5 / 老猫は語る

 ネコはルーシェたちに向かって「おい」と言った。

 ルーシェが面食らっているのを横に、フォルセティは肩をすくめ、ネコの前にしゃがみ込んだ。ネコは座ったまま続けた。その声は少年のようだ。

「頼まれたから、来てやったぞ」

「別に頼んでないよ」

「オレがマスターに頼まれたんだってば。だいたいオレがおまえの言うこと聞く義理ないじゃん」

「じゃなくて俺が母さんに頼んでないって言ってるんだって」

 ネコはやれやれとでも言いたげに、体同様黒い鼻をつんと上げると、長いしっぽを付け根から大きく振った。両者を交互に見つめているルーシェには目もくれず、ネコは続けた。

「おまえが出てったあとに、マスターが女王様に呼ばれてお城の大掃除をしたんだよ。そしたらいっぱい竜の虫が見つかったんだ。で、普通は絶対そんなにいないから、なんでだろうってなって。だから、そのうちの一匹を使って、誰が忍び込ませたか調べたんだよ。そしたらガイエル王のところにいる虫使いの女にたどりついたんだ」

「クレタのお母さんだわ」

 ルーシェが声を上げると、ネコは少し目を細めて彼女を見、すぐに正面のフォルセティのほうを向き直った。

「おまえの友だちか?」

「ルーシェのこと?」

「ちがうよ。お姫様は知ってるよ、こないだもうちに来たじゃん。そうじゃなくてクレタっていうのは友だちなの? って聞いてんの」

 ね、とネコはルーシェのほうを向き、少し耳を傾けた。ルーシェはそのネコに見覚えはなかったので、首を傾げてフォルセティを見た。フォルセティは肩をすくめ、ネコを見た。ネコはがっくりと肩を——肩かどうかわからないほどのなで肩だが——落とした。

「なんでェ、忘れちゃってんの……」

「私、しゃべる猫に会っていたらたぶん、忘れないと思うの。でも今日あなたに会ってとても驚いたから、あなたに会ったのは初めてだと思う」

 ネコはその答えにすいと金の目を細め、まあいいや、と呟いて立ち上がった。

「とにかく、その虫使いがどうやら良からぬことを企んでいるみたいだってんで、マスターはおまえを心配してオレにおまえの手伝いをしろって言ってきたの。でもおまえと契約してるのは翠嵐すいらんだろ。だからオレは翠嵐が行けばいいじゃんって言ったんだけど、あいつ、お姫様が連れてるのは吹虫だからオレのほうがいいとかもっともらしいこと言って断ったの。そんで、仕方ねーからオレがおまえのあとを追ってきたのね。はるばるここまで」

「良からぬことって?」

 フォルセティは眉を顰めて立ち上がり、森とは逆の、クレタたちが向かったほうに顔を向けた。そちらは今は夜の闇、何も見ることができない。しかしガイエルがあるのもあちらのはずだ。

「よくわかんないよ。ただ、深入りしてほしくなさそうな感じだったみたいで地味に脅してきたって。言うとおりにしないなら自分の娘を差し向けるぞ、つって」

「娘」

 フォルセティは首を傾げてしばらく考え、ああ、と一瞬上を向いてから言った。

「クレタじゃなくてシルカのほうか。ならもう来たけど、それと関係あったんかな」

「わかんない、オレ詳しくないし。マスターもぶっちゃけ詳しい事情とかどうでもいいけどお姫様と、あと一応息子が大怪我したりしたらまずいからフフフよろしく、みたいな」

「母さんらしいや……」


 何がなにやらという顔で棒立ちになっていたルーシェを振り返ると、フォルセティはネコを指さして言った。

「そいつは母さんの竜なんだ。吹虫の親玉、風の竜」

「竜なの?」

 ネコなのに? とルーシェが怪訝な顔で見下ろすと、ネコはまた、にやあんとわざとらしく鳴いてみせ、その様子にフォルセティは肩をすくめた。

「オトもだけど、竜とか竜の虫とかは決まった姿を持っているわけじゃないんだ。だからおのおの好きな姿で現れるし、契約相手がいるときには相手に合わせた姿をとることもある。ルーシェはたぶん、うちに来たときに、この姿じゃなかったネコを見てるんだと思う」

「そういえば子どもがいた気がするわ」

 ルーシェは、まだ国を出る前——あれはクレタと初めて会った頃だ——フォルセティの家を訪ねて夕食をごちそうになったときのことを思い出した。この家は両親とフォルセティの三人家族のはずなのに、と思ったものだ。ネコの「マスター」、これはフォルセティの母親であるサプレマのことだ。その竜がふたり(人という数え方が正しいのかはわからないが)。フォルセティの竜がひとり。確かそれで六人所帯だった。人間離れした色の髪や目をした三人のうち、たしかにひとり、このネコと同じ金の目をした子どもがいた気がする。

「あれがあなたなの?」

 ルーシェが聞くと、ネコは鼻を鳴らし、言った。

「人間は見た目で判断しすぎるよね」

「そう……そうね。私たちは特別鼻がいいわけでもなければ、相手の心のうちを覗けるわけでもないから」

 そういいながらルーシェは森の奥に目をやった。たった今、それでフォルセティと話をしたばかりだ。フォルセティ=トロイエの記憶を持ったノイシュトバルト。その姿も死せる騎士のものなのだろうか。

「あなたは森の中で黒い竜に会わなかった?」

 ルーシェはネコに尋ね、その首を傾げる様子を見て返事を悟った。ノイシュトバルトがネコに気づかないはずはないだろう。ならばきっと彼は敢えて、ネコに自分の庭を通ることを許した。

