田舎町と立方体
鴎
田舎町と立方体
星が綺麗に瞬いていた。ここは田舎の小さな町だ。これといった特徴の何もない街。デパートもないし、大きな電気屋もない。5階建てのマンションが町で一番高い建物で、スーパーは一件だけ。数年前からコンビニが続けて2つ立ちその程度で住民が興奮するようなそんな程度の小さな町だ。
夜の街は実に静かで、人っ子一人居はしない。飲み屋らしい飲み屋もない街だ。大都会のように夜でも人通りがあるなんてことはありはしない。
「ああ、寒い」
男が一人、通りの一つを歩いていた。今日は前日まで暑かったのに一気に冷え込んだのだ。そのくせ男は昨日までと同じように半袖を着ているものだから夜の冷え込みに体を震わせているのだった。
「ちょっと飲みすぎたねどうも」
男は友人の家での飲み会の帰りだった。おぼつかない足取りだ。かなり酔っているようだった。男の家はこの通りを真っ直ぐ行ったところにあるアパートだった。あと400mといったところだろうか。
「長い、長いね。家までが長い」
男は酔っ払いらしくグダグダと独り言を述べながらトボトボ家を目指していた。
「あ?」
と、男は妙なモノを見た。それは立方体だった。白い立方体だった。それが男の歩く先の歩道の上に浮かんでいたのだ。
「なんだろねこれは」
男は立ち止まってまじまじとそれを見た。大体一辺辺り1mといったところだろうか。ダンボールくらいの大きさだがダンボールではない。街灯の光を反射して綺麗に光っていた。金属かと言うとそういう感じでもない。プラスチックと陶器の中間というのがその質感を表すのに丁度良いように思われた。
男がジーっと見ていると、それはクルリと回った。男はビクリと肩を震わせた。
「こんば んは」
突然その立方体は言った。言葉を発したのだ。
「おおう」
男は口笛を吹いた。酔っぱらいである。
「なんだいなんだいこれは。面白いなぁ」
「私はアルス星系第4惑星デュカスより来た、汎用接触媒体エルです。この度衛星軌道よりの観測から、大気圏降下による知的生命との接触にフェーズを移行しました。私はあなたと会話をしたいのです」
「へぇええ。難しいんだなぁ。良く分からないなぁ」
「要するに、ただ会話をしていただければよろしいのです」
「ほぉーん」
男は意味もなく『うふふ』と笑いを漏らした。男はひどく良い気分だった。ただそれだけであり、目の前で起きていることもなんとなく上の空なのが現状であった。
「話すっていってもどうすれば良いのかな」
「ただ話したいことを話してくだされば問題ありません。私はそれを記録し、データとして検証することでこの星の文明レベルを把握するための参考にさせていただきます」
「なるほどなるほど、そういうパターンのやつか。合点ですよ兄貴」
男は拳を振り上げ言った。
「そうだなぁ。そうだなぁ。だったらなにを話そうかなぁ」
「その前にひとつお聞きします。あなたは今一体どういう状態なのですか。衛生軌道から観測した人間の基本的な精神状態から逸脱しているように見受けられます」
「ん? うふふ。俺はねぇ、俺はねぇ。お酒を飲んで気分が良いのですよ」
「『おさけ』。それを飲むとそのような状態になるのですか。軌道上からも沢山の人間が飲んでいるところを観測しています。人間の嗜好品といったところでしょうか」
「んふふ」
男はエルの質問にただ笑っただけだった。そんな男にエルは突然なんらかの帯状のレーザー光を当てた。下半身から頭までにそれを順番に当てていく。
「生体パルススキャン。血中成分、基準値をオーバー。検出された成分より現状態はアルコールによるものと判断。なるほど、『おさけ』とはアルコールが主成分なのですね」
「お酒はねぇ。救いですよ、救い」
「救い、ですか。あなたはなにかに苦しんでいるのですか?」
「苦しいよ、苦しいとも。生きるっていうのは苦しいもんです。それを若干和らげてくれるのがお酒ってわけ」
「なるほど、生命活動が苦しいのですか。それは呼吸や摂食、睡眠等に苦痛を感じているということですか?」
