第1.4話 1 on 1

 夕暮れで赤く色づくバスケコートの上で、ぐっと背を伸ばし、凪月は赤毛少女の方を見遣った。


 彼女は練習着に着替えていた。白のノースリーブに、赤いパンツ、そしてぐいと白いヘアバンドを押し上げ、前髪を整えた。


 どこで着替えるのだろうと思っていたら、彼女はその場で脱ぎ始めたのだから驚いた。凪月がどぎまぎしていると、大事な部分が見えないように、彼女は器用に着替え終えた。


 ちょっとがっかり、と思わなくもないが、見えたら見えたで取り返しがつかないので、むしろ見えなくて安心した。


 ただシューズだけが、ローカットのスニーカーであった。


「そのシューズで大丈夫か?」

「はい! 問題ありません!」


 シューズなど何でも良いとは、彼女も思っていないだろうが。

 バスケの他のスポーツと最も異なる点は、その動きが三次元であるということだ。二次元のコートを走り回るだけでなく、高い位置に設置されたゴールポストに向けて、高く跳ばなくてはならない。


 この跳ぶ、という行為が介在するだけで、一気に足への負荷は高まる。

 特に足首への負荷が大きいため、バッシュと呼ばれるバスケ専用のシューズでは、足首をオーバーラップするようなハイカットなものが多い。


 普通のスニーカーでは、こちらの方がヒヤヒヤしてしまう。


「バッシュ持ってないのか?」


 ボールも練習着も持っているのに。


「あ、いえ、持ってますけど、内履き用で」

「あぁ、なるほど」

「外履き用も持ってるんですけど、今日は履いてきてなくって。うぅ! 私のバカ! どうして今日に限って!」

「いや、まぁ、いいんだけど」

「私、もう明日からバッシュしか履きません!」


 あ、うん、TPOが許す範囲でね。


「怪我だけは気をつけろよ」

「はい! ありがとうございます!」


 こんなゲームで、怪我などさせたら困る。

 だからといって、遥の名前を騙って勝負するのだ。さすがに負けるわけにはいかない。


「じゃ、さっさとやろうか。もう陽も傾いているし」

「はい、よろしくお願いします!」


 赤毛少女はスリーポイントラインの外側に立ち、その前に凪月が構えた。


 ハーフコートでのサドンデス1on1。

 オフェンスはシュートを決めたら勝ち。

 ディフェンスはボールを奪ったら勝ち。


 リバウンドはありでそのまま続行だが、アウトオブバウンズはオフェンスの負けになる。


 先攻は、赤毛少女である。

 彼女はボールを一度凪月に渡す。

 1on1を始める際の合図だ。

 ボールを彼女に返した瞬間、試合は開始された。

 凪月は、腰を落とした。


 初見の相手に、どう対応するか、というのは人によって異なる。特に1on1の場合、相手の得意技がわからなければ、ディフェンス側が大幅に不利だ。

 凪月はとりあえず基本に忠実な姿勢をとり、様子を見た。


 いきなり1on1を仕掛けてくるような女だ。おそらくドライブに少なからず自信があるのだろう。

 これで3Pスリーポイントシューターだったら、失笑ものである。

 ボールを右手で受け取り、赤毛少女はそのまま右胸にボールを配置して、凪月に正対した。その仕草は慣れたものであり、さすがに玄人であった。


 凪月はボールの先を左手で制して、牽制する。

 しかし、そのくらいでは、赤毛少女は動じない。

 むしろ姿勢に変化がなさすぎて、次の行動が読みづらいくらいだ。

 シュートがないのならばドライブだけ。


 右か、左か。


 とりあえずディレクションは左側だが、さほど強い傾斜はかけていない。


 さぁ、どう仕掛けてくる?


 川面の波が一つ跳ねたとき、赤毛少女は動いた。


 一瞬であった。


 まず、姿勢のみで、右へのドライブを示唆。

 しかし、これはフェイク。

 凪月は足をほんの少しスライドさせ、制する。

 その動作を確認してか、せずにか、赤毛少女は、姿勢をぐいと戻す。

 すぐさま、右から左へのスウィング。


 そこまでは対応できたつもりだった。

 ドライブが来る、そう予測して、凪月は赤毛少女についていくため、重心を移動させた。

 

 が、次の瞬間、燃えるような赤毛は、凪月の視界から消えた。

 

 はぁ!?

 

 凪月が抜かれたことに気づいたのは、つむじ風が横を通ってからだった。

 体が動いたのは、彼女の足が凪月に並んでから。


 しかし、それでは遅い。


 赤毛少女は前を向き、凪月は後ろを向いている。

 ヨーイドンで勝負して、凪月に追いつける要素はない。


 振り返ったときには、彼女は既にゴール下におり、きれいなレイアップシュートと共に、金網のネットをボールが揺らしていた。


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