6 / クレアリット

 フォルセティの家は大所帯だ。しかし彼にはきょうだいがあるわけではないし、父母以外の親族の同居もない。居候が多いのである。

 普段こそ人間の姿をしているものの、人には持ち得ない力を使い、あるいはそれをあるじに分け与えつつ、歳も取らない。そういう居候が三柱。今のような平和の世にあっては、彼らがいることで自然災害もほぼないこの国では、彼らの存在感を再確認する機会はほとんどない。だから彼らは手慰みに、主に代わって家事を取り仕切ったり、毎日好き勝手に遊び、ごくまれに申し訳程度に手を貸してきたりする。見返りがなければ一切加勢しないものもある。彼らは基本的に、自由だ。

 ユーレでは国中を探しても、このような世帯はここひとつしかない。彼らはユーレを含むこの大陸で広く信仰されている宗教においては種々の神威そのものとされ、また聖職者プライアと契約を交わすことで現界し、その力を分け与える「竜」である。つまりここの居候はプライアの最高位、最高神官サプレマたるフォルセティの母が契約を交わした竜たちだ。

 サプレマを継ぐべきフォルセティ自身も母から、竜と結ぶ資格の証たる紫の瞳とともに、彼女の竜の一柱を受け継いでいる。だからそのときフォルセティに引き継がれた地竜、翠嵐は現サプレマとはもはや契約関係にはない。しかし先日の女王は、その地竜を頼みとしておきながら、契約者である未成年の息子よりは知己でもある母親のほうが頼れるという理由で、フォルセティではなくサプレマに命を下したのだった。地を統べる竜たちの中でも首座に近いところに座すという翠嵐がそれに付き合ったのは、ほとんど暇つぶしだの小遣い稼ぎだのが理由だ。彼には、今や契約関係にすらないサプレマに従わなければならない理由はない——契約関係にあったときですら、従わないことも多かった個体なのだから。

 彼らは基本的に、自由気まぐれだ。


 何はともあれルーシェは、周囲に気を配りながら遠慮がちに玄関を叩き、夕方だというのに今起きたと言わんばかりの寝癖頭で応対に出たフォルセティの父親にほっとした。

 ルーシェにとっては、幼なじみとは言え五年ぶりに再会したというのになんの感動もなく行ってしまったフォルセティや、ほとんどしゃべったことのない彼の母親それから得体の知れないこの家の居候たちよりは、王宮で度々挨拶を交わしたことがあり、何より自分の母親たる女王に直属する立場のコンベルサティオ卿(つまり今目の前にいる男だ)の方が気安かった。ルーシェは目を白黒させている彼に断る隙も与えないで深々と頭を下げると、ほとんど有無を言わさず晩までその家に居座る権利をちゃっかり勝ち取ってしまった。

 そうして家に上がり込んだルーシェは、奥からのっそり出てきたフォルセティに肩をすくめてみせ、彼の勧めるままテーブルについた。フォルセティはそれを見届けてから自分も向かいに座ったが、彼の頭にも見事な寝癖がついている。ルーシェは思わず父親の方の姿を探したが見当たらなかった。どうやらさっさと奥に引っ込んでしまったようだ。


 フォルセティの父親、ヴィダ=シュッツ・コンベルサティオ卿は、幼い頃からフォルセティとしょっちゅうつるんでいたレヴィオには相当手を焼かされている。そのためか彼はレヴィオとの付き合いにあまり遠慮がなかった。レヴィオもまた彼のことを親友の父親だとか母親の配下だとかいうことは関係なく師と慕っている。

 それに対してルーシェは自分がどうも彼に距離を置かれて——というより遠慮されている気配を感じた。女だからだろうか。この家には娘もないし、扱い方がわからないのかもしれない。でもそれを利用させてもらっている。彼女自身は別に彼を苦手とは思っていない。そんな程度で敬遠していたら、王宮を訪れる誰とも話すことができなくなってしまう。


「で、宮殿下はじきじきにいかがなされたの」

 テーブルに頬杖をついたフォルセティが尋ねると、ルーシェは口を尖らせた。

「その呼び方やめて」

「じゃあルーシェは何をしにきたの?」

 フォルセティが呼び名にこだわる様子を見せなかったので、ルーシェは安堵の息をついた。数日前感じたほどには彼の中身は変わっていないようだ。ルーシェはテーブルに手を組んでから少し身を乗り出し、ひそひそ声で言い出した。

「ついてきて欲しいところがあるの」

「俺に? もしかしてテントのとこ?」

「そう」

 ルーシェに合わせて身を乗り出していたフォルセティは、椅子の背もたれに体を預けながら、それはどうかなァ、と眉を顰めて首の後ろを掻いた。椅子がぎしと鳴った。

 十年ほど前、ルーシェがレヴィオと一緒にアルファンネルと会ったとき、レヴィオがそこに行こうと言い出した発端はフォルセティがレヴィオに話をしたからだ。しかし、ただ「話をした」だけならまだ良かったのだが、あとでルーシェが聞いたところ、フォルセティ自身も行くことは許されていなかったらしい。だから彼が勝手に風の民のテントに出向き、その上それをレヴィオに話して結果的には彼を唆す結果を招いてしまったものだから、それを知った父親に彼はその後こっぴどく叱り飛ばされたという。