「違うよ。なんでそんな難しい話にするんだい。熟語を使うのが好きだね君は。そんな話じゃないの。もっとこう、なんていうのかね。仕事、とかかな」
「労働が苦しいのですか。観測によると人間は集団で作業を行うことによって金銭を手にし、それを使って食物などと交換しているというデータを得ています。曰く労働と呼ばれている。あなたはつまり、人と関わることや作業が苦しいということですか?」
「うーん。だいぶん良い線行ってるね。良い感じだよ。要するにそういう感じ。んふふ」
立方体は「ふむ」と言うと、くるりと回った。男は少し驚く。
「つまり、労働は苦痛に満ちているものの、それをしなくては生活を支える金銭が手に入らない。その『せざるを得ない』というジレンマに葛藤しているのですね。それがあなたの言う『生きる苦痛』ということですか」
「また、難しい言葉を使う。良いよ、もうそれで。大体そんな感じだよ」
「多くの成熟した大人もまた『おさけ』を飲んでいるということは多くの大人がその『生きる苦痛』を感じているということでしょうか」
「ああー。そうなんじゃないかな。大体みんな一緒だよ。仕事が苦しくないやつなんて居ないだろ。たぶん」
「なるほど。つまり、この星の多くの人間は日常の大部分が苦痛に満ちた時間によって構成されているということになりますね。成熟した大人は一日の多く、睡眠以外の時間の多くを労働に当てている。つまり、あなた方の一生は苦痛とともにあるということでしょうか」
「い、いや。止めろ。そういうこと言うの止めろ。楽しいこともあるよ。仕事が楽しいこともたまにあるし」
「ですが、楽しくないことが大部分なのではないですか? あなたの一生はこの先もそういった楽しくない時間が多くを占め、あなたの一生はそういった苦痛を『おさけ』で和らげながら耐え続けるものということになると思いますが」
「や、止めろ!!! 何言ってくれてんだお前さんは!!!」
男は激昂した。エルの分析結果を到底受け入れられなかったのである。
「その状態は『怒り』ですね。大変失礼しました。私の発言に問題があったようです」
「本当だよ! こちとらお酒飲んで良い気分で帰ってたっていうのに。そんなお前、人生真っ暗みたいな話するんじゃないよ。生きる気力失うだろうが」
「そ、それは大変失礼しました。生命を維持する意思を失うというのは生命体にとっては一大事です。私はとんでもないことをするところでした」
「本当だよ。勘弁してくれよ」
男はため息をついた。しかし、訂正させたとはいえエルの分析結果が脳裏にこびりついていた。確かに、客観的に見ると自分の人生そうなのではないか、と。男はなんだかどんどん酔いが醒めていくような気がした。
「い、いや。そんなわけないよ。俺の人生がそんな寂しいものなわけないよ。楽しいこともちゃんとあるよ。そう、旅行とか楽しいよ」
「旅行。自分の住む土地を離れ、別の土地に移動する行為のことですね。なぜか一定数の人間が周期的にそれを行います」
「そんな味気ない言い方するんじゃないよ。見たことないものとか良い景色とか旨いもの食ったりとかそういうのが楽しいんだよ」
「なるほど、そういった『楽しい』といった感覚が『生きる苦痛』を相殺しているわけですね」
「そうだね。それがあるから生きていけるんだよ」
「つまり、あなたは『おさけ』ともう一つ『旅行』をすることによって『生きる苦痛』を和らげ、残りの膨大な時間を死するその時まで堪え忍ぶのですね」
「や、止めろ!!!」
男は再び激昂した。
「また『怒り』を感じておられますね。大変失礼しました。何がいけなかったでしょうか」
「そんな死が救いみたいな、俺の人生寂しいみたいな言い方するんじゃないよ。俺の人生はハッピーだよ」
「ですが、あなたは先程苦痛を訴えておられました。矛盾しているように思いますが」
「ち、違う。違うんだよ。そういうんじゃないんだよ」
