3 / 騎士の葬送
その後、室内でどんな話がされ、そして何が起きたのかをルーシェは知らない。
フォルセティが扉を開け、もういいよ、と言って彼女とクレタ(そしてネコ)を招き入れたとき、アルファンネルは椅子に掛けたまま膝の上で手を重ね、下を向いていた。
イシトは緩やかな立ち姿で腕を組み、ルーシェたちには背を向けている。肩越しにルーシェを一瞥した彼の目は、これまでの榛色ではなかった。
ノイシュトバルトの、あの竜の不気味で鮮やかな青色だ。ルーシェは思わず後ずさり、真後ろにいたクレタにぶつかってしまった。クレタは後ろからルーシェの両肩を支え、「大丈夫?」と聞きながら前を見、イシトの姿を目にした。
彼は悠然とルーシェたちのほうに向き直った。
「……エリトデルオーマ」
クレタが険しい顔で睨みつけると、イシトはにんまりと笑った。
「それでもいい。今年はね」
「なぜおまえが森を離れている」
「僕が取引をしたから。ふたりのフォルセティと」
クレタがフォルセティを見ると、彼は一度だけ首を振った。それは否定とも、肯定とも見える。ルーシェは三人を順番に見、それからアルファンネルを見て、気を取り直したようにそのそばに寄ると両膝をついた。オトがばさばさと羽音を立てて、部屋の隅に収まっていたネコのところへ飛んでいった。
「おばあさま」
アルファンネルは少しだけ顔を上げた。
「あの。ナイト・フォルセティ=トロイエとは? お話は?」
「あの子なら、最後の役目を果たして、いってしまった」
ルーシェがイシトを振り向くと、彼は少し首を傾げてみせた。
「そういう約束だったからね。だから僕は彼が死してなおその女性のもとにたどり着き、伝えるべきことを伝えるまで彼に協力した」
ルーシェは、約束、と繰り返した。
「でもフォルセティ=トロイエは、あなたのことを……」
「彼の望みはただ目的の達成にあったから、そこに至る過程の選択において、きみたちに対する誠実さは優先順位の低い要素だった。現にきみたちは彼が僕の『被害者』だと思ったからこそ彼に同情し彼を信用したし、彼をそこから連れ出すことにもしたのだろう?」
「フォルセティ=トロイエは私たちを利用したの? 亡くなって、それでもまだおじいさまのお
「そう言って差し支えないのではないかな。彼がその先王とやらに与えられた『忠誠』の名は、彼にとってはその正しさの担保であるとともに彼の行動指針を限定するものだったから」
ルーシェは眉間に皺を寄せたまま立ち上がった。その言い方はまるで、その名が彼を任務に縛り付けていたとでも言うかのようだ。そのために彼が此岸を離れることを許されなかったかのようにも。
「あの人にとっての呪いは、本当はおじいさまだったということ?」
「それを評価するのは僕の役割ではない」
「ルーシェ」
不意にフォルセティが口を挟んだので、ルーシェは思わず振り返って噛みついた。
「何よ」
「今日は、もうやめよう」
「でも」
「王妃も疲れてる。明日にしよう。とにかく今日はもう」
ルーシェは言い返そうとしたが、そのとき見たフォルセティの顔が憔悴しきっていたので一瞬躊躇し、それから長いため息をついた。
「……わかった。そうね。ごめんなさい、周りが見えてなかった」
ルーシェはアルファンネルの前で腰をかがめ、膝に置かれた皺の多い手に自分の手を重ねて、また来ます、とささやいた。それから彼女は後ろを振り向いた。クレタがいる。彼女はまだイシトを威嚇するように睨んでいた。ルーシェは大きく息を吸い、それをゆっくり吐いてからクレタを呼んだ。
「私たち、今日の寝床を確保しないといけないのだけど」
クレタは急に我に返ったように、慌ててルーシェを見た。
「ごめん、そうだった。私とシルカが使ってるところがあるの、ここにいる間はそこで」
「ありがとう。案内してくれる?」
「もちろん。ああでも……ファランと、そいつ……」
クレタがイシトを牽制するようにちらちら見ながら言うと、アルファンネルは顔を上げた。いまだ沈んだ顔ではあったが、ルーシェは不思議と力強さも感じた。
「おやめクレタ、私は大丈夫。ただあんたとふたりになるのはぞっとしないから、あんたもお行き」
そう言いながらアルファンネルが見たのはイシトのほうだ。彼はにっこり笑って、もちろん、と言うとその場から姿を消した。ルーシェはアルファンネルに頭を下げた。
「ごめんなさい、おばあさま。私、自分のことばかりだったわね」
「仕方がないさ。明日は朝ご飯を食べにおいで、張り切って用意しておくからね」
「いえ、手伝いに来ます。ね」
ルーシェが振り向くとフォルセティは目を見開いて、ああ、はい、などとその場しのぎの返事をした。アルファンネルはそれにさも楽しげに笑った。
「そうかい。期待しないでおくよ」
アルファンネルがルーシェにようやく見せた笑顔であった。ルーシェは少しだけほっとして、では、と言ってその場を辞した。
「では。おやすみなさい、おばあさま」
「おやすみ。良い夢を」
クレタを先頭に三人とネコが外に出、扉が閉まると、クレタは跳ね返るようにふたりのほうを振り向いた。
