夢中――1
「ねえ、前も訊いたかもだけど、君には夢というものがなかったんだけぇ? あれからできたぁ?」
「できませんよ」
放課後の、誰もいない教室で
篠生もそういえば、似たようなことを言っていたのである。
「夢って何でしょうね? 分かりますか?」
そう言っていた。もちろん、夢を持たない僕は首を振って、そこで話は終わったのだが。
「あ、まだダメなんだぁ。もう、学校が始まってから三日間が経つというのにぃ。……うーん。もしかしてあんまり刺激ないかなぁ? ここぉ」
「授業内容自体は、僕が思っていた高校生活と大差ありませんけど、その、皆が少しおかしいというか、なんて言うか」
「そりゃあ、怪異に遭った人達ばっかりだからねぇ。一般的なそれとは違ったものを持っているはずだよぉ」
全体の二割程度を占める魔法使いは、一つのクラスに集められているみたいなので、超能力者を考慮しないでおくと、確かに僕のクラスメイトの三十四人は全員怪異に遭った人間であるという可能性が高い。
しかし、それにしてもと思うのだ。
「でも、普通、あそこまで重い空気になりますかね? まるで、葬式のような雰囲気ですよ。正直、ずっと居続けたら胃が痛くなりそうです」
「あれぇ? それは確かにおかしいねぇ。いくら何でも、そこまで空気が悪くなるなんてあんまりないんだけどねぇ。クラス内でグループができあがっているならまだしも、まだ始業してから日は浅いし、不自然だねぇ」
そう言って唸り始めた先輩だったが、しばらく舐めるように僕のことを見渡した。やがて視線は下の方、つまり影の中にいる影踏に移されていった。
「もしかして、クラスの皆に影踏ちゃんのことを言ったとかぁ?」
「言うわけないじゃないですか。この学園でこいつのことを知っているのは僕と先輩とそれから数人――全部で五人くらいですよ」
「じゃあ、そのうちの誰かがばらしたとかかなぁ?」
一瞬、
「その線はないと思います。信用できる人達ですから」
「じゃあ、無意識のうちに君達から放たれている妖気を感じ取っているんだろうねぇ。まがりなりにも、怪異に遭った人達だし、そこら辺の感覚は素晴らしいものがあるんだと思うよぉ」
「そんなものなんですか?」
「そんなものだよぉ。怪異に遭うということは、今まで自分達が感じ取れなかった部分まで意識が拡張したということでもあるんだからぁ。それが、望んだことであれ、望まなかったことであれ、一度拡張してしまったものは元には戻りにくいんだぁ。怪異に遭ったものは、怪異に遭いやすくなるってよく聞くけれど、あれって、怪異に気づきやすくなるから巻き込まれる確立が高くなるって解釈したほうがいいんだと思うよぉ。でもそう考えると、丁度あれみたいだねぇ。ある言葉を知ると、途端、日常生活でその言葉が聞こえるようになるってやつぅ。実際は、その言葉の使用頻度自体は同じで自分が気づけるようになっただけなんだけどねぇ」
先輩はそこまでつらつらと語ったあと、小首を傾げて、何の話をしていたんだっけ? と言った。
僕が思うにこの先輩は頭がいい。とはいえ、創作物に出てくるような非現実的なレベルではないと思う。あくまでも現実的な範疇において、高校生の範囲において秀才と言えると思う。
ともすれば、このたるい口調も、何も考えてなさそうなその表情も、全て何かを隠す演技のように見えてならない。
だから僕は、その問いかけにも何らかの意図があるのではないかと疑った。第一、一年生の名前とプロフィールを全て暗記している人だ。よもや、わずか数分前の話題を思い出せないなんてことはないだろう。