「あの森に竜がいんの? そんな感じしなかったけど」

「私たちはそこで竜に会ったのよ。そのせいで、風の民のみんなには先に行ってもらっているのだけど」

「え? もしかしてやりあったのか?」

 怪訝な顔でフォルセティを見上げたネコに、フォルセティは首を振った。

「そいつフォルセティ=トロイエのふりをしてルーシェに近づいたんだ」

「は? どういうこと?」

 フォルセティはそれまでの経緯をネコに伝え、ネコは生返事をしながら森に目を凝らした。金の目がひときわ輝いて見える。


 沈黙が続く。フォルセティはどんな言葉を期待しているのだろう。森の奥を見つめ続けるネコを見下ろすフォルセティを、ルーシェは遠慮がちに見た。しかしそのあとネコが口を開き、そこから出た言葉はおそらくフォルセティの期待とは違っていた。

「そいつたぶん本物だよ」

 ネコは一度首を傾げ、それからフォルセティのほうに向き直った。眉を寄せて聞き直したフォルセティにネコは繰り返した。

「だから本物だって」

「なんでだよ。あの人はずっと昔に死んでるはずだろ」

「いっぺん死んだって、同じ体に同じ記憶が入ってたらそれは本人じゃないの? おまえ的には別人になるの?」

「俺的にじゃなくてもなるだろ。人間は死んだら生き返らないんだよ。あれはあの人の体と記憶を利用してるだけの、赤の他人だ」

「そうかなあ。死ぬ前かあとかってそんなに重要?」

 オレはそうは思わないけど、と呟くと、ネコはひたひたと歩いてルーシェの足許に腰を下ろし、顔を真上に上げた。

「お姫様はどう思うの」

 ルーシェは少し思案して、それから遠慮がちに口を開いた。

「……私は、フォルセティ=トロイエのあの人と、ノイシュトバルトのあの人と。両方としゃべってみて、どっちも嘘をついてるとか、演技してるとか、そういうふうには思えなかったから……だから、偽物とか、そんな話じゃなくって。フォルセティ=トロイエに、ノイシュトバルトが同居して、代わるわるひとつの体を使ってるのかなって、そんな感じがした。人の嘘を見抜ける自信はないから、あくまで私はそう感じたっていうだけなのだけど、もしそうなのだったら、やっぱり別の人ではないと思う」

 たどたどしく答えたルーシェに「そうだろ」と返したネコは、強力な味方を得たかのように自信ありげな顔でフォルセティを見上げた。

「オレは思うんだけどね、もしそれがフィーの思ってるように死人の見た目をかたどっただけの竜で、誰かから奪った記憶をなぞって演技をしてるからその人に見えるだけだとかいうんだったら、オレはたぶん森を抜けるときに、あっ竜がいるなって気がついたはずなの。でもそれがなかったから、あいつが起きてるときには竜の意識はないんだと思う。で、もともと体のない、意識だけが宙を浮いてる竜の『意識がない』のは、人間で言う『死んでる』と一緒なんだ。だからそのときには、その体は完全にあいつのものなんじゃないかな。一旦は灰になった体ではあるけどね……」

 フォルセティは腕を組み、うなだれるように下を向いてしばらく唸っていたが、しまいには大きなため息をついて顔を上げ、ルーシェを見た。

「結局ルーシェが正しかったっていうこと?」

「正誤の問題じゃないと思うわ。生きていること、死ぬことの意味づけが違うだけよ」


 フォルセティはそのまま首を傾げ、考え込んでしまった。あくまで納得しない彼にルーシェは肩をすくめると、足許のネコを見下ろし、ねえ、と話しかけた。

「せめて話し方くらい、フォルセティ=トロイエと同じってことを確認できたら。そしたら演技なんかじゃないって信じてもらえるかもしれないのに。フォルセティは妙にあの人につっかかるのよ。こっちが申し訳なくなるくらい」

 不服げに口を尖らせ、目だけをルーシェに向けたフォルセティに彼女は肩をすくめた。

「慎重になってるのはわかるし、ありがたいとも思うけれど……でも私は、ノイシュトバルトがあの人を騙ってるとは思えないし、あの人には聞きたいことがたくさんあるのよ」

 ため息をついたルーシェを見上げ、ネコは澄ました顔で答えた。

「ま、そのうち機会があるよ」

「彼には会うこともあるかもしれないけど、本物を知ってる人がいないのはどうしようもないわ。比べるべき正解を私たちは知らないの。フォルセティの話だと、たぶんコンベルサティオ卿ならわかるのだろうけど、来てもらうわけにもいかないし……」

「それならオレがわかるよ」

 ルーシェが目を見開いたのとほぼ同時にフォルセティが顔を上げて瞬きをした。ネコは自慢げにフンと鼻を鳴らした。

「オレはマスターが生まれる前からユーレにいるんだぞ。あいつはマスターのお父さんと仲が良かったからオレも何回も会ったことあるし話もした。死に目にはあってないけど、においだって覚えてる。いいやつだったよ」

 ルーシェがフォルセティのほうを見ると、彼はそれに瞬きで返事をした。彼にとっても思いもよらない返事だったのだろう——彼なら、思い至ってもいいはずのことなのだが。ただ今はそんなことより一生懸命、口に出すべき質問を絞っているように見える。

 しかしネコはそれ以上その話を続ける気はないようだった。彼はあくびをしながら伸びをすると、ルーシェの荷物のほうに歩み寄り、その上を前足を器用に使ってならしてから上手い具合に収まって、すぐにその場で丸まり寝息を立て始めてしまった。


 クレタの放った花虫がふたり(と一匹と一羽)のところに着いたので、一行は少しだけ温かく、目覚めを迎えることができた。

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