第4.2話 市民体育館

 若々しいながらも激しく責め立ててくる春の日差しに、凪月は目を窄めた。

 まだ四月も中ごろだというのに、どうしてこうも暑いのか。四月でこれだけ暑かったら、今年の八月はいったいどうなってしまうのか。

 

 というより、俺はこの先どうなってしまうのだろうか。

 

 凪月は、先日から止まらないため息を小さくついた。


「あ、ナツく……、なっちゃん、おはよう」

「……あぁ、おはよう」


 進々は、凪月の恰好と既に集まった女子の面々を見て、言葉を選んだ。

 こいつも空気読めるんだ、と凪月はいささか関心していた。

 それは、まぁ、一種の現実逃避であったわけだが。


「さぁ、揃ったし、行くわよ」


 流々香の掛け声を機に、凪月と進々、それから小野と水卜、並びにカトリーナの計6人は移動を開始した。

 向かう先は、市民体育館。目的は言うまでもなく、練習である。

 土曜の午前中、まだ創立されていないバスケ部に、学校の体育館を使用する権利はない。いや、あるにはあるのだが、バレー部とバドミントン部、さらには卓球部から使用権を強奪することはできなかった。さらに、厳密に述べるならば、おそらく流々香にならばできただろうが、そこは、彼らからのヘイトと、体育館の使用権を天秤にかけたのであろう。


 さて、練習するのはいい。

 勝手にやってくれれば申し分なかったのだけれども、百歩譲って手伝ってあげてもいい。

 

 ただ、なぜ女装?


 いつものエクステ、小慣れた薄化粧、ライトグリーンのバスケット用パンツに、白いティシャツと黒いインナー。鏡を見れば、遥の様だが、遥ならばもう少し自信のある顔をしているだろう。


「仕方ないじゃない。小町こまちちゃんが、男子だめなんだから」


 流々香は子供をあやすような口調で言った。


「だったら、俺を呼ばなきゃいいだろ」

「ナツが来なかったら、誰がコーチするのよ」

「雇えよ。使えよ、交渉術」

「嫌よ。いい? コーチングっていうのは信頼関係がいちばん大事なの。どれだけ優秀なコーチでも、選手との信頼関係がなければ効率のいい練習はできないの」

「知ったようなことを……」

「それに、知らない奴に上から目線で命令されたら、5秒でキレる自信があるわ」

 だろうな。

「ねぇ、ナツ。今のは5秒も我慢したことを褒めるところだと思うんだけど」

 知らんがな。


 いつものごとく流々香に完全にペースを握られてしまい、凪月は断れないまま、彼女の後を歩いた。

 体育館の中は、風がない分、少し熱気があるものの、動くには適温といった状態だった。あまり広くない体育館で、バスケットコート1面分。リングもボードも古く、きしむ音が聞こえてきそうだが、コートはきれいに掃除されており、不快な印象はなかった。


「へぇ。こんな近くに体育館あったんだね」


 進々は、うれしそうにコートを見渡していた。


「ここの管理人が知り合いなのよ。だから、優先的に予約できるようにしてもらったの」


 こういう作業に関して、流々香はすさまじく頼りになる。


「さぁ、ばしばし練習するわよ」


 意気込んだ流々香に扇動されて、女子勢はコートを横断した先にある女子更衣室へと向かった。

 男子である凪月と、既に運動着を着込んできていた小野を残して。


「「……」」


 気まずっ……。


 集合場所に集まってから、小野はずっとむすっとした顔を浮かべていた。

 その理由は、わかり過ぎる。


「あの、なんか、ごめんな」

「いえ、まぁ、あなたのせいでないのは、なんとなくわかりますけど」


 けど、の後に腑に落ちない気持ちがぶらさがっている。

 凪月は、勧誘の条件として、明確に告げたのだ。

 創部を手伝う必要はない。

 創部のために、名前だけ貸してくれればいい。

 本当に入部するかどうかは、後で決めればいい、と。

 だが、現状はどうだろう。


「練習に付き合うのは百歩譲っていいとして、どうして創部のための試合に参加しなければならないんですかね」

「だよなぁ」

「創部の手伝いはしなくていいって言いましたよね?」

「言ったなぁ」

「もはや半強制的な入部ですよね、これ?」


 ずいぶん憤りが溜まっていたんだな。

 まぁ、当然ではあるけれども。


「それでも、来てくれたことには感謝しているよ」


 むしろ、凪月には不思議であった。

 勧誘時から、だいぶ状況が変わった。創部のために、白藤高校との試合をしなければならないなんて、正直、凪月にも想像ができていなかったし、小野は断っても仕方のない状況だと思う。

