さようなら小さいおじさん
「えっ、小さいおじさん。あんずさんのところにいけるって、どういう意味?」
「ワシを
大黒天は全身から神々しい光を放ち、あぐらをかいたまま浮かび上がる。
小さいおじさんは、あんずさんに会うために天願家にやってきた。
そして恵比寿青年が迎えに来た時、七海は無理矢理小さいおじさんを引き留めたのだ。
「あんずさんのいる彼方って、つまり小さいおじさんはここから居なくなるってこと?」
「あの時娘はワシに「ひとりぼっちで暮らすのは辛い」と言った。だがもう娘はひとりぼっちではない」
小さいおじさんは諭すように語りかける。
七海と小さいおじさんが出会った時、この家は真っ暗で人の気配はなく、ゴミのあふれかえった汚屋敷だった。
でも今は新しい畳と障子に取り替えられ、屋根の雨漏りも直って清潔で風情のある古民家に変身している。
そして天涯孤独だった七海には、彼女を姉と呼ぶ美少女真琴やライバルだった恵比寿青年がいる。
「小さいおじさんはご飯を食べるだけで何もしなかったけど、一緒にいる間私は全然寂しさを感じなかった」
「ワシが側にいたから、娘は大きな事故や病に合わず普通に暮らせたのだ。それでも色々と騒動は起こしたが」
「私はあんずさんみたいな力は無いから、小さいおじさんが彼方に還ったら、もう二度と会えないのね」
白いレースのベビーキャップにエプロンドレス姿の小さいおじさんの背後から、虹色に輝く後光が差している。
神力を取り戻した小さいおじさんは、七海が気軽に扱える相手ではないのだ。
そう思ったとき、横から細い腕が伸びてきて、小さいおじさんを両手で捕まえる。
「嫌だ、帰らないで!! 私、大黒天様がいなくなったら寂しい」
いつの間にか真琴は恵比寿青年の持っていた金貨を奪い、小さいおじさんを両手で抱え込む。
「真琴、大黒天様を離しなさい」
「私の
七海や恵比寿青年と違い、真琴は友達のように小さいおじさんと接していた。
だから急に別れを告げられたショックで、真琴は黒曜石のような瞳から大粒の涙を流す。
真琴の胸元に抱きしめられたままの小さいおじさんの頭上に、パラパラと雨のように涙が降る。
「弁財天にそんなことを言われると困るなぁ。そうだ、ワシへの恩返しは弁財天の通う女子校に、痛っ、いたたたっ」
「コラッ、太って貫禄が出てたけど、中身は小さいおじさんのまんまね。真琴ちゃんに悪さをしたら、大黒天だろうが承知しないわよ」
「待て娘よ、そんなに怒るでない。うわぁん、お腹をぷよぷよするのはやめてくれ」
小さいおじさんのお腹を七海が指で摘まんで揺さぶるのを見て、真琴の涙が止まり、そして笑いをこらえきれず吹き出す。
「大黒天様、ワガママを言ってごめんなさい。私短い間だったけど、大黒天様と会えて良かった」
「ワシも弁財天ともっと一緒にいたい。しかし大黒天の神力も一時的に取り戻しても、あんずさんがいなければいずれ枯渇するのだ」
真琴は鼻をすんとならして涙を拭いながら頷くと、抱えていた小さいおじさんから手を離す。
小さいおじさんは風船のように部屋を漂うと、畳の上に正座して姿勢を正す恵比寿青年を見つめる。
「大黒天様は、還ってしまわれるのですね」
「恵比寿には本当に世話になった。ワシが神の姿を保っていられたのは、恵比寿が毎日供げてくれた食事のおかげだ」
「いいえ、僕は真琴の声を治すことも、大黒天様を復活させることも出来ませんでした。でも最後に大黒天様の御神体に直に触れ、やっと
小さいおじさんにかなり執着していた恵比寿青年が、落ち着いた静かな口調で話す姿に、七海は違和感を覚える。
その時、空間が大きく歪んだ。
七海は異変を感じ取り顔を上げ耳をすますと、どこからかグワングワンと銅鑼を叩く音が聞こえる。
