第1.3話 ウィスパー

 あれ? 回想してみたけれど、やっぱりルル姉がわるくね?


 凪月は改めて、流々香が戦犯であることを確認したわけだが、いくら流々香の罪状を暴いたところで、現状が改善するわけでもない。


 それどころか、赤毛少女は爛々と目を輝かせている。


「お願いします! 1on1してください!」

「いや、だから急に言われてもさ」

「そこをなんとか!」

「いやいや、準備とかあるしさ」

「? 準備万端に見えますけど?」


 そうだった!


 疲れていて、ユニフォームをまだ着替えていないんだった。赤毛少女から見れば、いつでも試合開始できそうな格好というわけだ。


 断りづらい……。


 気まずくなって、凪月は顔を背けた。


「いや、おれ」

「おれ?」

「……じゃなかった。あたし」

「はい。ハルカ先輩が?」

「……今日はオフだから」


 オフってなんだろう。


 自分で言っていて意味がわからないのだけれども。

 だめだ、こんな言い訳では、赤毛少女は納得しない。


 何かないか? 

 もっと、こう、赤毛少女が問答無用で諦めるような、凄まじい理由は?


 たとえば、目の前にいるのが、遥ではなく、その弟だとか、そういう類の。

 ……いや、あるんだけどね。


 それを言えたら苦労はしない、と凪月が途方に暮れていると、赤毛少女は残念そうに俯いていた。


「そっか、オフなんですね」

「え、これでいいの?」


 あ、しまった。


「へ?」

「へ? あ、いや」


 じろっと疑いの視線を赤毛少女は投げかけてくる。


「オフなんですよね?」

「あぁ、オフだよ」

「でも、へ? って」

「いや、言っていないよ。うん、言ってない」

「オフなんですよね?」

「うん、オフオフ。もうすっごいオフだから」


 危ねぇ。

 なんかまとまりかけたのに、自ら墓穴を掘ってしまいそうだった。


 まだ、訝しんでいるようであったが、赤毛少女は、がくりと肩を落とした。

 それを見て、凪月は、ホッと安堵する。


「ごめんな。断っちゃって」

「いえ、こちらこそごめんなさい。急なお願いでしたし、オフなら仕方ないです」


 この子、オフにいったいどんな思い入れがあるのだろうか。


「そ、そうね。オフじゃなかったら、受けてたってあげたんだけど」


 言ってみて、実際、遥だったら、どういう対応をしただろうか、と凪月は想像した。

 想像するまでもない。彼女ならば、うれしそうに笑って、受けて立ち、そして当然のように勝つのであろう。


 凪月の姉はそういう女であった。

 と思えば、今、凪月のやっていることは、遥の名声を傷つける行為かもしれなかった。


 ま、いっか。

 どうせ、ハル姉のことだし。


 凪月が思考を放棄していると、赤毛少女の方はスマートホンを取り出した。


「なんか、ハルカ先輩、ちょっと印象違いますよね」

「え? 何が?」


 やばい!

 さすがにバレたか?


「ウィスパーでは、いつでも挑んでこいって言ってたのに」

「ウィスパー?」


 ウィスパーとは、SNSの一つだ。そういえば、遥がやっていた気がする。彼女はそのフォロワーということか。


「あ、じゃ、写真だけ。写真だけお願いします! ウィスパーに載せるんで!」

「いや、それがいちばんむりなんだけど」


 どうせ雑誌に掲載されるのだから、今更感はあるのだけれども。


「えー、じゃ、とにかくハルカ先輩と出会った感動をウィスパーに囁かないと」

「うん、君、ちょっと落ち着こうか」


 やばい、この子、すぐ囁く系の人だ。

 今、彼女がウィスパーに投稿して、すぐさま遥が反応してしまった場合、ここにいるのが遥でないとバレてしまう。それだけは阻止しないと。


「いえ、この感動をみんなに囁かないと!」


 囁かないで! 

 胸の内に仕舞っておいて!


 だめだ。

 この子、人の話を聞かないタイプだった。


 どうする?


 スマホを操作する赤毛少女を見て、パタパタと慌てる凪月は、ついに立ち上がって、彼女の腕をぐいと力づくで押さえつけた。


「ど、どうしたんですか? ハルカ先輩?」


 驚いた顔を見せる赤毛少女の目を覗き込んで、凪月は言った。


「オッケー! 1on1しよう!」

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