「あなたたちが言ってたファランに会わせたい人ってあいつのことじゃなかったよね」
クレタはフォルセティに食ってかかるようにたたみかけた。
「どうしてあいつが森を離れてるの? まさかあなたたち、連れ出したの?」
「片方だけ置いてくるような都合のいいことは無理だよ。あれはフォルセティ=トロイエと切り離せない竜で、今は俺と契約状態にある」
「取引ってそういうこと? でもなんで?」
フォルセティは目を泳がせた。ため息をついたクレタは扉を見つめ、少し考えてから再び問うた。
「私とルーシェが外で待ってる間、中で何があったか教えてくれる?」
「別に何も……」
フォルセティが言葉尻を濁すと、クレタは眉間に皺を寄せながら首をひねった。
「わざわざあなただけ残されたのよ。何もないわけがないよね、説明して」
「だから……フォルセティ=トロイエがアルファンネルに耳打ちして、アルファンネルが頷いて、そんであの人が俺のほうを向いて、じゃあな、健闘を祈る、つって」
「つって?」
「なんか、急に立ちくらみみたいに目の前が暗くなって……気がついたらあの人はもういなくて、ノイシュトバルトが。んでルーシェたちを入れてやれって言われて」
フォルセティはそこで黙り込んだ。クレタが落胆した顔で、それだけなの? と確認したが、フォルセティは頷いたまま顔を上げなかった。ルーシェは彼が今までにないくらいか細く見えて、思わずふたりの間に割って入った。
「ごめんクレタ。もともと私の発案で、フォルセティは乗り気じゃなかったのよ。シルカに狙われた本のこと、おばあさまに見てもらって、自分がそれを書いたって言ったあの人にも説明してほしくて。それで私が説得したの。でもあの人にあんな目的があったなんて私たち全然知らなくて。こんなふうになることも想像してなくて。私たちも今ちょっと混乱してて」
「うん、本のこと聞きたいとは言ってたもんね……それは、その気持ちはわかるよ、私にも。でもさ森の魔物は」
クレタはそこで言葉を切り、一歩下がると腰に両手を当ててため息をつき、しばらく下を向いていたが、にわかに顔を上げると腕を伸ばし、左の奥を指さした。
「私の住まい、この先の、軒先にリボンを干してあるところ。シルカの衣装のやつ。覚えてる?」
ルーシェは祖国でシルカに会ったときのことを思い出し、頷いた。
「ファランが心配だから私はちょっと戻るけど、ふたりは先に行ってて。鍵とかないからすぐ入れるし、寝床は適当に準備してもらっていいから。疲れてるだろうし、先に寝てて」
「ありがとう。ごめんね。おばあさまのこと任せて」
「私の恩人でもあるからね。気にしないで」
クレタは俯いたままのフォルセティを一瞥し、ルーシェにだけ「じゃあね」と言って、アルファンネルの家に再び入っていった。
扉が閉まってしまうのを確認し、ルーシェは後ろのフォルセティを振り返った。彼はルーシェが心配したほどには落ち込んだ顔ではなかったが、それでもかなり疲れが色濃かった。
「大丈夫? ごめんね。クレタがあんなに怒ると思ってなかった」
「いや、仕方ないと思う、俺たちの説明が足りてなかったよ。あの森のそばの町の人たちが、森の魔物をネタに金を得てるのは俺たちも知ってた。だからクレタは、俺たちがそれを無視してあいつも一緒に連れ出してるなんて思ってもいなかったんじゃないかな。連れが彼らの権益を奪ったなんてことになったら、今後クレタたちはあの森を通りにくくなるだろ。だったら、何してくれてんだってなるのは当然だよ」
はっとしたルーシェはクレタが消えた扉を見、唇を固く結んでから再び視線をフォルセティに戻した。もしフォルセティがイシトと結ぶのを渋っていた理由にそれもあったのだとしたら、思い至りもしなかったルーシェが浅慮だったというほかない。しかし。
「それはそうかもしれない。でも」
「いいんだそれは、あとでできる範囲で責任とろう。だけど今は」
フォルセティは少し躊躇して、しかし意を決したように顔を上げた。
「あのさ。俺、あの人にもっと聞きたいこととか、あったはずなんだよ。でもあれがあの人本人だって思いたくなくて。というか、思っちゃいけないと思ってて。それで、ここ来るまでの間に話す時間せっかくあったのに。変に意地張って、全然話せてなくて、何を聞きたいかさえ考えないようにしてて。それが、なんかさ」
フォルセティの言葉は最初こそ慌てて言い訳をするような勢いだったが、段々途切れがちになり、最後は絞り出すようになった。ルーシェはそれを、聞いているしかできなかった。
「こんなにいきなり別れることになると思ってなかった。おかしいな。とっくに死んでる人のはずだったんだけど。だけどあの人。俺には今、本当に逝ってしまったような気がする」
フォルセティは下を向いたまま、鼻をこするともう一度「おかしいよな」と言った。
彼はその晩、床につくまで、ほとんど言葉を発しなかった。
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