7 / 水面に嘘を、剣に真を

 広場の中央に張られた大きなテントは、ほかとは違って天蓋だけがあるもので、その下には舞台があり、周りを観客が立ち見で囲むようになっている。とは言ってもおよそ「出し物」自体ならあちこちで見られるので、ここで行われるのは中でも集客の見込めるものだけだ。

 ルーシェがそれを視界に捉えたときには太鼓や笛の音が喧噪に混じって聞こえてきていたが、近づいているうちに音楽は止んでしまった。どうやら演目が終了したらしい。目的のクレアリット——クレタと話すためにはちょうど良かった。

 ルーシェがフォルセティを連れて舞台袖に回ると、暗がりに灯る明かりに照らされる通路を、ひときわ鮮やかな衣装を身につけた少女が片手に二本の剣をまとめて携え出てくるところだった。細い腕にそれはずいぶん不釣り合いに思えた。

 右目を眼帯で隠し、右耳の後ろで髪をくくっている彼女の姿は、まるでシルカの鏡像のようだ。しかしふたりに気づいた彼女がまとっていたのはシルカのものよりずっと動きやすそうな——というより露出の多い衣装だったし、彼女がしばたたかせた瞳はシルカのそれとは違って青かった。そう珍しくはない色だし、だからこそルーシェはシルカの目に射抜かれたときに感じた、見透かされているような居心地の悪さも覚えなかった。真正面を歩いてきたクレタは笑顔ですいと右手を挙げた。ルーシェが振り向くと、フォルセティがクレタ以上の笑顔で手を振り返していた。

 シルカに残したのとは違うごく普通の挨拶を済ませ、ルーシェはクレタに尋ねた。

「シルカに聞いたんだけど、あなたが」

「ファランの伝言ね。ちょっと中で待っててくれる? 着替えて、あとこれ片付けてくるからさ。ごめん」

 そう言ってクレタが手の剣を示してみせると、それは刃に炎を映してきらめいた。それから奥のテントを指差した彼女はルーシェが頷くのに笑顔を返すと行ってしまった。

 彼女が示したテントは、ほかのものに比べて薄そうな生地の色も地味なものだ。居住用と割り切られているのかもしれない。ルーシェは素直にフォルセティを連れそこへ向かった。


 これが風の民の基本ということなのか、シルカのいたテントと同じようなテーブルと椅子がある。テーブルにはやはりクロスがかかっていたが、ここには占いなどに使う水盤はない。燭台も装飾はほとんどなく、普段の彼らを垣間みた気がして、ルーシェは椅子に掛けてからも室内をあちこち見回した。

 しかしフォルセティはと言えば、彼女の隣でテーブルに頬杖をついて欠伸をしていたので、ルーシェは思わず彼の肩を小突いた。

「なんだよ」

「なんでそんなにくつろいでるのよ」

「だって来たことあるもん」

 今回風の民がグライトに入ってから、まだ幾日も経っていない。一体いつ来たのだろうとルーシェはいぶかったが、「土地を離れられない男に興味はない」などという情報を持っているのだから、既に何度か会っているのだろう。それは単に風の民の一般論としてということか、それともクレタ個人の考えか——そんなことを考えても意味がないのはわかっているが、前髪をつまんで暇そうにしているフォルセティになら別に聞いても構わないかと思い、ルーシェは口を開きかけた。しかし足音を素早く察知したフォルセティは頬杖を外すと背筋を伸ばしたので、彼女もそれにつられて尋ね損ねてしまった。

「ごめん、お待たせ」

 そう言って入ってきたクレタにルーシェは立ち上がりかけたが、掛けていて、と肩を叩かれたので、結局腰を浮かせただけで終わった。


 クレタを前にしたルーシェは、それとそっくりなシルカを単に「整った顔つき」などと評価するのは足りない気がした。シルカに会ったときは薄暗いテントの中だったし、何より彼女はシルカをあまり好きでなかったので、その顔をじっくりとは直視していない。しかし今まじまじと見たクレタの顔立ちは、同性であるルーシェからも感嘆しか漏れないほど涼やかで美しかった。彼女の舞が中央のテントで演じられるのも頷ける。そしてシルカはこの顔に、あの神秘的なまでの瞳だ。彼女が占いをせず、その場で結果が確かめられない、胡散臭さで言えば占いを上回るだろう「呪い」だけで生計を立てていけるのもわかるような気がした。彼女の言葉を誰にでも有無を言わせず信じさせる、魔法のような空気をまとっている——とでも言えばいいだろうか。

 そうしてクレタをまじまじと見つめていたルーシェに、クレタは苦笑した。

「シルカに嫌な思いさせられなかった?」

「え? あ、ううん」

「隠さないでいいって……代わりに謝らせて、ごめんね。で、ファランのことだけど」

「ファラン?」

「ああ、ごめん。いつもそう呼んでたから。私たちって妙に大袈裟な名前を持っているから、大概そういう普段使い用の短い別名があるわけ、シルカは律儀に呼ぶけど。改めて、アルファンネルの話ね」