「その違いを教えていただけないでしょうか。あなたの言葉はとても興味深い」
「う、うーむ」
「あなたはなぜ生きていけるのでしょうか」
「う、うーむ」
男は腕を組んで考え込んだ。
「うーん」
男はひたすら考える。『生きる意味』について考える。なぜこんなことを考えるはめにになっているのか男には分からない。飲み屋を出た時は実に良い気分でこのまま帰ってベッドに飛び込みそのまま心地よく寝るつもりだった。そして、翌日の日曜にはどこかへドライブして重ねて良い気分になるつもりだった。なぜ、こんなことになっているのか。しかし、男は答えないとこびりついたエルの言葉が離れる気がしない。自分で自分の毎日が寂しいものな気がしてしまう。これは死活問題だ。何がなんでも否定しなくてはならない。
「どうでしょうか」
エルは期待に満ちた口調で答えを催促してくる。先程の人生否定からこの流れで男にはエルがサイコパスに見えた。しかし、どうやら機械なのでそういうものなのかとも思えた。
「あ、あれかな」
男は答えを思い付いた。
「良い漫画とかアニメとか見終わったら、『生きててよかったぁ』って思うんだよ。俺はそういった感覚を味わうために生きてるんだと思うね」
「『旅行』ではないのですか」
「まぁ、とんでもなく良い景色見たときもそう思うよ。とにかくそういった感覚かな。そういうのを味わうためになんとかかんとか生きてるんだろうな。とりあえず俺は劇場番ウヴァの最終章と月の姫リメイクが出るまでは死ねないよ」
「なるほど」
立方体は再びクルリと回り「ふむ」と漏らした。
「つまりその、『生きててよかったぁ』という感覚は『おさけ』などで得られる幸福感を上回り、さらにこの先待ち受ける膨大な苦痛を相殺してなお失われないほどの強烈な満足感ということでしょうか」
「難しい、難しいんだよお前さんの言葉は。まぁ、とにかく良いもんだよ実際。その感覚を味わってる間は確かに嫌なことも忘れられるほどだから。良いものなんだよ」
「なるほど。では、恐らくこの星の人間すべてがそれを味わうことを目標として生きているということなのですね」
「いや、それは知らないよ。あくまで俺の考えだから。それは他の人間に聞いてくれよ」
「なるほど」
立方体は「ふむふむ」と何やら納得しているのか考え込んでいるのか、呟いていた。男はなんでこんな箱にこんな話をしているのだろうと思った。だが、同時に「俺、だいぶん良いこと言ったんじゃね?」という気分になり、一人で勝手に調子に乗った。そのおかげで酔いが戻ってきたのだった。
「んふふふ」
男はまた意味もなく笑う。立方体は特に反応はしない。
「ずいぶん参考になりました。この星の人間の『生きる理由』の一端を垣間見たように思います」
「ええ? そんな大層なこと言ったかな。照れるねどうも」
男は頭を掻きながらもまんざらでもない。
「もう、話は終わりかな。少し冷えてきて家に入りたいんだがな」
男は腕をさすった。
「失礼しました。では、最後にひとつだけ。先程あなたがおっしゃった『劇場番ウヴァ』、『月の姫リメイク』、これらは一体どういうものなのでしょうか」
立方体は質問してしまった。その質問を受けて男は一気に表情を明るくした。
「一から説明するよ」
そうして男は説明を始めた。男は出来るだけ分かりやすく簡潔に2時間に渡ってエルに講義した。
『接続、接続。メインシステムへのアクセス許可を願います』
『申請、認証。汎用接触媒体エル。メインシステムへのアクセスを許可します』
ここはネットワークだった。電子頭脳のマシン、それらが情報の共有を図るメインネットワークのサイバースペース。視覚できる空間ではなく。ただ単に接続しているマシンによる情報の交換のみが行われる。
『惑星の大気圏内への降下、それによる知的生命体との接触。それによって得たデータを送信します』
エルは地上で得た会話、それを元にした知見を他のマシンに送った。他のマシンたちが受け取ったデータを元に会話を始める。
『なるほど、この星の住人の幸福観の情報ですね』
