉にルーシェは顔を上げた。彼は右手を口元にやると、下を向き腹立たしそうに言った。

「あいつに聞こう。むかつくけど」

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