第1部、銀の海

第1章

1 / 耳飾りと占い師

 ユーレ王家に双子の跡取りが生まれてから、風の民がやってくるのはこれが初めてだ。王女たちは六歳を迎えていた。

 ふたりの誕生の数年前までは、ユーレは隣国アドラとの間で緊張関係にあり、国境にはものものしい警備が敷かれていたため、風の民はすぐそばまでやってきても国内に入ることはできなかった。しかしその状況は今は改善され、ユーレは女王デュートの下、アドラと友好関係を保っている。国境をまたぐのもかなり自由になったため、風の民はこのたび十数年ぶりにこの地の土を踏んだ。


 風の民は、国に入るとまず人の多い町を探す。彼らは大きな荷物を引き、あるいは背負い、数十人からときには数百人が一度に入国する。もっとも、ひとくちに風の民と言っても内部はいくつかの部族に分かれているので、大陸の端で小さな半島を領有するだけのユーレにたびたびやってくるのは、そのうちのひとつかふたつに限られていた。

 だから、ユーレの首都グライトには、かつてねんごろにした風の民との再会を喜ぶものもあれば、初めて見る彼らに興味津々のものも、そうでないものもあり、様々な思いを持った市民が、彼らの開く小さな「祭り」を夜な夜な覗くのである。

 彼らの出すものは大道芸的な見世物や、異国の珍しい雑貨、不思議な道具を使ってのまじないや占いをはじめとして多岐に渡る。ぶ厚い布で覆ったテントの中で、あるいは外で蝋燭の火を灯して人々が行き交う姿は、夜の祭りの猥雑さを集約したような独特の雰囲気を放っている。公にはされていないものの、いかがわしい行為が行われているのも周知の事実なので、特に日が落ちてからは子どもを連れてくるのを嫌う大人も多くあった。

 しかし、そうだからこそ来たがる子どももいるのだ。そして、そうした子どもそのものではないが——まだ明るいうちではあったものの、少年と少女とはフードを深く被り、きょろきょろと周囲を見回しながら、大人たちの間を縫うように歩いていった。

 六歳の彼らの背丈はまだ小さい。大人たちは彼らを物珍しそうに見下ろし、それから顔を上げて左右を見る。保護者がいないのを確認しただけか、それとも彼らのフードに隠されている髪や目の色に気づいたのか。いずれかはわからないが、とにかく少年と少女とは足早に通りを駆け抜けていった。


「レヴィオ、危ないよ」

 少女が、手を引く少年に言う。しかし少年は聞かない。彼はずんずん先を急ぐ。

「レヴィオってば」

「急がないと売り切れちゃうんだよ」

「え?」

 何が? と眉を顰めた少女に少年は振り返り、少女に押し付けるように紙の包みを差し出した。少女はその中身を見て、思わず目を見開いた。

「お母さまの耳飾りじゃない。レヴィオが壊したの?」

「違うよ。触ったら壊れたんだ」

「違わないじゃない……」

 少女が咎めるように睨みつけたので少年は口をつぐんでしまったが、彼は再び少女の手を引くと進み出した。

「レヴィオ待ってよ。これ、売ってるの?」

「似てるのが売ってるって聞いたんだ」

「聞いたって、誰によ」

 少年は再び黙ってしまい、少女はそれで答えを察した。


 ふたりはユーレ女王デュート・シュナベルと、彼女の配偶者との間に生まれた二卵性の双子だ。髪と瞳とは王族の証である薄いグレーと緑がかった黄色で共通しているが、顔はそれほど似ていない。しかし言うまでもなくふたりは本来このような場所に、護衛もなくいるべき人間ではないし、そもそも城下に出ることすら珍しいのだ。だからこういう「悪いこと」をレヴィオに吹き込める人間と言ったら限られていた。

「フィーってば」

 少女――ルーシェはため息をつき、下を向いたので、急に立ち止まったレヴィオの背中に思い切りぶつかって尻もちをついてしまった。

 レヴィオを見上げると、彼もまた人を見上げていた。向かいにいるのは猫背の老女だ。薄暗いので顔はよく見えないが、まとっている衣装は占い師に見える。彼女は被っていた布をめくって自分の耳を示した。