なんて答えるのが正解なのか分からず、僕は少しばかり
「確か、クラスメイトの僕に対する警戒が強すぎるとか、そんな話ではなかったでしたっけ?」
「ああ、そういえばそうだったねぇ。でも、それは君達の妖気が原因だから、僕からは頑張れぇ! としか言えないかなぁ。それよりも、その前にどんな話をしていたっけぇ?」
「……夢の話ですか?」
夢や目標がない僕としてはあまり話題にしたくはなかったのだが、ここまでお膳立てされては言わないわけにはいかないだろう。
しかし、何も思うことがないというのは事実なのだ。
「ねぇ、本当に何も望むことがないのぉ?」
「ありませんよ」
「そんなんじゃあ、七つの玉を集めてようやく出した龍も困っちゃうよぉ! なにぃ? パンツでも望むのぉ?」
「そんな下心でわざわざあんな冒険はしないでしょう!?」
あんな命がけの冒険するぐらいなら、犯罪者になるかどうかの冒険をした方がまだマシな気がする。命の方が大事なのだから。
「えー。つまんない考え方だねぇ。命よりも夢の方を大事にする人もいるというのにねぇ」
「まあ、いることにはいますけど、だいたいの人は命を取るんじゃないんですか?」
ふと、頭の中で篠生が浮かんできた。
彼女はそういう意味で見れば、正しく前者であったと言える。夢虫という夢や目標を際限なく作り出す怪異を捨てて命を取ったのだから。
先輩はチラッと視線を移して、時計を見ながら言った。
「まあ、君がそう思うんならそれでいいんだけどねぇ。でも、夢って言うのは結構大事なんだよぉ? ほら、幽霊なんかは生前の
先輩はそういうと立ち上がった。
「あと、君ぃ。僕に言うことがあるんじゃないかなぁ?」
「いえ、そんなことは――」
否定しかけて、僕はここに残っていた本来の意味を思い出す。
そもそも、教室に生徒がいなくなるまで校内に残っていたのは、彼女を探していたからである。本当は風紀委員長を探していたのだが、調べたところ体調不良で休んでいたため、副委員長である彼女を探していたのだ。
「――ありますけど、どうして把握しているんですか?」
「実は、少し前に
何やってんだ、あいつ!
「いや、本当にすごかったよぉ。顔を真っ赤に染めて、僕に視線も合わせずにぃ。小さい声で言ってきてさぁ。思わず加虐心がくすぐられてさ、大きな声で言うまで執拗に『何しに行くのぉ? ねえ、ねえ』って訊いちゃったよぉ」
「何やってるんですか! すっごく可哀想なことになってますけど!?」
僕がされたと思ったら、堪らない。きっと、次の日から学校には来れなくなる。
「あははは。まあ、嘘だけどね。時子ちゃんはどちらかというと、何事もなく笑いながら、それこそ冗談めかしてデートって言ってたよぉ」
いや、その反応もその反応でどうなのかと思ってしまう。
会ってから、たった数日しか経っていないのだ。それをデートと言うのは、僕からしてみれば少し驚きであった。女っ気のない人生を送ってきたという自覚はあるので、彼女の反応が普通であるという可能性もあって、あまり強くでられない。
なにより下手に否定しすぎると、まるで僕が彼女を嫌っているように見えかねない。
僕はこれ以上、この話が続かないように話の流れ切った。
「それはそうと、やっぱり先輩が許可書を作れるみたいでよかったです」
「ん? 君、少しだけ勘違いしてないかなぁ?」
「え、勘違いですか……?」
勘違いと言われても、何をどう間違っていると言うのだろうか。委員長不在の今日に限って、発行する権限が彼女のもとまで降りてきた、およそそんな感じだと思っていたのだが、違うのだろうか?
