第1.8話 不穏

「ま、まぁ、これで、君の反則負け。あたしの勝ちだ」

「えー」


 いや、不満そうな意味がわからないのだけれども。

 だけれども、と凪月は、手の感触を確認する。


 やっちまった。


 むしろ人道的に言えば、反則したのは凪月の方だと言っていい。これは、もし男だとバレたら、たいへんなことになるな。


 ……絶対にバレないように気をつけよう。


「あぁ! 悔しい! けっこういけると思ったのに!」


 赤毛少女は、頭を抱えて落ち込んでいた。

 それにしても、おかしな女だ。


「すげぇドライブだったけど、突っ込み過ぎだな。スペースが空いたときは、迷わず撃った方がいい」

「……あんまり得意じゃなくて」


 ミドルレンジのシュートに苦手意識があるのか。

 だとしたら、練習すべきだな。外からのシュートがあれば攻撃の幅が一気に広がる。想像しただけで、恐ろしいレベルだ。


 一方で、ディフェンスの方が、逆の意味で恐ろしいレベルなので、コメントの仕様もないのだが。

 凄まじいドライブを持っているにも関わらず、ディフェンスはからっきし。

 今までいったいどんなチームでプレイしていたのだろう。


「君、羊雲学園の生徒だよね?」

「え、あ、はい」

「一年生?」

「はい、そうです」

「どこの中学だった? あたし、見たことないんだけど?」

「うっ」


 おっと、これは失礼だったか?

 話した感触としては、初対面だったが。実際にはどこかの試合で、会話をしたことがあったのかもしれない。


「あ、ごめん。あたし、あんまり人の顔覚えるの得意じゃなくて」


 これは遥の話だが、本当。

 あの女は、人の顔と名前をまったくといっていいほど覚えない。それでもめることは多い。


「あ、いえ、覚えてなくて当然です。私、試合出てなかったですし」

「え? 試合出てないの?」


 これだけプレーできるのに、と思う反面、ある意味納得である。

 たしかに、この女が試合でプレーしている様が想像できない。


「中学では三年間補欠でした。あ、葉桜学園はざくらがくえんです」

「葉桜? まじで?」


 葉桜学園といえば、バスケ界では名門も名門だ。県内では聖天女学院せいてんじょがくいん白藤高校しらふじこうこうと並んで、優勝を争うチームの一つ。そもそも入部することすら難しいと聞いているが。


「あ、中等部はわりと誰でも入れるんです」


 言い訳がましく、赤毛少女は付け足した。


「でも、高等部はそういうわけにはいかなくて」

「あぁ、それで羊雲学園に」

「ち、違います!」


 食い気味で否定してきたのを見て、凪月は少し引く。


「いえ、そ、それもないことはないですけど、それ以上に、私はハルカ先輩に憧れて、それで無名の羊雲学園に行ったんです!」


 あちゃー。


 凪月は、頭を抱えたい思いだった。

 遥に憧れて、というのは、遥と同じ高校に入りたいという意味ではない。


 遥の通う高校は大神高校。

 二年前まで、バスケとはまったく無関係だった高校だ。


 そう、遥に憧れて、というならば、そこ。


 本郷遥は、数々の名門校の推薦を蹴り倒し、まったく無名の大神高校に入学し、たった一年で県内ベスト4にまで押し上げた。


 一部では、生きた伝説、と言われている遥に憧れている者は多い。


 そして、目の前に、その一人がいる。

 もう一度言う。


 あちゃー。


 いるんだよな。自己啓発本とか読んで、起業するだと言い出したり、急に生活習慣変えちゃって、そのまますぐ影響されちゃう奴。


 簡単な話で、成功した奴と同じことをやったら、成功するわけではない。

 何か忠告してあげようと思ったけれども、赤毛少女の目は爛々と輝いており、せっかく憧れているのに、水を差すのも無粋だなと思い、凪月は口を噤んだ。


「そっか、がんばれよ」

「はい!」


 いささか胸が痛んだけれども、ま、今日のところは仕方がない。

 家に帰ったら、遥にウィスパーで『良い子は真似するな』と注意書きさせよう。テレビを近くで見るよりも危険極まりない。


 できるならば、直接この子に、あんまり夢見るなと伝えてあげてほしいのだけれども。


 そういえば。


「そういえば、君、名前は?」

「あ、申し遅れました!」


 赤毛少女は、慌てて名乗りをあげた。


「羊雲学園一年C組、外村進進そとむらすすむ。進って二回書いてススムです!」


 なんつー名前つけられてんだ。


 いや、それよりも、と凪月は驚きを隠せなかった。


 こいつ、同じクラスじゃん……。


「そっか、了解、じゃあね、バイバイ」

「急によそよしい!?」


 そりゃ、そうだ。

 こちとら、緊急事態である。


 同じクラスの同級生と、女装姿で1on1しているなんて、凪月の想像できる範囲を超えている。もしもバレた場合、どう収拾つけていいのかわからない。


 やるべきことはやったのだ。

 あとは無駄話をしていないで、さっさと撤退するべし。


「最後に一枚、写真だけ!」

「囁くな!」

「えー」

「せめて夜まで、夜まで待って! あたしにも準備があるから!」

「な、何のですか?」

「囁かれる準備だよ!」

「囁かれる準備って何ですか!?」


 いや、わかんないけど。


 せめて、夜に囁かれれば、言い訳ができる。遥にはキレられるかもしれないが、変態の汚名だけは免れる。


「とにかく、あたしは帰るから。予定あるから。オフだから!」

「は、はぁ、わかりました」


 急いで荷物をかき集めて、凪月はその場を発とうとした。

 だが、そのとき、


「ごめん、ナツ、待った?」


 堤防の方から、不吉な声が襲来した。

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