無虫――2

 紺のブレザーに、白いスカートという、まさに入学式を終えたままの姿で彼女は縛られていた。彼女のすぐ後ろには枕が置いてある。


「なんだ、その……。まあ、人にはいろいろな趣味があると思うけどな。身体を拘束して睡眠を取るというのは、もしもの際に危険だから止めておいた方がいいぞ?」

「なんかひどい誤解を受けています! 違うんです。これは、正式な儀式なんです!」

「……ドMなの?」

「違います! 怪異をおびき出すための、です! というか、ドMの正式な儀式ってなんですか!?」


 篠生の悲痛な叫び声が上がる中、僕と影踏は彼女に近づいた。


「あ、すいません。自分で縛ったので、結び方が緩いんです。もうちょっと強めに縛ってくれませんか?」

「……なあ、本当にそういう趣向があるんじゃないんだよな?」

「あるわけないじゃないですか!? しっかり縛んないとダメなんです! そう書物にも書いてありました」


 いや、まあ。怪異の撃退方法はメジャーなものならいくつか知っているが、どれも微妙に筋が通っていないように思えるものばかりだ。特に口さけ女の例なんかが顕著だろう。なぜ、男性用整髪料ポマードと三回言えば撃退できるのか、さっぱり分からない。ちなみに、ニンニクと二回唱えれば撃退できるという話も昔はあったが、今はそこまでメジャーではない。

 だから彼女の言う正式な儀式というのも、ありそうと言えばありそうなのだ。ただ、思うのは、この儀式を考案したやつは若干性癖が歪んでたのではないか、と。

 あ、いや。そういえば、原典では主人公が男だったんだっけ?


 ……僕は考えるのをそこで止めた。

 まあ、そうだよな。怪異を払うんだから、手足を縛るぐらい普通だよな!


 とりあえず、彼女があの時儀式のことについて口を閉ざした理由は分かった。縄で自分を身動きできなくするというのは、少し変なイメージを喚起する。それゆえ、彼女は言い渋ったのだろう。

 僕は言われたとおりに彼女の手を縛った。とはいえ、脚を縛るのは流石に問題があったので、そこは影踏に任せた。彼女がキュロットパンツを履いている原因が僕にあると言えば、どうして察しがいいのか少しは理解してもらえるだろうか?


「ん、ん……あ……っ!」

「あの……。変な声出すの止めてもいいか?」

「私だって出したくて出しているんじゃないんです! その、咳をするなって言われた時に限って咳をしたくなっちゃう時ってありますよね? つまりはそれなんです!」

「あ、うん。分かったから、そんなに暴れるな」


 人を縄で縛ったことは、当たり前であるが今までで一度もなく、かなり手間取ってしまったが、なんとか縛り終えた。そして、影踏はというと。


「あ、ちょっと。動かないでよ。ちゃんと結べないじゃない」

「いっ! 痛! ちょ、待ってください! そんなに強くしないでください! 痛い痛い痛痛いあいあいあ!」


 嫌って言いたいのだろうが、痛みで舌が回らなかったのだろうが、邪神を讃えているようにしか聞こえない。


 ともあれ、こうして僕達は準備を終えた。

 準備の段階で篠生は涙目になってしまったが。


「その、大丈夫か……?」

「え? あ、はい。大丈夫です。いくら痛くても、流石に細胞が壊死してしまう程ではないので」

「いや、そっちではないんだが。……というか、そこまで痛いのか。少し緩めようか?」

「ああ、そっちの方ですか。そうですね。まあ、大丈夫です。覚悟はできていますので。それと、ひもは緩めなくて結構です。……考えたら、その、スカートですから、見えちゃいますもんね」


 後半の要らない言葉で多少シリアス度は下がったといえど、彼女の言った覚悟という言葉はひどく重く僕にのしかかってきた。

 その重みから逃げていた今日の午後であったけれど、どうやら、もう逃げることはできないらしい。いや、そもそもできないのだ。

 僕達は今から、篠生の命をかけて戦わなければならないのだから。

 いくら、影踏がいて比較的楽な戦いであっても、戦いであることには違いないのだ。


 上代成樹は言った。

 怪異に遭ったら迷わず逃げろと。しかし、もしそれが不可能であるのなら、徹底的に怪異に抗えと。

 抗え――つまり、今から行うことは命をかけた戦いなのである。


 深呼吸をする。

 あまりにも悲壮感漂う表情になっていたのか、篠生は慌てて弁明した。


「あ、でも、その。信用しているんですよ? 染野さんと影踏さんは絶対にあれを倒してくれるって。大丈夫です。あなた達は、絶対にできますから! というか、私を救えるのはあなた達だけですからね?」


 たった一日でどうしてそこまで思えるのか、僕には分からなかったけれど、その言葉は確かに背中を押してくれた。

そうだ。彼女を救えるのは僕達しかいないんだ。なら、どんなことになっても怪異を払わなければならない。退治して、彼女の期待に応えなければ!