エスニックな弦楽器と笛の賑やかな音楽と、楽しげな女性たちの歌声。
「近所でお祭りがあった? それにこれは波の音と、磯の香りがする!!」
七海の第三の眼は、閉じた雨戸の向こう側から得体の知れない何かがこちらに近づいてくるのが見える。
「あれは何? 国道を走るデコトラみたいに派手に光っているけど、トラックというより……船!!」
外の様子を確認しようと雨戸に触れた途端、雨戸が自動ドアのように開き、七海は目の前に広がる景色に口をあんぐり開けたまま固まる。
「夜八時なのに外が昼間みたいに明るい。それとどうして庭が海になっているの?」
天願家の縁側の向こう側に大海原が広がり、七海は冷たい波しぶきを頭からかぶる。
海の向こうからデコトラみたいな船がこちらに進むにつれ、それはとんでもなく巨大で絢爛豪華な帆付き船だとわかる。
船首が竜の形をして、船体は金と赤に極彩色の花々が描かれていた。
『宝』の文字が書かた帆がはためき米俵や宝物が積まれた、縁起物の飾りでよく見かける宝船。
小さいおじさんは、ど派手な宝船に向かって手を振る。
「おおい、おおい、ワシはここだァ。お迎えの船が来たぞ」
「もしかして、この宝船を呼んだのはあんずさん?」
宝船の上から楽しげな祭り囃子が聞こえ、色とりどりの花吹雪が舞い、空には彩雲がかかる。
それはあまりに巨大で、首を伸ばして精一杯見上げても、船上で何が行われているのか見えない。
船の周囲を飛ぶ白い鳥は、翼の生えた人の姿をしていた。
巨大で豪華絢爛な宝船は縁側の直前で泊まり、船の上から金色の縄梯子が下ろされ、大黒天はそれに足をかける。
「娘よ、これで本当にお別れだ。達者で暮らせよ」
「小さいおじさん、あんずさんに会ったら伝えて。私は元気で頑張るから」
太った体で縄ばしごをのっそのっそと登る大黒天を助けようと、恵比寿青年は縄ばしごを掴もうとしたがそれは手の中をすりぬける。
「僕は最後まで、大黒天様をお助けすることが出来ませんでした」
「恵比寿よ、ワシがいなくなったら娘が心配だ。どうか娘のことを頼むぞ」
「分かりました、お任せください大黒天様」
白いレースのベビーキャップにエプロンドレス姿の小さいおじさんが、ゆっくりと時間をかけて縄ばしごを登り終えるのを三人は見届ける。
「これは七福神の宝船だから、恵比寿さんや真琴ちゃんも乗れるんじゃない?」
「私たちは生きた人間だから、神様の船には乗れないの」
「そうか、この船は彼方にいるあんずさんの元に行くのね」
船の上から聞こえる、けたたましい銅鑼の音は出航の合図。
巨大な船は白い波しぶきを上げながら動き出し、しかし船首を方向転換すると七海たちの顔色が変わった。
小さいおじさんを乗せた宝船は、テーマパークのアトラクションのように激しい波音をたてながら七海達の方へ突っ込んでくる。
「ちょっと嘘でしょ!! せっかく雨漏り直したのに、こんなでかい船が突進したら家が壊れちゃうっ」
「七海 姉(ねーね)、この船はあんずさんの仏壇に向かって進んでいる。早くここから逃なくちゃ」
恵比寿青年は腕を伸ばして真琴を抱え込むと、尻もちをついて座り込んだ七海の腕を掴んで立ち上がらせる。
急いで異空間から出なくては、海に飲み込まれる。
仏間から出ようと駆けだした三人の膝まで海水が勢いよく押し寄せ、次の瞬間、巨大な波しぶきに巻き込まれた。
冷たい海の中に引きずり込まれたと思ったら、七海たちは仏間の畳の上に座り込んでいた。
うるさい銅羅の音も荒々しい波の音も消え、ゼイゼイと自分たちの荒い息だけが聞こえる。
「び、びっくりしたぁ。今のは何っ、夢かまぼろし?」
「七海
真琴は重たく湿った長い髪をかきあげる。
