7 / 鳥籠と鳥、そして空
太陽が天頂に向かう時間、シルカは色の溢れるイヴァレットの庭を全く無関心のまま通り抜け、王城を出るとまばらな草の生える外に出た。
高い塀をそこから見上げる。緩やかな勾配に作られたこの都市の中で、山を背にした一番高いところに作られた城。ここにはガイエルが征服した様々な部族から、人質として娘が献上されてきた。そのそれぞれが後宮に部屋を与えられ、何ひとつ不自由のない、しかし自由はひとつもない暮らしを送っている。
ガイエルの首都は、それ自体がひとつの町をなしている城である。自然の砦である急峻な山のふもとに核となる王の居所を置くと、王はその前を守るように建物を建てる指示をし、町は扇のように広がった。その街区に庇護を与えるため、王は街区ごと城を囲む塀を築いた。その塀の内側は、最近でこそ都市としての再整備が進んでいるが、道を通し直すための解体がされたあと、堅牢なものに建て替えが終わった建物はごくわずかで、大半は現在も進行中だ。全く手付かずのところもある。
そうした工事の音、外から入ってきた物品をやりとりする市場。住民だけでなく、離れた属邦からの使いなども、皆平等に塀のところどころに
その塀の外。足元の
クレタは自分を待っているという。しかしそこに戻ることを望むかどうかなど、考えることさえ愚かだ。一度飼い慣らされた鳥に、空に戻る翼はもうない。
一方のルーシェたちはと言えばのんびりしたもので、次第にガイエル領に近い気候の地域に入ってきたものの、相変わらずシャルムジカもクレタも(そして他の同業の女性たちも)驚くほどの薄着だった。薄いというより露出が多いというべきか。
寒くないのかとルーシェが尋ねても、クレタは全然という顔をして肩をすくめてみせるだけだ。やせ我慢をしている様子もない。生物は長い間にそれぞれの地に適応した進化をするというが、これがそうなのかと思えばそういうわけでもないらしい。
「花虫がいるのよ」とクレタが言うので、ルーシェは思わず周りを見回した。花虫と言えば火竜の虫のはずだ。しかしその羽音はしない。クレタは一行の真ん中ほど、馬の背の上で揺られる大きなテント状の籠を指さした。
「もしかして、シルカのテントの中?」
「そう。先視の籠は常に真ん中にして移動するからね。あそこで花虫が頑張っていれば、まあ数十人程度なら温かくいられるの」
「でもこの辺は寒くない?」
手を広げてルーシェは周りを示してみせた。しかし、それは、と苦笑したクレタはルーシェの頭の上を指さした。
「あなたの周りだけ吹虫の領域なのよ。だから風は凪ぐかもしれないけど、花虫の加護は及ばない」
「そうなの」
ルーシェは見えるはずのない頭上のオトを見上げ、肩を落としてため息をついた。つむじのあたりでオトがもぞもぞと動くのがわかった。
ルーシェとクレタとは列のほぼ最後尾にいて、その後ろにはフォルセティしかいない。彼はシルカと対峙したあとも表面上は特に変わった様子をみせなかったが、それでもこうして移動をしているときには少し距離を置くことが増えた。前のように真横にいると周辺の様子がわかりにくいのか、それ以外の理由によるのかはわからないが、とにかくルーシェは以前ほどには彼と話す時間がなくなった。
その代わりのように、疑惑を払拭したついでに秘密まで共有するようになったクレタがほとんどいつも隣にいてくれたので、ルーシェは孤独を感じることはなかった。それでも少し物足りなく思うのも事実だ。
クレタの話では、アルファンネル——ファランは、一族の歴代の中でも名うての占い師と評判だという。ここで言う占いとはすなわち、先を視ること。その彼女と立てた、一族の皆をだますという突飛な一人二役作戦が未だどうにかうまくいっていることが何よりの証明だとクレタは笑い、ルーシェもそれにはもっともだと思った。
少なくとも周りは、気づいているそぶりは見せようとしない。それが本当に「気づいていない」という意味なのか、それとも「気づいていないことにしている」というだけなのか。それを確かめようとする愚かさは、クレタにも彼女にもなかった。
ルーシェは、アルファンネルに会ったら何を話そうかと考えている。自分のこと、母のこと。フォルセティのこともだ、そして母が話してくれたフォルセティ=トロイエのことも。しかし彼女が風の民と旅を共にしている目的はそれだけではない。
シルカの求める「フォルセティの青い本」の本当の意味、そこに隠された真実を、そして風の民が「病を振りまく」と言われたその原因を突き止めることを、彼女は忘れたり、諦めたりするつもりはなかった。
国を出る前は笑い話程度にしか思っていなかったのに、フォルセティが言っていた「陰謀」とやらが現実味を帯びてきていると強く感じる。シルカ、その母、そして彼女を手元に置くガイエル王。ガイエル王が風の民に与えた土地シオン。 すべてが一本の糸で繋がっている。絡まったそれを解く鍵をアルファンネルとこの本が握っている。ルーシェにはそんな気がしてならなかった。
今は色褪せてしまったインクで施された四重の円。犬を掴んで飛び上がる鳥。最後にその鳥を食べてしまう犬。そして汚された王冠。これらが示すものは、きっと過ぎ去った歴史などではない。
ナイトが王に知らせるに値する情報——それは、王女であるとはいえ小娘に過ぎない自分にとっては手に余るものだとルーシェも思う。しかし真実を「知る」だけなら誰にでも許されているはずだ。
ルーシェは、斜めがけした鞄の紐を胸元で握りしめた。そうして背負われた鞄の中から、あの本の角が歩くたびに背中に当たって存在を主張していた。それは彼女の背の少し向こうにいるフォルセティが、あるいはその本の主であった故フォルセティ=トロイエが己の存在を喚起しているようでもあった。
自分の背をふたりのフォルセティが守ってくれている。彼女はそう感じ、握った手を緩めると、薄くかすんだ青空を見上げ、足を踏み出した。
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