「まさか、無許可で許可している、ということはありませんよね?」
「あはははぁ! 流石にそれはないよぉ。僕が言いたいのはねぇ、今日どころか、数週間前から委員長が不在ということだよぉ」
「不在……? なにか、怪我とか病気とか。それとも、怪異がらみで、ですか?」
考えられない話ではなかった。怪異に遭った者、魔法使い、それから超能力者。そんな特異な人達を相手に、治安を守らなければならない風紀委員がかなりの激務であることは想像に難くない。
僕が今言ったことはあり得ないことではない。むしろ、可能性として十分あり得る。
しかし、彼女は首を振った。
「ううん、違うよぉ。委員長は今、怪我でも病気でも、ましてや怪異に遭ったでもなく、単純に引きこもっているんだぁ」
引きこもりになったという一言に、僕は思わずつばを飲み込んだ。
肉体的な問題点しか考えることができなかった僕だったが、人間は精神と肉体でできている以上、精神的な不調も考慮しなければならなかった。どちらか片方のバランスが崩れても人はダメになるのだから。
「……やっぱり、風紀委員ってキツいんですね。委員長は可哀想ですけど、せめて先輩だけでも気をつけてくださいね」
「ん、まあ、ありがとぉ? ……でも、そこまでキツいものではないと思うんだけどなぁ」
「え? でも、委員長が引きこもったのって、その、あまりの激務に耐えられなくなったから、とかそういうんじゃないんですか?」
「あー。なるほど、君はだからさっきからそんなことを言っていたんだぁ」
彼女は得心したように、数度頷いてから言った。
「大丈夫だよぉ。彼女はそういった類いの問題で引きこもったんじゃないからぁ。まあ、風紀委員がらみであることには違いはないけどさぁ。それでも、もっと平和で微笑ましい理由なんだぁ」
……微笑ましい理由で引きこもるってどういう状況なんだ。
人ひとりが引きこもる問題に対して微笑ましいと言う先輩の心情が読めない。
僕はもう少し詳しい理由を訊こうと思ったが、部外者である僕がこの話に土足で上がっていくというのもなにか違う気がする。そんな抵抗感を覚えている間に、先輩はこの話を打ち止めにした。
「とりあえず、現在この学園に委員長がいないことを君に知ってもらったところで、一つお願いがあるんだぁ」
「お願いですか?」
「そう、僕からのお願い」
ここまで話して、僕はようやく先輩がこの教室で僕を待っていたのかを理解した。最初っから、この話をするためだけに先輩はここにいたのだろう。僕が許可書を求めていることを知っていても、それだけのためにわざわざ来るなんてことは、普通しないだろう。
どんなことを言われるのか分かったものではないが、おそらく、その報酬として許可書が出される可能性が高い。出された条件によっては、僕は篠生との約束をふいにしなければならないかも知れない。
苦々しい気持ちがこみ上がってきた。
「別に、そこまで嫌な顔をしなくてもいいと思うんだけどなぁ。それに、僕がお願いする話自体はそこまで悪いものじゃないと思うよぉ? まあ、全体的にはあまり喜ばしいものではないと思うけどねぇ」
先輩はそう断ってから、僕にこう言った。
「僕は君にある心積もりをして欲しいんだぁ。いや、心積もりというよりは、目標を作って欲しいかなぁ。前任者のようにならないためにもねぇ」
「目標を作って欲しい? 前任者? ……いったい、なんの話ですか?」
「なにって、君は今年の風紀委員長に選ばれたんだよぉ。君にとっては不本意だと思うけどねぇ。だから、それは僕からの慰めの印だよぉ」
彼女はそう言ってから、この場を去って行った。
目標を作って欲しい理由、前任者とは誰か。それらの謎は氷解したが、それ以上の疑問がふつふつと浮かんでくる。まるで不条理なぐらい大きいそれらを前に僕は困惑する他ない。
なにか言おうと思った僕だったけれど、予想外の展開に言葉を失っていた。辛うじて動く指先はピクピクと変な挙動をしていた。
結局、僕が動けるようになったのは、彼女が教室を出てから数分後のことであった。なにもする気が起きなくて、近くの机に腰をかけた。
許可書の裏面がチラリと見えた。なにやら文字が書いてあったので見てみると、そこには来週の月曜から活動が始まるという旨の文章が載せてあった。
「どういう状況だよ、これ」
溜息混じりにそう言った。それは教室の静寂にとけていったが、僕の困惑はしばらく収まることはなかった。あまりにも突然のこと過ぎて理解が追いつかないのである。
僕と彼女の怪異退治 現夢いつき @utsushiyume
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