七海は立ち上がり恐る恐る雨戸を開けると、外は月の無い暗い夜で、家の背後の竹林が風でざわめく音が聞こえるだけだ。
「小さいおじさん、とうとう行っちゃったね」
七海は名残惜しそうに呟くと、雨戸を閉めた。
部屋の中は海が押し寄せた様子もなく普段通りで、仏壇の前に小さいおじさんの座布団が置かれている。
しかし恵比寿青年は畳の上に座って、しきりに首をかしげている。
「恵比寿さんも早く服を着替えないと、風邪をひくよ」
「ああ……全身の、力が抜けて、立ち上がれない」
***
空き店舗の目立つ寂れた駅前商店街に、賑やかなクリスマスソングが流れる。
バイトを終えた七海は、自分の胸までの高さがあるクリスマスツリーを自転車の荷台にくくりつけた。
ここ数日急激に気温が下がって自転車のハンドルを握る手がかじかみ、そろそろ手袋が必要だ。
広い国道を走らせ、横道に入り住宅街を通りかかった七海は、角の店から漂う匂いに思わず自転車を停める。
「うわぁ、炭火焼きのとても香ばしい匂いがするよ。小さいおじさん、お腹空いたね……」
自転車かごに乗せたリュックに話しかけた七海は、ふと我に返る。
「もう小さいおじさんはいないのに、美味しそうなものを見るとつい話しかけちゃう」
七海は居酒屋の店前で焼いている焼き鳥の盛り合わせを、千円分買った。
再び自転車をこいでだらだら坂を登り切ると二階建ての古民家が見え、黒塀の横に白い車が停まり玄関には明かりがついている。
七海は郵便受けにから封筒を取り出して自転車の荷台からツリーを下ろし、両手に抱えて家の中に入る。
「ただいまぁ真琴ちゃん、クリスマスツリー買ってきたよ」
「七海
クリスマスツリーより焼き鳥の香りに誘われた真琴が、笑いながら七海に駆け寄る。
「角の居酒屋で、焼き鳥盛り合わせをお持ち帰りしたよ」
「私もデパ地下のデリカで、スモークサーモンのテリーヌと生ハムとアスパラガスのサラダを買ってきた」
「スモークサーモンのテリーヌって、超お洒落じゃない」
真琴は制服の上からエプロンを着ている。
七海が台所を覗くと、テーブルの上にはサラダとテリーヌとインスタント味噌汁の袋が並んでいた。
「真琴ちゃんったら、先にご飯食べればいいのに。私が帰るのを待っていたの?」
「せっかく美味しそうなデリなのに、一人で食べるのはつまらない。桂一
真琴がため息交じりに呟くと、台所の反対側の仏間を指さした。
表に車が停めてあるから、恵比寿青年も家の中にいるはずだが姿は見えない。
七海は無言で頷くと、乱暴に仏間の扉を開けた。
薄暗い電灯の豆電球だけがついた仏間で、恵比寿青年は小さいおじさんが使っていた座布団を枕にふて寝している。
七海は大股で仏間に入ると、畳の上に寝転がる恵比寿青年の肩を叩く。
「ちょっと恵比寿さん、部屋の真ん中で転がってないで端に寄ってちょうだい。それとスーツがしわくちゃになるよ」
七海が電灯を付けると恵比寿青年はまぶしそうに顔をしかめ、小さいおじさんの座布団に顔を伏せたまま、這って部屋の隅に移動する。
「ねぇ真琴ちゃん、恵比寿さんずっとこんな様子だけど、ちゃんと仕事しているの?」
「うん、外では普段通り爽やかで仕事の出来る若社長だよ。でもこの家に来ると、大黒天様を思い出してグダグダになっちゃうの」
小さいおじさんが彼方に帰った途端、それまで冷静を装っていた恵比寿青年は、立ち上がることも出来ないほどショックを受けた。
「大好きだった小さいおじさんに突然別れを告げられて、恵比寿さんは大失恋したようなものね」
「それと宝船を召喚したあんずさんの凄まじい霊力を見せつけられて、桂一
恵比寿青年の小さいおじさんに対する執着心は凄まじく、頑張って尽くせばいつか自分の元へ来てくれると信じていた。
