第1.9話 自業自得

 堤防から降りてきた七竈流々香は、ぷんすかと腰に手を当てていた。


「聞いてよ、ナツ。ペプシ売っている自販機がなくてさ。ほら、小学校のときに使ってた自販機あるじゃん。あそこ、コカに寝返ってたのよ。私、すっごいショックでクレーム入れようかと思っちゃった」


 やめてやれよ。不況だし、きっといろいろあるんだよ。

 いや、それよりも。

 タイミングわるいなぁ、この人。


「ねぇ、ナツってば」

「……ナツって誰っすか? あたしは遥だけど」

「何言ってんの、ナツ? え? これ、どういう遊び?」


 遊びではない。

 というか、遊びでは済まない状況だと察してくれ。


 近づいてきて、流々香は、もう一人その場にいることに気づく。


「誰? この娘?」


 怪訝そうに、赤毛少女こと外村進々に視線を向けた。


「あ、ハルカ先輩のお友達ですか? 私、外村進々です。今、ハルカ先輩に稽古つけてもらっていました」

「はるかぁ?」


 流々香は、不穏な視線を凪月に向ける。

 彼女は賢い女だ。進々の言葉と、凪月の格好と表情と、この場の雰囲気を統合すれば、現状はだいたい察することができるはず。

 案の定、流々香は、ははーんと片頬を釣り上げた。


「そういうこと」

「そういうことなんだ」

「どういうことなんですか?」


 三者三様の理解をしているわけだが、必要な人に必要な理解がなされていると思われる。


「あはは、そういうことか」

「はは、そういうことなんだよ」

「えっと、あははは」


 流々香は凪月の肩を叩きながら、笑いかけてきた。

 一人、意味もわからず笑っている者もいるが。


「「「あはははは」」」


 それから、スッと流々香は笑みを消し、


「いや、だめでしょ」


 ですよね。


 女装して、姉の遥と偽り、通りすがりのピュア娘にバスケのレッスンをしていたという状況。実際は1on1だが、さして変わりないし、むしろわるい。

 その状況を一言で述べるならば、


「犯罪だよね」


 ですよね。


「ルル姉、がっかりだわ。バスケバカ過ぎて、まったくモテなくてかわいそうだなぁ、とは思っていたけれど、だからって、こんな卑劣なことをしてエロいことをしようだなんて」

「エロいことはしようとしてない」

「でも、一緒にバスケしたんでしょ?」

「したけど、ちょっと待って」

「どっちがオフェンスで、どっちがディフェンスだったわけ?」

「どっちもしたけど、ちょっと待って」

「まぁ、破廉恥な」

「ルル姉、言い訳させて」


 いささか遊びモードに入っているような気もするが、流々香は隠してくれる気はないらしい。

 さすがに、進々もおかしいことに気づく。


「あの、さっきから何の話をしてるんですか? それからナツって?」

「あぁ、こいつ、遥じゃないから。凪月。遥の弟」

「え?」


 流々香はさらっとバラした。


「そ、そんなわけありません!」


 むしろ否定したのは、進々の方であった。


「どう見ても遥先輩じゃないですか。髪だって長いし、少し化粧もしているし」

「髪はエクステだし、化粧なんて男でもできるでしょ」

「でも、でも! もしも遥先輩の弟だったら、エクステして、化粧して、女装した変態ってことになるじゃないですか!」

「いや、だから、女装した変態なのよ、こいつ」

「変態ではない!」


 さすがに看過できず、凪月は口を挟む。

 というか、そもそもルル姉が女装させたんじゃないか。

 だが、それを今ここで言っても言い訳にしか聞こえない。


「で、でも、やっぱり違います!」


 進々はそれでも信じなかった。


「だって、私の話、ちゃんと聞いてくれたし、バスケだってうまかったし、それに、1on1のとき、いろいろ触られちゃったし、遥先輩でないと困ります!」

「へぇ、いろいろ触っちゃったんだ」


 ぎろっと睨んでくる流々香の視線から逃れるように、凪月は視線を逸した。


「ほら、バスケするんだから、触らないとか無理だし、不可抗力っていうか」

「不可抗力なんだ、ふーん」

「わるいとは思っていて」

「どうして? 不可抗力なのに、おかしいんだ。ふふふ」


 ルル姉の笑い声がマジで怖い。


「いやです! 信じません!」


 もはや頑なな進々に対して、流々香は少し考え、それから悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた。


「あ、じゃ、確かめてみればいいじゃん」


「「確かめる?」」


 凪月と進々が声をハモらせる中、にこにこと流々香は進々の側に寄っていった。


「いろいろ触れちゃったんだよね」

「え? あ、はい。でも、女同士なので」

「そうだよねぇ。じゃ、触り返しちゃおっか」

「え? いや、そういう趣味は、私なくて」

「いいから、いいから」


 そう言って、流々香は進々の手をぎゅっと握り、


「えい」


 と凪月の股間にその手をぐいと押し付けた。


 ぐにゅ。

 ぐにゅ!?


 凪月の全身に得も言われぬ痺れが走った。


 いったい何が起きた? というか、何が起こっている?


 あまりの窮地に凪月の思考は混乱の淵にいた。思えば、いつもそうだ。流々香と遊んでいると、凪月の思考では追いつかない事象が多々起こる。


 小学生のとき、神社の蜂の巣撤去をしたことがある。流々香が業者に頼むお金をネコババしようとしたのだが、その結果、任じられた仕事であった。あのときは、何の対策もせずに挑んだがゆえに、四方を蜂に囲まれるという想像を絶する事態に陥った。


 まさに人生でワーストなシチュエーションだったわけだけど、今日、そのワーストが更新されるようだ。


 目の前の進々も同様に混乱しているようで、自分の手の感触がいったい何を意味するのかわからないようであった。


 しかし徐々に事態が理解されていったようで、それに伴って進々の瞳に涙がうるうると溜まっていった。


 次に生じることはだいたいわかる、と凪月はゆっくりと目を閉じた。


「きゃぁぁぁああああああああ!」


 高校の入学式を終えたばかりの、十五の春、陽の暮れた川辺で、本郷凪月は、泣き叫ぶ女子の平手によって、痛烈に頬を叩かれた。

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