最終話 『執行』
俺が突っ立ている横で、元編集長の太田は椅子に踏ん反り返っている。そして俺の顔を下から、見上げている。
「なんだ、あれ。あのショボい終わり方は」
太田が、廃刊になった「未来ジャーナル」のことを言っているのは明白だった。俺が香川警備保障襲撃の件を追っていることは、太田も気づいていたはずだ。俺の最後のコラムも、その件だとわかっているはずだ。それを俺は、ああいう終わり方をさせた。そのことに対し、太田は「ショボい」と言っているのだ。
「なに、ホッコリさせてんだよ。お前らしくない」
「それ、妻にも言われたっす」
「いつもと内容同じじゃねえか。それになんだ、あの『編集長からの挨拶』って。俺、そんなもん書いたことねえぞ。無難に終わりやがって」
俺は太田の言葉に、返す言葉がない。
「まあ、俺も他部所に避難したからって、変なもん出版されたら、俺も非難されただろうからな。特に何も言われなかったから、まあ、助かったよ」
太田はそう言いつつも、どこかで俺が一発派手なものを打ち上げると期待していたのかもしれない。彼もジャーナリストの端くれなのだ。
「どうっすか?新しい部所は」
「児童書か?まあ、つまらねえけど、つまらねえのは前と変わんねえからな。そんなことはどうでもいいけど、お前、嫁さん帰ってきたんだって?」
「まあ、記者から足を洗ったんで」
「足を洗った、なんて記者を犯罪者扱いするなよ」
「いや、そういうつもりじゃなくて」
「冗談だよ。それで、家族、うまくいってるのか?」
「そうですね。妻は、ジャーナリスト時代の生き生きしていた俺を応援してくれていたんですが、まあ、娘もいますので。今まで作れなかった家族と一緒にいる時間が作れることで、今は安心してくれてます」
ふーん、太田はつまらなそうに返事をした。
そして、俺の姿を上から下まで舐めるようにジロジロ見た。
「それにしても似合わねえな。なんだ、その格好。なんだか爽やかっつーか、なんつーか。その可愛いエプロンはなんなんだよ。お前みたいな日陰者が、向日葵の絵って」
俺が客に絡まれていると思ったのか、奥から店長のサクジが飛び出してきた。
「お客様、たいへん申し訳ございません。うちの新人が、なにか不手際を........」
サクジはペコペコ太田に頭を下げ、俺にも同じことを強要するように背中を押してきた。
「café Sun Flower」は2号店を出し、サクジはその2号店の店長に就任した。そして、俺は新人ウエイターとして、この2号店に雇ってもらった。
廃刊になって、すぐのことだ。俺が、藤原景子のところで、隠れてスマホで転職サイト見ながらアイスミントティーを飲んでいると、藤原景子に、
「うちで働きませんか?2号店出すんです」
と言われた。何故俺が職探ししていることがバレたのか、と思ったが、彼らにはなんでも筒抜けだ。俺は有難く働くことにさせてもらった。
「いやいや、違うよ。こいつは知り合いだよ」
そう言う太田に、サクジは、申し訳ありません、と、またペコペコ頭を下げた。
太田は喋り過ぎて喉が渇いたのか、目の前のグラスを一気に飲み干した。
「なんだこれ。すげえ、美味いな」
「あ、そちらは当店自慢の人気ドリンク、アイスミントティーでございます」
何度も何度も練習して、太田が相手だというのに、反射的に紹介してしまった。俺の1オクターブ上がったマニュアル的な接客に、太田は腹を抱えて笑った。
「なかなか板に付いてきてるな」
「まあ、もう1ヶ月働かせてもらってますからね」
あれから1ヶ月経っているんだと実感した。記者をやめてすぐの頃は、コンビニの雑誌コーナーが気になったり、ちょっとした有名人を見ると何かあるのではと尾行したくなる衝動があった。それも最近は無くなった。