しかし巨大な宝船を見せつけられ、大黒天はあんずさんに招かれた福の神だと思い知らされた。
それからの恵比寿青年は抜け殻状態で、天願家に来ても何もせず仏間でゴロゴロ寝転がり、今日も真琴が何度声をかけても無反応だ。
仕方なくふたりは彼抜きで、お持ち帰りデパ地下デリと焼き鳥で夕食をとる。
食事を終えた七海は、仏間のすみで寝転がる恵比寿青年を無視して、ちゃぶ台の上にビールと焼き鳥を置くとテレビをつけた。
バラエティ番組の笑い声と、七海が缶ビールのプルタブをプシュッと開ける音が聞こえる。
「そういえば小さいおじさんって神様なのに、お笑い芸人が必死でダイエットする健康番組を真剣に見ていた」
恵比寿青年はノロノロと座布団から顔を上げると、七海が手を仰いで焼き鳥の匂いを漂わせていた。
「君はまた、そんな悪ふざけをする。僕は食欲がないんだ」
「そうだね。私、恵比寿さんの気持ちが少し分かるよ。私はあんずさんの時、半年間ほぼ引きこもりだったよ」
背中を向けたままの七海に、恵比寿青年は生気のない声で話しかける。
「僕は学生の頃から勉強もスポーツも優秀で、親から引き継いだ仕事も順調。恵比寿天の加護のおかげで人間関係も良好だった」
「恵比寿さんはこれまで挫折とは無縁だから、小さいおじさんに大失恋してショックを受けたのね」
「挫折なんて散々味わっている。僕は痩せ衰える大黒天様に何も出来ず、
「えっ、そうなの? 恵比寿さんって自信満々でちょっと意地悪だから、挫折しているように見えないけど」
「僕は君と大黒天様を奪い合っているつもりでいたが、大黒天様はあんずさんの大黒天だった」
「あんずさんの霊力は桁違いだもの。私たちとは格が違うよ」
久しぶりに恵比寿青年と普通の会話を交わした七海は、彼の心の傷は時間が癒せしてくれるだろう。と生温いことを考えていた。
しかし恵比寿青年はゆらりと起き上がると、暗い瞳で七海を見つめる。
「格が違う? そうだ、君の霊力を鍛えれば、再び大黒天様を彼方から呼び寄せられるかもしれない」
「私パンダに押し潰されて動けなかったのに、巨大な宝船を召喚して小さいおじさんを連れてくるなんて絶対無理!!」
「それに僕は大黒天様から、君のことを頼まれてしまった」
「ちょっと、恵比寿さんの目つき怖い。もうライバル関係は解消したから、私たちタダのお友達よ」
「君はたぐいまれな霊力を持っているのに、お人好しで情に流されやすい。ダメ男に利用されたら、これまで以上の騒動を起こすだろう」
「どうして恵比寿さんが私の恋愛遍歴を知っているの!! あっ、奥さんから聞いたのね」
小さいおじさんが居なくなったら、ストーカー気質の恵比寿青年の矛先が七海に向いた。
「君を縛り付けるには、恋人、
「でもフリーターの私と若社長の恵比寿さんがおつきあいするなんて、世間の噂とか、ゴニョゴニョ」
「何を今更、僕がこの家に通い続けているくらい皆知っている。それにお人好しの君は、大黒天様に大失恋して傷心の僕を見捨てられない。本当に嫌なら僕をこの家から追い出せばいい」
やれるものならやってみろと勝ち誇った視線で見返す恵比寿青年に、お人好し過ぎる七海は、大失恋して弱った彼を追い出すなんてできない。
「恵比寿さん、支離滅裂だよ。私たちは恋人というより……仲間とか同士とか、そんな関係だと思う」
「そういえば僕は君に靴を買う約束をしていた。デートの予定を組もう。銀座の店にしよう」
「ええっ、銀座でどんな靴を買うつもり? 私が欲しいのは仕事で履くスポーツシューズだから、近所の靴量販店でいいよ」
「ワーイ、私も七海
するとこっそり二人の様子を伺っていた真琴が、部屋に飛び込んできた。