 ふたりの向かいに腰掛けたクレタは、後ろから金属製のポットを出してテーブルに置き、カップに水を注いで差し出そうとしたが、一瞬手を止めるとそれを引っ込めた。

 クレタは咳払いをしてから自分はその水を飲み、ルーシェに向き直って尋ねた。

「ファランに聞いた話をそのまますればいいのよね? 質問をされたら答えてあげなさいって言われたけど、もう面倒だから全部話しちゃっていいかな? 大した量じゃないし」

「うん、お願い」

 わかった、と頷くついでにクレタは水をもう一口飲んだ。彼女の手元でぶんと虫の羽音がしたので、ルーシェは眉を顰めて目を凝らしたが、そこにはやはり——先日、シルカに会う前体験したのと同じように——虫の姿はない。もうどこかに飛んでいってしまったのだろうか、けれどもこのテントからは簡単には出られないだろう。薄暗いから見えないだけに違いない。そう思った彼女は室内を見回したが虫を見つけることはできず、怪訝な顔をしたフォルセティと目が合っただけだった。

 どうかした、と尋ねたクレタにルーシェは頭を振った。クレタは話を始めた。

「まず言っておくと、ファランは元気にしてるよ。前回ここに来たあとに私たちの部族は、ちょっと事情があって大きくふたつに分かれたの。ファランはこちら側だったんだけど、あちら側に用があったから残った。それで今回は来てないだけ」

 だから安心して、とクレタは頷いた。自分の心配ごとを把握されていることがルーシェは気になったが、クレタはそれには気を留めずに先を続けた。

「それからたぶんこれが一番の質問だと思うけど、ファランはあなたのおばあさんよ。先王イスタエフ様と結婚して、しばらくこの国に住んでいたそう。ただ夫が没してすぐ起きたクーデターの混乱にまぎれて国を出た。それから苦労してもとの部族に合流したの。私たちのこと。でも娘を置いてきてしまったことを今でも後悔している。あなたのお母さんであるユディリート様。『デュート』ね」


 クレタがあまりにあっさりとルーシェの疑問を解決してしまったので、ルーシェはただ、そう、としか返事ができなかった。

 母にこのことを知らせるべきだろうか。その母がまだ生きていて、今回は来ていないが、元気にしているということを。しかしアルファンネルはまだ十歳だったデュートを置いて国を去ったのだ。そのような母にデュートが会いたいと思っているかは、ルーシェにはわからなかった。

 それに。確かにルーシェも一般には「シャルテッサ」の名をわざわざ公表はしていないが、近しいものは大抵知っている。だがユディリートという名をデュートは娘にすら話したことがなかった。もしかしたら彼女自身、知らないのかもしれない。だとしたら知るべきではないことまで知ってしまった、とルーシェは思った。

 ルーシェが俯いていると、隣でフォルセティが口を開いた。先ほどまであんなふざけた話をしていた彼のことだ。ルーシェは彼を睨みかけたが、彼の口から発されたのはルーシェが思ったような話ではなかった。

「事情ってなに?」

「……部族がふたつに分かれた理由?」

「そう。ルーシェは気にならないの、そこ」

 話を振られたルーシェは肩をすくめてクレタの表情をうかがった。クレタは浮かない顔をしていたが、ため息をついて返事をした。

「私たちに、土地をくれるという国が出てきてね。私たちの部族だけじゃなく、『風の民』と呼ばれる部族のあちこちに声をかけて、皆まとめてひとところに収まったらどうだって言って」

「土地をくれる?」

「そう。風の民なんて言うけど、私たちはもとから流浪の民族だったわけじゃなくて。領地争いに負けて住む場所を追われた亡国の民、っていうだけ。ただもう数百年こうして生きているから、今そんなことを言われても私には別に……なんだけど、一部の人はその話に飛びついた。で、その土地に腰を落ち着けるかどうかで、まっぷたつ。どこの部族もそんな感じみたい」

「じゃあ、今諸国巡りをしているのは反対の人たち?」

「正確には『賛成ではなかった』人かな。絶対嫌って人は結構少なくて、落ち着く土地は欲しいけどその場所じゃ駄目って人とかもいてさ。もともといた場所とも違うからね」


 国があるのが当たり前だと思っていたが、風の民にとってはそれは全く当たり前ではないのだ。ルーシェは目を伏せた。

「簡単じゃないのね」

 クレタは慌てて手を振りながら答えた。

「ごめん、今の話は気にしないで。あなたたちには関係のないことだし……それに私もどっちでもいいかもって思ってるのよね。今は今で楽しいし、でもこうして他所の国に来たら、自分の国や家を持つのも素敵なことだなって思うし」

 三人の間には、少し気まずい空気が流れた。

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