 渋い顔で唸って考え込んでしまった彼は、当時の記憶を今蘇らせているのかもしれない。しかしルーシェは引かなかった。もし前と変わらなければ、押せば彼は必ず折れてくれるはずだ。

「今回は私から頼んでるんだから、子どもを唆すのとは事情が違うわ。行き先も用事も決まってるからそんなにうろうろはしないし、私ひとりだと不用心だから一緒についてきてほしい、ってだけだし。後で何か言われそうになっても、私に頼まれたって言えばあなたは大丈夫じゃない?」

「でもさあ、そういう身の回りの警備だったら王宮の人とか、軍の人とかに頼めばいいんじゃないの? 俺じゃ頼りになるか怪しいし、なんなら父さんか母さんに言って……」

「大人にそんなこと頼んだらそもそも行かせてもらえないわよ。一回だけだから、お願い」

 言葉を遮るように言い重ね、ね? と首を傾げたルーシェに抗う術もなく、フォルセティはため息をつくと承諾の返事をした。


 王宮まで送る、と嘘を言ってフォルセティはルーシェと一緒に家を出た。

 その少し前、ちょうど夕飯どきだったので、ルーシェはフォルセティの家で未だ経験したことのない賑やかな夕飯をごちそうになった。各人(ただし人間に限らない)に取り皿を配り、中央に獲物とばかりに堂々たるさまの大皿を配置して、皆で海と空と風と大地に感謝の祈りを捧げたが最後、手加減無用の争奪戦が始まる。ついさっき祈りを捧げられた当の竜までしっかり参戦しているのにはルーシェも驚いたが、フォルセティの母親はルーシェの分だけは前もって取り分けておいてくれたので、彼女はありがたくも食いっぱぐれずに済んだ。

 常にそれぞれの分がそれぞれの器に盛られて順に運ばれてくる、行儀の良い王宮の食事とは大違いだった。しかしそのくせ祈りの途中で手を出すような不届きものもいない。これはこれでルールに則っているのだろう、一応最低限には律儀で紳士的な戦いなのである。

 感謝と別れをフォルセティの両親に告げ、ルーシェは玄関を出て階段を降りるなり背伸びをした。振り返ると玄関はもう閉まっている。この家ではあれが普通なのだ、とルーシェは妙な感心を覚えた。道理でたくましく育つはずだ。


 どこに行くのかを尋ねたフォルセティと並んで、ルーシェは川縁を広場に向かって歩いていった。もうすっかり暗くなっているので、彼女の顔を見ても「晴れの宮」だと気づく人は今のところいないようだった。それでも念のため、彼女は肩のストールをフードのように目深に被って、フォルセティに経緯を説明した。

「私、あのおばあさんは私のおばあさまなんじゃないかって思うのよね」

「はあ? 女王陛下の母君は風の民なの」

「わからない、聞いてみたことないし。私が聞いたのは、おばあさまはお母さまが十歳くらいのときに起きたクーデターで行方不明になったって話だけよ。内容が内容だから、それ以上は聞きにくくて」

 横目にルーシェを見ていたフォルセティは前に視線を向け、そりゃそうだよなあ、と呟いた。それを一瞥し、ルーシェは続けた。

「でもお母さまは、耳飾りは立派なのをたくさん持っているのに風の民が作ったおもちゃみたいなのを大事にしていたし、おばあさまとあのおばあさんの名前も同じだから、たぶん当たってるんじゃないかな」

「ふうん。で、会ってどうすんの」

 ルーシェは眉間に皺を寄せてフォルセティに目をやった。どうするもこうするも会いたいだけなのだ。しかし。

「今回、おばあさまはいらっしゃってないの」

「じゃあ誰に会いに行くつもり」

「おばあさまからの伝言を預かっている……ええと、シルカのお姉さんの」

「クレタ?」

「ううん、クレアリット」

 同じだよ、と返したフォルセティに、そうなのと返事をしたルーシェは、立ち止まるとまじまじとフォルセティを見た。

「知ってるの?」

「両手に剣持って踊る子だよ。同じくらいの歳でさ、明るくて話も面白いし。へそも出てるし顔もきれいだし、もう素晴らしいね。この国にはいないね」

「……あ、そう。そんなに好きなら思いを伝えてみたらどう」

「ところがね宮殿下、ざーんねんなことにだよ。彼女は土地を離れられない男には興味がないのね。そして俺はこれでも次期サプレマだし、一緒に流浪の民になることはできないのね。なんつうかもう、運命に禁じられているわけ」

 ばつが悪そうに肩をすくめたフォルセティは、あーあ、と大きなため息ともなんともつかない声を上げ、背伸びをした。


 フォルセティの言葉は好意を否定していない。ふうん、と呟いたルーシェは、徐々に見えてきたテントの集まる広場から漏れる明かりを水面にゆらめかせる川に目をやり、まだ見ぬクレアリットを想像しようとした。双子だというから、あの鼻持ちならないシルカと顔はよく似ているだろう。しかし「明るくて話しても面白い」シルカとは一体どんなものか。結局想像は徒労に終わり、像を結べなかった。

 ため息はついてみせたくせに、心なしかうれしそうに横を歩いているフォルセティに目を移す。ルーシェは緩く流れる運河に向けて彼を思い切り突き飛ばしてやろうかとも考えたが、護衛の名目で連れてきた彼を自分で被害者にしてしまっては元も子もないので、やめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る