真琴は七海に目配せすると、甘えるように恵比寿青年の腕にしがみつく。
小さいおじさんが居なくなって、無気力にふさぎ込んでいた恵比寿青年を、真琴はとても心配していたのだ。
「最近桂一
「せっかく銀座に行くなら、歌舞伎座の近くの牛タンシチューのお店に行きたいな。それからハンバーグが美味しい洋食屋さん」
「桂一
ふたりが次から次へと注文を出すので、恵比寿青年は慌ててスマホで言われた店を検索する。
デートでもなんでも、家でゴロゴロふて寝されるよりいい。
「そうだ、買ってきたクリスマスツリーを飾らなくちゃ。恵比寿さん、廊下に置いたツリーを持ってきて」
「天願さん、この家には恵比寿天と弁財天がいるのに、クリスマスを祝うのか?」
「クリスマスってキリスト様のバースディだから、宗教とか関係なくみんなでお祝いしようよ」
七海の能天気な返事に、恵比寿青年は少し不満そうな顔をしながら、廊下にクリスマスツリーを取りに行った。
すると待ってましたとばかりに、真琴が七海に詰め寄る。
「七海
「それ誤解だって。恵比寿さんは小さいおじさんに私のことを頼まれただけよ」
「七海
もう、じれったい。と真琴が声を上げたところに、恵比寿青年が首をかしげながら戻ってくる
「廊下にクリスマスツリーは無かった。この人形だけ置かれていた」
、恵比寿青年が持っていたのは、プレゼントの袋を背負った小太りのサンタクロース人形だった。
「私サンタ人形なんて買ってない。あれ、この人形の瞳、どこかで……」
七海はおもわず人形に手を伸ばそうとした。
次の瞬間、サンタ人形の全身から金色の光が放たれる。
部屋中を神々しい光が満たし、人形はクルクルと回転しながら膨れあがり、鏡餅のようなシルエットに変化する。
「この気配はまさか、でもどうして」
「うわあぁーーん。娘よ、ワシはあんずさんに怒られた!!」
子猫サイズからデブ猫サイズに、ふた回り大きくなった大黒天が七海の胸に飛び込んでくる。
「どうして小さいおじさんが、うわっ、ちょっと待って、重たすぎて腕がもげるっ。あんずさんの所でどれだけ暴飲暴食してきたの」
七海は抱きついた小さいおじさんを持ちきれず、座布団の上で放り投げた。
まるで実家に子猫を預けたら、親が餌をやりすぎてデブ猫になった。みたいな肥え方をしている。
小さいおじさんは泣きながら、背負った宝袋の中から野球ボールを取り出す。
「あんずさんにこれは偽物だと怒られた。ニチローのホームランボールを持ってくるまで、彼方に還ってくるなと言われたのだ」
「そういえば小さいおじさんは、大リーガーのニチロー選手に会うためアメリカに行ったのよね」
「ワシはアメリカでホームシックになって、早く日本に帰りたくて、顔も知らない選手のボールを持ってきたのだ」
久しぶりの対面なのに、ウオンウオンと泣きながら罪を告白する小さいおじさん。
「あれだけの霊力を持つあんずさんだから、嘘ついて怒らせたら怖いよぉ」
「そんなに泣かないでください大黒天様。僕が球団関係者からネットオークションまで、あらゆる手段を駆使して、ニチロー選手のホームランボールを大黒天様へクリスマスプレゼントします」
さっきまで無気力で部屋で寝転がっていた恵比寿青年が、生き生きとした表情で小さいおじさんを励ます。
「えっ、恵比寿さんはさっきまでクリスマスに不満顔だったのに、あっさりキリスト教のイベントを容認している」
「きっと大黒天様は、僕へのクリスマスプレゼントです。クリスマスは豪華料理を準備して、僕と一緒に過ごしましょう」
すっかり浮かれ気分の恵比寿青年のとなりで、真琴は手帳を取り出してスケジュールを確認している。
