7 / 道行、ふたたび

 フォルセティが見当をつけたとおり、メーヴェの町を後にしてから二日目には、ふたりは風の民の一行に追いついた。しかし借りた馬は次の町で返さなければならないので、まだ郊外をゆっくり進んでいるクレタたちとその場で合流することはできない。結局ふたりは先回りして次の経由地に馬を置いたら、そこから徒歩で少し戻って落ち合うことにした。


 はじめ追いついたときにクレタは笑顔で「おかえり」と言ったが、フォルセティからあんな話を聞いたあとだ。この笑顔を信用していいものかわからずルーシェは目を泳がせた。それを見たクレタは体調でも悪いのか尋ねてきたので、ルーシェはぎこちない笑みを返した。

 一方フォルセティは、少し離れている間にすっかりシャルムジカにはいじられ役としての役割が定着してしまったようで、彼女に後ろから抱きしめられて(というより羽交い締めにされて)もがいていた。あれがシャルムジカだから遊びだとわかるものの、それでもルーシェにはあまり楽しいものではなかった。やめろよとはっきり言えばいいのにとも思うのだが——それはしかし、フォルセティらしくはない気もする。

 とにかくふたりはそうして一度合流した風の民にすぐに別れを告げ、一行の最後尾から列の脇を一気に馬で駆け抜けた。

 シルカがいると聞いた籠の横を通ったが、中の様子を窺うことはできなかった。


 距離に応じた料金を払うと、ふたりはクレタたちと打ち合わせたとおり馬貸しの宿を離れて町の郊外へ向かった。

 この名も知らぬ町は全体的に雑然としていて、積まれた灰色のブロックは石か焼き物かもよくわからない不揃いなものだった。道も幅こそそれなりだが、あまりきれいな舗装はされておらず、いかにも中継地として慌てて作られたままの集落である。

 晴れているから良いものの、この雰囲気や彩りでは、曇りや雨の日には憂鬱な気分をさらに沈めてみせることだろう。ここはメーヴェやふたりの故郷グライトに比べれば、感じる風も乾いていて冷たかった。内陸を旅してきた風だ。

 馬貸しの宿は町の端に寄ったところにあったので、少し歩けば隙間だらけの柵で囲まれた町の境界が見えてきた。粗末なものから立派なものまで、厚いものも薄いものも、さまざまな服を着た旅人が行き交うその境界を越え、ふたりはまた再び横に並ぶとクレタたちの一行を目指した。

 道の両脇は荒れ地で、道自体もほとんど舗装はされていないが、交通量は意外にあった。黄色っぽい砂地にところどころ緑や黄色のしおれかけた草が生え、背の低い茂みの向こうには頼りない太さの幹に精一杯の葉を茂らせた樹木も見えた。

 通り過ぎてゆく旅人を目で追い、再び前に目を戻してその奥を見やれば高い山々がそびえている。遠くにかすんで見える、いただきを白く装ったその峰の向こうにも、ルーシェやフォルセティの知らない町があるはずだ。メーヴェで訪ねた男性の話では、フォルセティの両親はかつてその内陸のルートをたどって、今ルーシェたちのいるアドラのさらにその隣国まで旅をしたという。

「ねえ」とルーシェはフォルセティに声を掛け、それに彼は返事をしたが、ルーシェはなんでもない、と返してしまうとまた前を向いて歩き出した。体が温まってきたからか、冷たいと思っていた風が頬に心地よかった。どこか近くにいるらしい小鳥たちの声がちよちよと続いている。


 フォルセティの両親のした旅がどんな目的だったのか、ルーシェは全く知らない。しかしその後ふたりが夫婦の契りを結んだのは事実で、それを考えると彼女はなんとなく温かい気分になった。彼女の知る限りでは夫のコンベルサティオ卿のほうが人懐こく、妻であるサプレマはどこかそっけない印象なのだが、フォルセティの話では家でのふたりはまるで逆だという。

 ルーシェが自分の両親を、仕事上もプライベートもあまり変わらないなと思い出しながら歩いていると、一行の先頭が見えてきた。フォルセティが大きく右手を振ると、先頭を歩いていた男が肩の高さで手を振り返した。

 ふたりはそこで立ち止まって最後尾を待ち、シャルムジカの熱烈な歓迎を受けた。


 やがて列が脇道に逸れたので、ルーシェたちもそれに従った。踏み固められた道であることには変わりがないが、今までのが両手を広げてふたり分はあろうかという幅だったのに対して、こちらはせいぜい大人の男の肩幅程度だ。脇道というより獣道と呼ぶほうがふさわしそうだった。

 その先に何があるのかは茂みの向こうになっていてルーシェにはわからなかったが、あの先頭の男はきっと目的があってこちらの道を選んだのだろう。それを信用してついていくと案の定、テントを張るのにうってつけの場所が広がっていた。紐をかける太めの樹木に囲まれた、いびつな円形の空き地だった。