仕事を覚えることで必死だ。40も半ばにくると、身体が気持ちについていかなくなっている。俺より後に入ってきた大学生のアルバイトの方が、飲み込みが早い。俺は負けじとムキになるが、最近はムキにならず素直に受け止めることを覚えた。
ここでは、あいつよりいい記事を書こう、なんていう気負いなど必要ない。お客様に心地よいサービスをすることが最重要事項なのだ。
入った頃は、サクジに怒鳴られる度、ホームレス上がりが偉そうに、と反感を抱いていたが、彼の仕事ぶりを見て、頭が上がらなくなった。大袈裟ではなく、今はサクジのことを尊敬している。そして彼の言うことは素直に聞けるようになった。
自分の老いと、ジャーナリストという隔離された世界しか知らなかった世間知らずを認め、現実を素直に受け止められるようになった。
俺は、イチから出直し始めたばかりなのだ。
毎日が新しい、この状況にも慣れてきた。仕事は、まだ覚えなければならないことだらけで、決して楽ではない。むしろ大変なことの方が多い。その大変さが、心地いいのだ。
辛く落ち込むこともある。しかし、それでも平気でいられるのは、家に帰れば、妻と娘がいるからだ。その当たり前のことが今まではなかったのだ。
最近知ったのは、娘がピーマンが食べられないことだった。そんな娘の嫌いな食べ物すら知らないで過ごしていたのだ。今まで蔑ろにして、家族の中にできてしまった溝は、決して小さくはないだろう。今後は、それを少しずつ埋めていくのだ。どれだけの年月が必要かわからないが、その溝は1ヶ月前よりは小さくなっているはずだ。
こんなことを考えている自分におどろいている。ここまで自分が変われるとは思ってもみなかった。もしかしたら、あの小柳津大地たちが、オモチャの爆弾で監禁紛いのことをしたのは、俺に対する『執行』だったのかもしれない。それを依頼したのは、妻と娘だったりしたら。
太田はランチメニューを平らげ、アイスミントティーをお代わりし、満足顔で帰っていった。帰り際、太田が、
「まだ戻りたくなったら、いつでも戻って来い」
と言ったが、俺が愛想笑いで曖昧な返事を返したので、
「2度と戻って来るなよ」
と俺の肩を小突いてきた。
俺とサクジは、太田を表までお見送りした。
昨日までは雨が続いていたが、今日は晴れ上がり、アスファルトが吸った雨が蒸発して、蒸し暑い。天気予報では今日が梅雨明けらしい。
明日からは幸い、晴れが続くらしい。明日から2日間、店長サクジの計らいで、土日に連休をいただいた。こういうサービス業では、土日祝の休みは取れないものだと思っていたが、サクジは新人なのにと遠慮する俺に無理やり連休を取らせた。
(家族サービスしろ。店長命令だ。俺はホームレスになる直前、家族に捨てられた。俺も昔、お前さんみたいな感じだったんだよ。景子ちゃんのお陰なんだけど、こんなにちゃんと働けるようになって、この姿を家族に見せたいって思っても、見せれないんだよ。だから、お前さんは、ちゃんと家族サービスをしなさい)
サクジはそう言って自嘲気味に笑った。
俺はそのサクジの計らいに甘えて、家族で1泊することに決めた。サプライズで自分で決めようとしたが、家族旅行というのは、はたしてどこへ行ったらいいものかと見当もつかなかった。俺が取材で泊まるのは、大抵カプセルホテルが安いビジネスホテルだ。家族旅行の行き先が思い当たらず、インターネットで調べ方すらわからない。
サプライズを断念し、単刀直入に娘にどこへ行きたいか聞いた。すると、某有名テーマパークを指定された。俺は、それすら思いつかなかったのだ。
俺が太田のテーブルを片付けようと店内に戻ろうとすると、サクジが肩を叩いた。
「お前、もう上がっていいぞ」
時計を見ると、まだ午後の3時半だった。明日の準備もあるからと早番をいただいていたが、うちのシフトでは早番は6時までだ。まだ2時間半もある。
