9 / 大樹の息吹
「なんで? 何を?」
フォルセティは眉を顰めながら言った。さらに続けようとする彼を遮るように、ルーシェは返事をした。
「クレタが言ってたの。おばあさまがフォルセティ=トロイエに伝えたいことがあったって」
「そんな言うけどもう死んだ人だから諦めてるでしょ。だいたい前も言ったけどさ、俺はあいつがあの人だとは認めてないんだよ」
「知ってる。だから確かめも兼ねてよ。生前のフォルセティ=トロイエを知ってるおばあさまならわかるでしょう?」
フォルセティはため息をついて肩を落とした。
「確かめならネコができるって言ったじゃん」
「でもあなた、させようとしないままあの場を離れてここまで来ちゃったじゃない。やらせる気なかったんでしょ。何を怖がってるの?」
ぐ、と言い詰まる音がした。ルーシェは少し待ち、でもフォルセティが何も言わないので話を続けた。
「別に私にだって、ノイシュトバルトとフォルセティ=トロイエが同一だなんて確信はないのよ。でもそこはあんまり重要じゃない気がして。大事なのは、会いたいと思っている人の望みに適う人物であるか。それだけ」
「アルファンネル妃が喜ぶかもしれないから会わせてみたいってこと?」
「簡単に言うと、そう」
ふうん、と呟くとフォルセティはしばらく眉を寄せて考え込み、それから立ち止まってルーシェのほうを見た。数歩進んで立ち止まったルーシェが、なに、と聞くと、フォルセティは「いや」と答えて再び進み出し、ルーシェの横に並んだ。歩きながら話すが、一行の最後尾からは既にそれなりに離れてしまっている。
「そんでもし別人だってなったらどうすんの」
「そのときはお帰りいただけばいいわ」
「お帰りいただくってどうやって?」
「私たち、今からちょっと戻って、彼を連れ出すの。それでおばあさまに会ってもらうけど、もしあなたがダメだと思うことがあれば切ってもらって構わない。そしたらあなたの予想では彼はまた森に戻るはずでしょ? いい案だと思うんだけど」
「待って。全然良くない」
ルーシェは立ち止まり、フォルセティをまじまじと見た。
「だめかしら」
「無理。それってあいつと俺が一旦結べってことでしょ。そういうのはあっちとこっちの意思が合致しないとできない。あいつがそんなこと応じるとは思えない」
「あなたは別にいいのね?」
「そうは言ってない」
フォルセティの表情は困惑というより怒っているように見える。ルーシェは頭の上からオトを両手で包むように下ろすと、口元に寄せてごにょごにょと言付けをしてから放った。オトは前の一行のほうへ飛んでいった。フォルセティはそれを眉を顰めて見送り、とにかく、と続けた。
「あんな得体の知れないやつと一時的なりとも契約するなんてごめんだ」
「あら、じゃあ今あなたが契っている竜は得体が知れてるの? その、威張り散らす首座の地竜は」
「母さんから譲り受けたんだから大丈夫だよ」
「そんな話はしてないの。得体は。知れてるの? どこからきたどういうモノなのか、なぜあなたと契っているのか。あなたはしっかり確認できてる? 自信ある?」
フォルセティが言葉に詰まっているのを見、ルーシェはたたみかけた。
「相手のことを理解した上でことを始めようなんてもともと無理なのよ。私たち、たぶん、相手が人間であってさえ、その人のすべてを知りきることなんかできない。少しずつわかってくることはあるけど、それでもたぶん全然、全部には届かない。ただ、期待外れな部分に出会ったとして、それも受け入れたいなら自分が折り合いをつけるしダメなら別れるだけ。最初どれだけ知ってる気になってたって、そんなの気休めでしかない」
「なんでそんなに会わせたいの」
「さっきも言ったでしょう。あと、これよ」
ルーシェは肩から斜めがけにしていた荷物を叩いた。平たく固いものに布越しに手のひらが当たる音がした。フォルセティは、ああ、と声を漏らした。
「本か」
「そう。これのことを知りたいの。今でも王宮に侵入してまで回収しようとする人がいるこの本の価値の理由を、私は知りたい。おばあさまならわかるかもしれない。わからなくても、おばあさまにならフォルセティ=トロイエは答えてくれるかも」
あのとき向かい合わせに座って話をしたフォルセティ=トロイエが、王妃であったことはあれども国王ではなかったアルファンネルにやすやすと口を割ってくれるとは、ルーシェには思えなかった。しかし母、現国王デュートの話では、フォルセティ=トロイエは前国王夫妻とは親子のように親しかったはずだ。少なくともルーシェとよりは、ずっと信頼関係があるはず。ルーシェはダメ押しで言った。
