6 / 「魔物」のかたち

 並んでキャンプに戻る途中も、フォルセティはずっと押し黙っていた。ルーシェは居心地の悪さを感じ、とにかく何かしゃべろうと話題をひねり出して口を開きかけた。しかしフォルセティがそれとほぼ同時に話しだしたので、ルーシェは結局言葉を呑み込んだ。

「森の魔物のお伽噺を聞いた?」

「お伽噺」

 ルーシェは繰り返してから、いいえ、と答えた。ルーシェをちらと見たフォルセティはまた視線を前に戻し、その「お伽噺」を聞かせた。それは彼の歩みに合わせて訥々とつとつと語られたものだったが、ルーシェは、ふうんと気のない返事をしただけだった。

「もしかして知ってた?」

「ううん、そうじゃなくて。私にとって身近なお伽噺とは雰囲気が違うな、と思っただけ」

 違う、と呟いたフォルセティに肩をすくめ、ルーシェは続けた。

「私に馴染みがあるのは、今現在とは切り離された過去のことだったり別の世界だったりのことで、私とは直接関係ないっていうか。でも今話してくれたのは、ここは今でもそうなのですって話でしょう、私たちと地続きで。それが、なんていうか」

 ルーシェが言葉を選ぶのをフォルセティは待っている。その沈黙はルーシェを少し急かされたような気にさせた。

「だから、その、うまく言葉にならないんだけど。伝えたいことのほうが先に、明確にあって。話からメッセージが生まれたのではなく、メッセージがあるから話に託した。そういう順番で生まれたものなのかな、と思った」

「実際そうみたいだよ。魔物の話はとにかくいろんなバリエーションがあって」

 でもそのすべてが、彼を敵視しても逆効果だと警告している——フォルセティはそう結んだ。彼とは魔物のことだ。

「つまり友好的に接すれば安全だということ?」

 ルーシェは、ついさっきまで話をしていた人ならざるものを思い浮かべながら尋ねた。たぶんね、とフォルセティは答えた。

「もっとも、敵意がないことを示すには、魔物の正しい名前を知っている必要があってさ。だけどその名前はなぜか頻繁に変わる。ひと月を待たずに変わることさえあるってんで。そんで常に最新の名前を知っているのが、今日ドルジさんとシルカが訪ねてったばあさんだよ」

 フォルセティはため息をついてから続けた。

「つまり『魔物』はお伽噺を通して、その名前が森を抜ける切符になっているんだ。そしてその切符を手に入れるため、森を通り抜けようとするものは切符売りのばあさんに代金を払わなければならない。この町や、ここの人の生活は、そういうシステムで維持されている」

「え? お金の話なの?」

「みたいなんだよ。がっかりだよなあ、なんか。そんなことのために『お伽噺』と名付けられた話が量産されてる」

 目をしばたたかせているルーシェに肩をすくめてみせ、彼は続けた。

「俺はさ、それ聞いて、本当は魔物なんかいないんだろうなと思ったんだ。深い森は人間に恐れをいだかせる。だからそれを魔物に仕立て上げて利用してるだけ。この痩せた土地で人間が生きるために仕方ないんだろうけど、そこで言う魔物って結局……」

 人間が恐怖心から作り出した暗い影に魔物という形を与えたのは人間で、その形とは要するに、嘘だ。ただそれは日々の糧を得る手段の少ないこのエリアでは一概には責められないこと——フォルセティの解釈は、こうだ。

 その解釈が正しければ、ノイシュトバルトはたぶん「魔物」とは関係がない。フォルセティは彼を(厳密には彼の気配を)怖いと言ったが、魔物と結びつけはせず、先の結論に至った。ルーシェはため息をついた。


 ルーシェにとってノイシュトバルトは「魔物」だ。理解や共感の範囲を超えた、彼の秩序に生きるもの。しかし彼が在ること自体は否定ができないから受け入れるしかない。そしてそれと同じように、ここにはここの秩序がある。お伽噺という嘘はその秩序のひとつ。

 フォルセティは不満げだ。真実を重んじる素朴な正義感があるなら、そんな秩序を許したくはないだろう。その気持ちはルーシェにもわかる——けれども。ルーシェは頭を振った。

「いろんな場所に、それぞれルールがあるのよ。それにたぶん、みんな敢えて異を唱えず黙っているんでしょう」

「だと思うよ、俺にわかるくらいだから。だますほうもだまされるほうも、どっちもわかっているんだ。そうしないと争いになると知っているから、黙ってだまし、だまされている」

「そうした形をとって、皆が理解の上でだまされたことにして、それで穏やかに済むのなら、それはそれで別にいいんじゃないかな」

 ルーシェは歩みを緩めずに前を向いたまま答えた。フォルセティが目をしばたたかせる。ルーシェは怪訝な顔で彼を見た。

「なに?」

「ルーシェは怒るかと思った。公正じゃない、つって」

「怒っても仕方ないでしょ。クレタは『魔物はいる』と言った。ならばクレタや、ほかの人たちにとっても魔物は『いる』のでしょう。それでいいじゃない。ここと、私たちの国とでは事情が違う。私たちが知ったかぶって判断することじゃないと思う」

 それに——ルーシェは小さな声で続けた。

「いないことを証明できないのなら、やっぱり、いないと断定するのは良くないし」

 今度はフォルセティが、はあ、とため息をついた。彼は立ち止まり、感慨深げに呟いた。

「なんか、俺がガキみたいだな」

「え? そうかしら」

「いや、……うん。ごめん」

「なんで謝るのよ」

 眉を寄せて聞いたルーシェにフォルセティは、別に、と答えて再び歩き出した。

 風の民のキャンプは、もうすぐだ。 


 夕飯の前に、ドルジが皆を集めて言った。魔物の名前は「エリトデルオーマ」、蔦を染めるもの。出会ったときにはまずその名を呼ぶこと、と。

 誰もが了解の返事をした。ただ真剣な顔をしているのは子どもたちだけだ。大人は皆、その名を呼ぶことなどないと考えているのは明白だった。フォルセティはその様子を見、肩を落とした。

 ルーシェにもフォルセティの気持ちは理解はできる。わかりきった嘘にだまされたふりをしなければならないのは、どう考えたってしゃくだ。昨日までなら怒っていただろうとルーシェ自身も思う。

 しかしここの秩序は、そんな嘘もまた大事な糸として織り上がっている。他所から来た、ここを通り過ぎるだけのものが頭ごなしに否定しても、なんの意味もない。このあたりでは、その嘘は必要なものだから。他人からすれば一見不合理に見えることにだって、理由があることがある。

 ノイシュトバルトの「秩序」——ルーシェは、暗くかすみかけた森に目を細めた。

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