「いいから、早く帰ってやれ」
サクジは、ぶっきら棒を装い、そう言ってくれた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
俺は、イチからやり直している。
そして、素直になれた。
そしてもう1つ、新たなことにチャレンジしてみた。それには妻も娘も驚いていた。
俺は妻と娘を連れて、堀内明子が働く浅野夫妻の店を訪れた。ペットサロンだ。
「あ、韮沢さん」
小柳津大地は何事もなかったように俺たちを迎えた。堀内明子も、浅野夫妻も奥から出てきた。
そして、娘が抱えていた犬を見て、3人とも驚いた。
堀内明子が、嬉しそうな顔で、娘が抱えていたまだ、小さいポメラニアンを撫でた。
「この子のお名前は?」
堀内明子が、娘の目の高さに合わせて屈んだ。
「この子、メスで『ミント』っていうの」
3人は顔を見合わせ、堀内明子が俺に微笑んだ。
「今日の夜から、家族旅行に出掛けようと思いまして。ホテルがペットがダメなので預かってもらえますか?」
「ペットホテルの方、空室あるから大丈夫ですよ」
そう言って浅野真一はファイルを出し、カウンターに置いた。住所、名前、電話番号、ペットの名前と種類などを、妻が書き込んでいった。
「韮沢さん、動物苦手じゃなかったですか」
小柳津大地は、からかうように言った。
「娘が犬を飼いたがっていたもんですから。まあ、小さいうちからなら、慣れるかなと思って」
ピーマンが嫌いなことも最近知ったし、娘はずっと前から犬を飼いたがっていたが、俺が動物嫌いなので我慢していたという。そんなことも知らなかった。
娘は、旅行は連れて行くだことの、犬を買ってやるだことの、父親の急な変化に戸惑っていたが、俺に気を遣ってか、旅行に行けるならペットは我慢できると言い出した。
家族の溝を埋めるのに少々焦ってしまった俺は、娘の願いを全部叶えてやろうと必死だった。その娘の願いを叶えることが、妻への罪滅ぼしのような気がしてならなかった。
あまりにも、俺が食い下がらないので、妻も娘も若干引いていた。
娘は、旅行の時にはペットを連れて行けないから飼うのは無理だと、ペットを留守番させるのは可哀想だと、我慢する理由までつけて遠慮していた。俺の知らない間にそこまで成長していたのだ。
(大丈夫。パパの知っているところで、ペットを預かってくれるホテルがあるから心配するな)
俺は少々焦り過ぎていることも感じながら、旅行もセッティングし、ペットも買った。娘もやはり、まだ子供で、それは素直に喜んでくれた。妻は最初、気味悪がっていたが、娘の喜ぶ姿を見て、一先ず飲み込んでくれたようだ。
俺はネットでホテルを予約した直後、妻と娘を連れてペットショップに向かった。小さい犬や猫なら大丈夫だと思ったが、ショーケースに入れられているとはいえ、何十匹もの犬や猫の鳴き声に俺は鳥肌が立った。
それでも勇気を振り絞り店内に入ると、1つのショーケースの前で足が止まった。それがポメラニアンだった。
俺は動物が苦手なくせに、「これだ」と決めた。妻は「もっと見てからにしましょう」と言うが、娘は「アタシも、この子がいい」と言い、妻には悪いが2対1で、即決した。
妻は半ば呆れた表情をしていた。
たが、喜ぶ娘に「よかったね」と言い、俺に向かって「ありがとう」と言ってくれた。
俺からしてみれば罪滅ぼしの、まだほんの序章に過ぎない。
「はい、これ、あげる」
小柳津大地は娘に何かを渡していた。
それは、彼と初めて話をしたロイヤルホストで、俺の前に置かれた犬のマスコットだった。
そのマスコットは、よく見るとポメラニアンだった。
スラッグアウト ジャーナリスト オノダ 竜太朗 @ryuryu0718
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