「あなたが怪我してまでシルカから守った本よ」
フォルセティは大きく、長いため息をついた。
オトが戻ってきた。目下にネコを連れている。ふたりのところまでたどりついたネコは、戻るの? と聞いてきた。
「みんな先に行ってるってよ」
ネコは一行のほうを振り向いたが、もう背中もかなり小さくなっている。尻尾を立てて見上げてきたネコにルーシェは答えた。
「この先は一本道だって聞いてるから大丈夫。この前の森まで、おばあさまに渡すプレゼントを取りに戻りたいの。みんなとは離れてしまうけど、あなたもいるなら心配ないわよね」
ネコは顎をしゃくるように上げ、「そうだな」と言った。
「まあ、それなりに役に立つよ」
「良かった。頼りにしてるわ」
フォルセティはそのやりとりを見ながら肩をすくめ、そんじゃあ、と後ろを振り向いた。
戻りついた頃には、日はすっかり暮れていた。黒い木々が柵のように視野を塞ぎ、その先は天を突き刺すようだ。空には雲が出ていて、月のあるあたりだけほの明るかった。
明日の晩には目的地に着くと言っていた一行ももうテントを張っている頃だ。ルーシェたちはネコと合流したときと同じ場所に戻った。今回はクレタの花虫がいないから、かなり肌寒かった。風が凪いでくれているだけましといえばましだが、じっとしていると足元から体温が吸い取られるような気がする。ルーシェはフォルセティとの間にネコを挟んで腰掛け、折った膝に伏せるようにして朝を迎えた。
そうして次の日、ルーシェたちはいつものように食事をし、再びノイシュトバルトの森に立ち入った。
ネコがひげを前に向けて先頭を歩いていく。軽い足取りはルーシェをかなり安心させた。フォルセティは気の進まなさがそのまま現れたような歩みで、ルーシェはときどき前から、彼の衣装から垂れ下がっている紐を引っ張って引き寄せなければならなかった。
彼が身につけているのは聖職者ならではのもので、サプレマほどではないけれども、緻密な柄が織り出されたり、地色と同じ色の刺繍を施されたりした贅沢な布が使われている。色石を繋いで巻き付けられている紐も、それなりに値の張る染料で染められたものだ。ルーシェはこの旅程で彼から、そのそれぞれになんらかの意味があるという話を聞いたけれども、大半はもう忘れてしまった。
シルカと対峙したときに傷つけられた部分は、身重の女が馬車の中でうまいこと繕ってくれた。全く同じ色の糸がなかったと言っていたが、ルーシェの目からはどこが修繕されたのかさえわからなかった。
もうすぐ目的の位置だ。風の民の巡業路を折り返し地点から同行してきたのだから、それなりに長い旅程を来たはずだし、日数だってかかっている。でもユーレを出たのがそんなに前だという感覚もなかったから、ルーシェはいろいろなことを思い出すたびに新鮮な気分になり、それに自分でも少し驚いた。
ノイシュトバルトが現れたところまで戻ってきた。あのときは気がつかなかったが、とても大きな切り株がある。ルーシェが夢で見たものとよく似ていた。でも、この先にも森は続いている。ということは延焼を食い止めるために森の主が切り倒されたあとも、焼け焦げたこの森は——それは元とは完全に一致した形ではなかったかもしれないが——再生したのだ。
たとえそれが天を刺す黒い槍のように見えても、森の端からここまでの木々は、この森が命を繋いできた証であった。
「そうだったのね」
ルーシェは呟くと、大樹の切り株に手を広げて抱きついた。フォルセティがぎょっとした顔をした。
「何してんだ」
「この切り株は以前のこの森の主。地竜と結んでこの森を守っていたんですって」
「木が?」
「らしいのよ」
フォルセティはネコを見た。切り株の根元で、ネコは素知らぬ顔をしている。ルーシェは大きく深呼吸をすると切り株から離れた。
「そんなことができるのが人間だけだ、っていう考え方はおこがましいそうよ」
「それもノイシュトバルトが言った?」
ネコが否定しなかったせいで、フォルセティの言葉には覇気も怒気も毒気も力もなかった。ルーシェは頷き、周りを見渡した。
梢の高いところを、風が舐めていった。木々のざわつく音がする。ネコのひげはぺったりと頬にはりついていた。
ルーシェはフォルセティを見、彼が頷くのを確認してから息を吸い、よく通る声で呼び掛けた。
「ノイシュトバルト。あなたを迎えにきました」
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