 僕は頷いた。


「そうだね。うん。大丈夫。きっと僕達が君を――救ってみせるから」

「……ごめんなさい」


 そんなに気に病むようなことでもないと思ったが、同時に、このような現象に僕を誘い込んだことに罪悪感を覚えているのだろうと思うと、この反応も分かるというものだった。

 僕は彼女を救わなければならない。


「影踏――」

「私は出てきた虫だか、山椒魚だかよく分からないモノを食べればいいんでしょう?」

「――ああ。頼んだぞ」

「ええ、いいわ。頼まれたわ」


 僕は篠生の言葉に従って照明を消した。

 夢には二種類ある。一つは夜に僕達が見る夢であるが、もう一方は、目標や希望という言葉で置き換えることができる夢である。そして、夢虫の夢がどちらをさすかというと、それは後者であるらしい。

 ともすれば、一六歳で寿命を終わらせてしまうというのが、怪異としてもっとも大きな特徴という風に見えてしまいかねない夢虫だけど、本質はやはり人の夢を作り、それを達成させることを糧として生きていると言うことだろう。

 では、どうやってその夢が作られるかというと、日々の視覚情報から連想し設定されるのだという。

 篠生がピッキングを覚えていたのも、これと無関係ではないと思う。鍵穴なんて生きている以上、それに一人暮らしをしている以上は数えられないほど目にするのだから。その中でピッキングという言葉を連想できない方がおかしい。

 だから、暗闇なのだ。光が届かず、何も見ることができない漆黒。それをもって彼女の連想を断ち切る。

 そして、枕が用意されているのはこの怪異が『夢』虫だからだ。同じ漢字に同じ読み、しかしその意味するところは二つある。目標に形を持たせて誰もが分かる象徴にすることは難しいけれど、夜に見る夢を象徴するものはある。

 ベッドと枕、それから布団。

 今回はその中から枕が選ばれたというそれだけの話である。


 新たな夢を見ることができない夢虫は、やがて新たな夢を求めてた頭の中から出てくる。この儀式はこれを代替品を用いながらなぞっているのだ。


 時間が経つにつれ、目が暗闇に慣れてくる。鮮明というにはほど遠い解像度ではあるけれど、動いているものを捉えるには十分な明るさであった。

 ――一秒。また一秒。時間が経つにつれ、緊張の糸が限界まで張り詰めていく。感覚がヤスリにでもかけられたかのように研ぎ澄まされていった。


 そして、運命の時は来た。

 ペタリ――ペタリ。両生類が水から上がった時のような音が無音の部屋に響いた。

 闇の中で怪しく光る二つの眼光。辛うじて見える輪郭はやはり伝承の通り山椒魚さんしょううおの形をしていた。覚悟していたが、あまりにも突然現れたので僕は緊張のあまり喉を鳴らす。

 未知のものをこの目で見たという不気味さが汗となって額から吹き出さんとしていた。


 しかし。


 それからは一瞬の出来事であった。瞬きであっても、目を閉じていれば僕はその光景を見ることは叶わなかったはずだ。そのくらいの早業で影踏は夢虫を喰った。

 彼女は出てきた夢虫をなんの躊躇ためらいもなくその手の中に捕らえ、そのまま口の中へと運んだのだ。

 ゴクン。――彼女が僕とは違った意味で喉を鳴らす。

 それが夢虫の最期の叫びであったかのように、再び室内は静まりかえった。数秒して思い出したように僕は照明のスイッチを入れる。

 辺りを照らすその光は何だか久しぶりに見たように思えた。それを見て安心してしまったのか、僕は溜息を吐く。思わず、足の力が抜けそうになったがなんとか堪えた。何もしていない僕が倒れてどうするというのだ。

 僕は依然として目を瞑っている篠生を揺すって起こした。


「おい、大丈夫か。終わったぞ、篠生」


 そう言うと彼女は目をこすりながら、上体を起こした。まるで寝起きのような表情であったが、僕と視線が合うと、自分自身の肩を抱きしめるようにうずくまった。


「うう~。あ~! ようやく、ようやく私は……っ!」


 そんな声が聞こえてくる。

 夢虫の呪縛から解き放たれた彼女は思い出したように、僕達にお礼の言葉を言った。それから、再び喜びを噛みしめ始めた。

 そして何かから解放されたと言う感覚は僕と同じであった。彼女の命という途方もないほど重い重圧が消えて、心が非常に軽くなった。安堵にも似た感情を味わうように僕は目を瞑って唇を噛んでいた。

 それぞれ今まで抱いていた感情を噛みしめる中、影踏はただひたすら夢虫を咀嚼していた。後に、彼女は夢虫をクソまずかったと評価する。

 なにはともあれ、かくして僕と彼女の初めての怪異退治は終わった。

 それも成功という形で。


 その事実は変わらないし、おそらく誰が見てもこの退治は成功であったと言うに違いなかった。

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