 町から離れたこの辺りは、暗くなると通る人もほとんどいない。茂みの隙間を抜けた先となれば尚更だ。ここはルーシェたちの貸し切り状態だった。

 遠くで山犬の遠吠えを聞きながら、ルーシェはクレタたちの賑やかな夜を眺めた。メーヴェでは息を潜めるようにしていたし、その後は風の民とは別れていたから、こんな夜はとても久しぶりな気がした。

 いつの間に仲良くなったのだろうか、フォルセティが同年輩や少し上と見える少年や青年たちと、空き地の中心近くで焚かれた火の前でばか笑いをしているのが見えた。テントがその周りを取り囲むように張られている。中で休んでいるものもあれば、外で楽しんでいるものもあった。

 対してルーシェのほうは、火もテントも遠巻きに、木の根元に腰を下ろし膝の上にオトを置いて、少し遠くからその様子を見ているだけだった。輪の中に入りたい気持ちがないわけではなかったが、あの話のあと、風の民に心を許してはならないという思いと、皆をそうやって疑いたくはないという思いとが葛藤しているのだ。彼女には、だから、フォルセティがあんな脳天気に笑っていられる理由もよくわからなかった。それともあれは演技なのだろうか。奥のテントの陰にシルカの籠が見える。


 フォルセティたちの笑い声を壁の向こうのことのように聞きながら、ルーシェはもたれていた木の梢を見上げた。

 火から離れたここは薄暗く、乾いた葉が風に吹かれてさざめいていた。火を挟んだ向かい側に見える木もそうして音を立て、それはまるでルーシェにはわからない言葉で何か相談をしているようで、彼女は得体の知れない気味悪さを覚えて立ち上がった。振り返ると背後は木々が視界を遮っている。ただでさえ夜の闇だ。何も見えない。

「オト」

 ルーシェは右手に乗せていた竜の虫を呼んだ。茶色い小鳥の形をした吹虫は、それに答えるように羽搏くと彼女の頭の上の定位置に収まった。そのときだ。

 暗い木々の向こうからこちらに向かって、梢のざわめきが急に近づいてくる。ルーシェは片足を引いて身構えた。

 無数の羽音が強い風とともに近づいてきている。なぜそんなことがわかるのか——見えるはずのない風の流れが「見えている」? ルーシェは眼を見開き、咄嗟とっさに片腕で顔を守った。

 彼女の眼前で風と羽音は二手に別れ、両の耳にごうと大きな残響を残して中央の焚き火をひと暴れさせ、向こう側に去っていった。


 音と風の去って行った空を眺めていると、クレタが走ってきた。

 大丈夫、と心配そうに尋ねる彼女は、ルーシェにとっては今一番、少なくともシルカの次に信用してはならない相手だ。だからルーシェは気安く返事はせずに頷くだけで返して、今ひとたび風の来た木々の奥に向け目を細めた。もう暗いだけだ。なんの気配も感じられなかった。

 明るいほうに目をやると、フォルセティがテントに移った火の粉を、仲間と躍起になって払っていた。クレタは振り返ってその様子を眺めていたが、ルーシェのほうに向き直り、やれやれといった顔をしていた彼女に向かって大袈裟に肩をすくめた。

「とても護衛には見えないわ」

「……私もあんまり当てにしてないの」

「本当?」

 クレタはわざとらしいほどにんまりと笑い、ルーシェの目を覗き込んだ。

 ルーシェから見えるクレタの左目は美しく澄んだ青だ。しかしクレタを信用してはならない。ルーシェはその目を睨みつけるように見つめた。クレタもきょとんとルーシェを見ている。そこに見てとれるのは好奇心だけだった。

 クレタが瞬きをした。ルーシェは思わずほっとしたが、次の瞬間クレタが目を押さえてうずくまったので慌てて膝をついた。

「クレタ? どうしたの」

「……睫毛まつげが……目に……」

 ようやく顔を上げたクレタの目には涙が溜まっていた。

 ルーシェは糸が切れたように笑い出した。クレタもその場で笑い始めた。数人がテントのほうからこちらを、何ごとかと呆気に取られた顔で見ていたが、ふたりは気にせずそのまま笑い転げた。

「信用してはならない」と深刻になっていた最近のことがルーシェにはばからしく思えた。そしてそれがなぜか、とてもおかしかった。


 その晩もルーシェは先日と同じく、女性と子どもが眠るテントに入った。ただ、今日は彼女のすぐ隣にクレタがいる。ふたりで薄い毛布を一緒に使い、背中合わせに横になるのは意外に安心できた。最初こそふたりとも言葉も交わさずにくすくすと笑い合っていたが、間もなくルーシェが先に眠りに落ちた。

 同じテントの端ではフォルセティが、隙間風に耐えるように毛布に包まって縮こまっていた。

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