「そういえば大黒天様、私の学校に行きたいって言っていたでしょ。クリスマスに開催されるパーティに連れて行ってあげる。女の子ばかりだから楽しいよ」
「わーい、ワシはクリスマス大好き。弁財天と女子校のクリスマスパーティに行きたい」
「そんな、大黒天様。僕を捨てて真琴とクリスマスを過ごすのですか?」
「だって恵比寿の料理はいつでも食べられるが、女子高のクリスマスパーティは年一回しか参加できないぞ」
きゃっきゃとはしゃぐ真琴と小さいおじさんと打ちひしがれた様子の恵比寿青年に、七海は笑いがこみ上げる。
「仕方ないわね。私はクリスマスの予定は入ってないから、恵比寿さんに付き合ってあげる」
「別に無理しなくてもいい。僕はいくらでもスケジュールを入れられる」
「小さいおじさんが帰ってきた途端、元の意地悪な恵比寿さんに戻った。なんて調子いい男なの」
軽口を叩く七海の耳元で、恵比寿青年が優しげな声でささやく。
「あんずさんは君のことが心配で、再び大黒天様を遣わしたのだろう」
返事をしようとして顔を上げた七海の目の前で、彼はまるで普通の人間みたいな、照れた表情で笑った。
千葉の郊外の広い国道から横道に入り、住宅街を百メートル進み途中のダラダラ坂を登り切ると、黒い塀に覆われた二階建ての古民家が見える。
黒塀の前に白い高級車、玄関先には年期の入った青いママチャリと新しいピンク色の電動アシスト自転車が並ぶ。
ご近所で噂は、最近家主女性がどこかのイケメン若社長にプロポーズされたとか、同居している美少女女子高生が外国のオーディション番組で優勝してハリウッドデビューとか。
それと家の周辺に、デブ猫サイズの太ったおじさん妖精が現れると、子供達の間で噂になっている。
「って、小さいおじさんったら、ご近所さんにバッチリ姿を見られているじゃない」
「最近ダイエットを始めて、家の周囲をジョギングしているのだ。その時姿を見られたらしい」
「大黒天様は今のままでとても愛らしいのに、ダイエットなんてお辞めください!!」
「恵比寿さん、声が大きい。赤ちゃんが起きちゃうよ」
七海達は、無事出産した店長の奥さんが入院する産婦人科に来ていた。
新生児室のガラス越しに並んだ赤ちゃんの目線が、小さいおじさんに集中している。
「子供には大黒天様の姿が見えている?」
「小さいおじさんの体型って赤ちゃんと同じくらいだから、自分たちの仲間と思っているかも」
デブ猫サイズになった小さいおじさんは、リュックに入れて背負っている。
七海たちが病室をたずねると、ママになった奥さんが色の白いポッチャリした可愛らしい赤ちゃんを抱っこして迎えてくれた。
「奥さん、ご出産おめでとうございます」
「七海ちゃんに恵比寿社長さんまで、来てくれてありがとう。私の可愛い天使ちゃんを見てちょうだい」
新生児室の赤ん坊と同じように、奥さんの赤ちゃんも小さいおじさんを凝視していた。
柔らかい毛布にくるまれた小さな赤ん坊を見て、七海は首をかしげる。
「この子……長い顎ヒゲが生えているけど、えっ、目の錯覚?」
「天願さんにも見えるのか。赤ん坊の全身から放たれる神々しい霊力は、まさか」
『フウッ、ホギャア(久しいのぉ、大黒天に恵比寿天)』
「そういうお主は、福禄寿ではないか」
肩を震わせて泣き出す赤ん坊の声が、七海にはしゃがれた老人の声に聞こえる。
「ちょっと待って、小さいおじさん。この子が七福神の福禄寿ということは、神様が増えた?」
『ホギャア、ホアッ、ホギャア(ということだ、娘よ、よろしく)』
END
貧困フリーター女子、小さいおじさん(福の神)拾いました なんごくピヨーコ @nangokupyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます