第59話 道

 頭上を仰げば雲一つない青空です。太陽は元気はつらつと熱い光を降り注がせていますが、潮の香りのする風と、優しい波の響きとが、気持ちを爽やかにしてくれます。まさに絶好の海水浴日和です。


「よしっと」

 けれど私達はもうみんな帰り支度を完了し、歌葉うたはちゃんは別荘の玄関ドアに鍵を掛けます。まだもっと楽しんでいたい気持ちは強いものの、もともと一泊のみの予定でしたし、さつき先生は明日からまたご出勤です。立てよ万国の労働者です。

 生白い顔でうつむく先生に、日傘を差しかけてあげながら、柚原ゆずはらさんが歌葉ちゃんに最後の確認を取ります。


「歌葉さん、本当にこのままでいいの? 後始末とかまだ色々必要だと思うんだけど」

「あれだけ綺麗に片付けとけば十分だって。ちゃんと管理してくれてる人がいるから、任せて大丈夫だよ」


「だったらいいけど……」

 柚原さんはまだ心残りがありそうですが、ニコちゃんの手を引いた一子いちこちゃんが、さっさと移動するよう促します。


「いつまで真野まの先生をこんな明るい場所に放置しておくつもりかしら。ぐずぐずしてると灰になって崩れるわよ」

「それもそうですね。すいません先生、大変でしょうけど、帰りも運転よろしくお願いします」

 柚原さんからの要請に、日傘の陰で先生は快く応じます。


「もちろんです。だって私はそのためだけにいるんです。運転しない私に存在する価値はないんです。忘れ去られるだけなんです。だけど本当はその方がいいのは私だって分ってるんです」


「誰も忘れたりしねえからよ、さつきちゃん、よろしくな。柚原はまた助手席でいいか? さつきちゃんの話相手とかしてほしいんだけど」

「おっけー。任せて」


 中にこもった空気を入れ換えて、クーラーが効いてくるのを待ってから、車へと乗り込みます。席は行きと同じです。ニコちゃんを挟んで私と一子ちゃんが最後列、真ん中の列に本山もとやまさんと歌葉ちゃん、一子ちゃんに蹴り出されたはなださん、そして前列がさつき先生と柚原さんです。


 本山さんと歌葉ちゃんの手は、二人の間でほんのり触れ合っています。ですがどちらも気付いていないみたいにそのままにしています。それでいて見えないつっかい棒でもあるみたいに、肩と肩は微妙な距離を保っています。嬉し恥ずかし思春期です。


 さつき先生の運転は慎重で、むやみにスピードを出すようなこともありません。行きと違って賑やかに喋る声もなく、車内はいたって静かです。

 緩やかなカーブが続く海沿いの道で、歌葉ちゃんと本山さんは安らかに座席にもたれています。さっきより少しだけ互いの方に体が傾いていますが、くっつき合うのはまだ暫く先のことになりそうです。


「……あふっ……おふっ……ひうっ……ぐぅ……」

 縹さんはときおりびくんびくんと痙攣しながら、気持ちよさそうないびきをかいています。きっと一子ちゃんにしつけをされている夢でも見ているのでしょう。


 さつき先生と柚原さんは、小さな声で会話している気配です。クラスの円滑な運営のためにも、この二人にはいい関係でいてほしいところです。あるいはいけない関係かもしれません。今後の展開が注目されます。


 一子ちゃんはじっと窓から海を眺めています。冴え冴えとした端麗な横顔からは、私とニコちゃんの前途を祝福する気持ちが感じ取れます。寝息を立てるニコちゃんがこてんとよりかかっているのも、そんな姉心に引かれてのことに違いありません。


 道が大きく曲がります。車の動きに合わせて、ニコちゃんが私の方に身を寄せます。片側に幸せな温かみと重さを感じながら、私はそっとまぶたを下ろします。心地良いまどろみに包まれ、ゆっくり意識を手放しながら、私はどこまでも先に続くひとすじの道を見ています。白い百合のように清らかな光に導かれ、私達の旅は今まさに始まったばかりです。

(了)

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