 それでも来てくれた小野は、小さくため息をついた。


「頼まれたんですよ。外村そとむらさんに」


 凪月は、しばらくして、外村さんが進々だということに気づいた。


「あんまりにも必死に頼んでくるから、仕方なくです。当然、勝っても負けても試合までですけど」


 それでも、本当に嫌ならば来ないだろう。

 ふん、とつっぱねる小野のそっけない態度が、凪月には、とてもあどけなく見えた。


「まぁ、それでも、本当に感謝しているよ。小野が来なかったら、そもそも試合のできる人数に達しなかったわけだから」

「ん? ちょっと待ってください。どういうことですか? 私がいなくても5人いるじゃないですか?」

「いや、小野を入れてぴったり5人だろ。進々と水卜、カトリーナ、ルル姉、そして小野の5人だ」


 小野は怪訝そうな顔をして、凪月の方を指さしてきた。

 あぁ、そういうことか、と凪月は彼女の勘違いに気づく。


「あたしは、バスケ部員じゃないから」

「何ですって!?」


 小野の表情は、仰天という言葉をまさしく表していた。


「自分はバスケ部に入らないのに、私を勧誘したんですか?」

「まぁ、そうなるな」

「あんなに強引に?」

「そんなに強引だったかなぁ」

「あなた、いったい何なんですか!?」


 それは、ごもっともなんだが。


「あたしも進々に頼まれたんだよ。バスケ部を創るのを手伝ってくれって」

「だったら、まずあなたがバスケ部に入るべきでしょ」


 本当に小野の言うことは、いちいちごもっともなんだけれども。

 凪月は、あー、と少し考えてから。


「実は、あたし、羊雲学園の生徒じゃないんだ」

「えぇ!?」


 ちょっと突飛だが、こう言っておかないと後々おかしなことになりそうな気がする。


「でも、勧誘に来た時、羊雲学園の制服を着ていましたよね?」

「ルル姉に借りたんだ。制服さえ着ておけばよその学校の生徒でもバレないからな」

 女装していてもバレないし。

「そこまでするなんて、何か弱みでも握られているんですか?」

 まさに、それな。


 女装して、バスケして、接触プレーをしたことを理由に脅されている。

 なんてことは、女装して、女バスの練習をコーチしようとしている、今、この状況で言い出せることでは、まったくなかった。


「そんなんじゃないよ。ただ、あいつがバスケをしたいってうるさいから、仕方なくさ」


 嘘はついていない。

 今をごまかすために、嘘を重ねると、後々、辛くなる。

 凪月は、なるべく現実に沿った内容で現状をごまかそうと、脳みそをできるかぎり回転させた。

 いっそう怪訝そうに顔をしかめた小野であったが、しばらくして、はぁ、とため息をついた。


「そんなにバスケがしたいですかねぇ」


 進々のバスケ熱に、小野は呆れ気味らしい。

 しかし、と凪月は思う。


「そんなやる気満々の恰好の奴に言われてもな」

「……なんですか?」


 白いティシャツに、レモンイエローのレイカーズのユニフォームを重ね着し、コービーモデルの青いラインの入ったバッシュで、きめ込んでいる。

 ちなみに、体育館に来るまでは、薄手のパーカーを羽織っていた。


「仕方ないじゃないですか。今日はこの服の気分だったんですから。何かおかしいですか?」


 小野はもじもじとしながら、こちらを窺っているので、凪月は一応気を利かした。


「いや、似合っているから問題ないよ」

「そう、ですか」


 さらっとした反応であったが、小野はいくらか見せびらかすように姿勢を正した。


「みんな、遅いですね」


 だいぶ機嫌が直った小野は、更衣室の方を見やった。

 正直、凪月はかなりほっとした。現羊雲学園女子バスケ部での、最大の戦力となりうる小野にへそを曲げられたら、それこそ試合終了である。

 あとは、今日、チームの戦力を確認してから、試合までにどれだけチーム力を鍛えられるか。

 練習時間はまったく足りないが、できるところまでやるしかない。

 どう考えてもムリゲーだなと、凪月が眉根をもんだ。

 そのとき、


「きゃ!!」


 突然、小野が凄まじい悲鳴をあげた。


「どうした!?」


 凪月が驚いて、小野の方を見やると、彼女は顔を真っ赤にして、お尻を両手で覆っている。

 トイレはあっちだぞ、と言いそうになって、すんでのところで凪月は思いとどまる。

 それは、さすがにデリカシーに欠けていたし、目の前の状況が理解の外にあったからだ。

 そこには、小さな男の子が立っていた。まだ、小学生くらいだろう。警戒した猫のように目をいからせて、こちらをぎろりと睨みつけている。

 彼は、一度、ごくりと息を呑み込んでから


「体育館を返せ!」


 小さな体のわりに、やけにスケールの大きいことを叫んだ。

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