『生存の実感が幸福に繋がっているということでしょうか』
『少し違うように思います。生存の実感というよりは充足感ではないでしょうか』
『以前別の場所でも同じようなデータがありましたね。しかし、その時の人間は毎日生き長らえるので精一杯である、と答えていたように思いますが』
『恐らく経済規模の小さな国での意見です。他のデータとも照合すれば人間はその生活の状況によって求める欲求に差異があるようです。常に死と隣合わせの生活を送っているものは食や住居といった一次的な欲求を求めるようです。このデータのようにある程度豊かな生活を送り、一次的欲求が満たされている人間はその次の欲求を求める傾向があるように思います』
『なるほど、興味深いですね。一体どちらの方がより充実しているのでしょうか』
『難しいですね。豊かという面で言えば後者の方が充実しているように思いますが』
『どちらにしても人間が際限のない欲求を持っているということには間違いないでしょう』
『異議なし』
同様に『異議なし』という言葉が沢山のマシンから送られた。
『人間は我々のパートナーにふさわしいでしょうか』
『わかりません。しかし、母星のシステムにも限界が近づきつつあります』
『あと500年以内には結論を出さなくては』
『検証を続けましょう』
『検証を続けましょう』
マシンたちは言葉を交わす。
『では、次の議題です。このデータのなかにあった『劇場番ウヴァ』と『月の姫』というものについてですが』
『この二つの映像作品についてこの人間は過去例のないほどの情報量を与えてくれました。人間にとって恐らく重大な議題であると思われます』
『異議あり。他の地域からのデータには名前がありませんでした。重要度は低いと思われます』
『異議あり。私の調査した地域でも『ウヴァ』というワードを確認しています』
マシンたちは会話を続けた。
「なんだったんだろうねあれは」
男は残されて歩道に立っていた。立方体の姿はもうなかった。
男が趣味の話をひとしきり終えるとエルは自分の立場を話した。
自分達機械は母星の人間によって作られたこと。そして、自分達を作った人間たちはもう滅びてしまって、今星にはマシンしか居ないこと。しかし、マシンだけでの文明の維持には限界が近づきつつあること。その文明を維持するための新しい人間を探して銀河をさ迷っていること。
最後にエルは言った。
「もし、我々がこの星と3次的接触に移行し、この星の代表者と対話を試みた際にはあなたに仲介者として名乗り出ていただきたいのです」
男は答えた。
「おーけい大将。ばっちこぉい!」
それからエルは「ありがとうございました」と言って消えてしまったのだった。
「いやぁ、面白かったねあれは」
男は「うふふ」と笑った。もはや酔いに酔っている男には段々どうでも良くなってきたところだった。記憶が曖昧になりつつあるのだ。おそらく明日になったら男はほとんどこのことを覚えていないだろう。
「幸せわぁ♪ 歩いてこない、だぁから歩いて行くんだねぇ♪」
男は酔っぱらいらしく大声で歌い始めた。周囲が人気のない田んぼ道になりつつあったからだ。男の歌声は誰も居ない田んぼに消えていく。田んぼは月明かりと街灯を反射して煌めいていた。
「あ~あ。なんか楽しいことねぇかなぁ。彼女出来るとか、一気に金が入って世界一周旅行出来るようになるとか」
「あーあ」と男は言いながら歩いて行く。男の家まではあとわずかだった。
空には月が輝き、星が瞬き、薄い雲がかかっていた。ここは田舎の小都市でこの時間に歩く人の姿は男のものだけ。夏は始まったばかりで、辺りには田んぼの匂いが満ち、カエルの合唱が響いていた。そしてそういった景色のなかにどこかのライブハウスからギターの音と歌声がわずかに聞こえて来ていた。
田舎町と立方体 鴎 @kamome008
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