「探しているのは、これかい」

「あ」

 レヴィオとルーシェが同時に声を上げた。似ているどころではない、同じものだ。老女は品のいい柔らかな笑みを浮かべた。

「顔を見れば探しているものがわかるのさ。私の占いの腕を、もっと見ていくかい」

 おいで、と彼女は手招きをした。糸に引かれるようについていくレヴィオの裾をつかみ、ルーシェは左右を見回しながら、そのまま分厚い布で覆われたテントの中へ入った。


 中には明かりがあったが、それでもやはり薄暗かった。表には見えた刺繍が内側からは見えないので、布は何枚か重ねているのかもしれない。外側は緋色だったが、切れ間から差し込んで来る細い光では、内側は何色かははっきりしなかった。

 老女は重そうなクロスのかけられたテーブルの向こうに腰掛け、自分の向かいにふたりを並んで座らせると、テーブルの端にあった燭台を、真ん中に置かれた浅い水盤の中央に置いた。燭台には細かな装飾が施されていたが、それは王宮で見るものとはどこか違う異国情緒の漂うものだ。それを物珍しそうに見つめるレヴィオと、警戒心をあらわにしたままのルーシェの前で両肘をつき、ふたりの顔をまじまじと見つめると占い師は再び笑みを浮かべた。

「お母上はお元気かな」

「お母さまを知っているの?」

 老女はトントンとテーブルを人差し指で叩いて、レヴィオが聞き返すのを横で心配げに見つめていたルーシェの注意を自分に向かせた。

「ひとつ、賭けをしよう」

「賭け」

 首を傾げたルーシェに、そうさ、と占い師は笑う。

「私があなたらのお母上の、そのご両親の名前を当ててみせる。見事当たったら、あなたらの名前を教えてくれるかな」

「おじいさまとおばあさまの名前を当てるの?」

 そう、とうなずいて、老女はレヴィオに目をやった。彼は目を輝かせている。断る気などさらさらなさそうだ。老女は「では」と呟いて、わざとらしいほどに占い師然とした様子で水盤を覗き込んだ。テントの隙間から吹き込んだ生温い風が、炎と水面とを揺らしていった。


 老女が当てようと言っているのは前国王夫妻の名だ。国王は現女王、つまりふたりの母親が十歳くらいのときに没しているし、王妃もまたその直後に起きたクーデターの中で行方不明となっているから、ふたりは彼らに会ったことはない。しかしこの占い師の年齢ならば、かつて彼らの治世にこの国に来たことがあるなら尚更、当てるのは容易なことだ。

 ところがレヴィオは「当てる」と言ってみせた老女の「賭け」を前に、そこまでの考えが及ばないようだった。何より自分の名前を伝えることがそう大きな対価とも思えない。レヴィオが頷いてしまい、ルーシェは止める間もなかった。

 老女は蝋燭に手を伸ばすと、その芯をつまんで明かりを消してしまった。水盤の水が淡く発光している。

「あなたらのおじいさまは『イスタエフ』、おばあさまは『アルファンネル』だろう? どうだね」

「……そうです」

 大人が負ける賭けなど申し出るわけがない。ルーシェはため息をついて認めた。しかしレヴィオは驚いた顔で水盤を覗き込むように見つめている。そこに浮かんだ答えを占い師が読み取ったかのように。

 少年が顔を上げるのを待ち、占い師は、さて、と組んだ手を卓上に下ろした。

「では、レヴィオとルーシェ? 名前を教えてくれるかな」

 名を呼んで問いかけた占い師に、レヴィオは再び目を見開いてルーシェに目をやった。ルーシェも眉を顰めている。

「長いほうの名前だよ。聞いているかな」

 老女は困った顔をして笑った。ルーシェは躊躇った。確かに滅多に使うものではないし公表もしていないが、実際は彼らにはもっと大袈裟な名前がある――ああ、と明るい声を上げてレヴィオが答えてしまい、またルーシェは彼を止め損ねた。

「僕がウルヴェリオ。ルーシェがシャルテッサ」

「『銀の海』と『金の原』だね。お母上はいい名前をつけた」


 ふたりは顔を見合わせた。それをやんわりした笑顔でしばらく見つめていた占い師は、振り返ったところにある行李の中から、先ほど見せた耳飾りと同じものを取り出し、レヴィオに渡した。

「お母上にこれを渡しておあげ。こっそり返しては駄目だよ、ちゃんと謝って」

「……はい」

 素直に受け取ったレヴィオは、それを大事そうに懐にしまった。

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