第19話 奈々子エスケープ

 目を覚ますと其処は知らない天井………所か、始めに見えたそれはまさしく土?地面?だった。

 酷くけだるい身体をゆっくりと起こす。

 此処は一体何処なのだろう?

 自分が知らない未知の域に居るにも係わらず奈々子は少しも慌てること無く周囲を観察していた。


「洞窟?」


 周囲を見渡し鑑みたところどうやら此処は洞窟の様な所に居るらしい。

 らしい、と言うのも奈々子は何故自分がこんな場所に居るのか分らなかったからだ。

 有り体に言えば――――記憶が無い。

 その一言に尽きる。

 記憶が無いと言っても何もかも全ての記憶が無い訳では無い。

 『何故此処に居るのか』その記憶が無いのである。

 何となく思い出せるのは、友人の亜子とハイキングに来ていた所までだ。

 それ以外の事は割と思い出せる。

 例えば、自分が山崎奈々子という人間と言う事、日本人と言う事、24歳で彼氏もいない事、仕事は歯科助手、飼っている犬の名前はモモ、犬種はビーグル。

 だけど何故此処に居るかを思い出そうとすると軽い頭痛を覚え記憶に靄が掛かった様に思い出せない。

 そう言えば亜子は何処に行ったのだろうか?

 そんな疑問が浮かんだが、奈々子が思ったのは取り敢えず一度家に帰ろう、そう言った単純な思いだった。


 洞窟内は奈々子が立っても楽に通れるほどの大きさがあり幅も人が3人並んでもつっかえない程度の広さがあった。

 以前旅行先で鍾乳洞の中を歩いた事があったがとても肌寒く決して人が寝れたりするような場所では無かった。

 鍾乳洞のそれとは違う感じで、洞窟内はほんのり暖かくしかも何故かほんのり明るい。

 壁自体が発光している様な、何とも言えない幻想的な光景だった。

 しかも不思議と地面は平らで歩きやすかった。


 奈々子が居た場所は洞窟のどん詰まりで、奈々子に出来る事はその反対方向へと歩いて行く事だけだった。

 幸い壁が発光してくれているのと一本道だったのでここまで何も考えずに割と順調に歩いて来れた。

 ゆっくりと周囲を観察しながら5分程歩いただろうか。

 奈々子の目の前には十字路らしき物がある。

 洞窟内での初めての大きな変化である。

 奈々子は何故か、ごくりと緊張に喉を鳴らしながらゆっくりと十字路の左右を確認する。

 左側の通路には何か良く分らない巨大な繭の様な物があった。

 繭の表面には血管の様な物が浮き上がっておりかなりグロテスクに見える。

 繭に対して何とも言えない恐怖を覚えた奈々子だったがそれも直ぐに頭から飛んでいく。

 と言うのも、繭のあった反対側、右側には薄気味悪い色の肌をした子供程の背丈の人型の生き物が全裸の女性に覆い被さっていた。


 「―――ひぅっ」


 思わず声を上げそうになりながらも寸で耐え、通路に出た頭をさっと引っ込める。


「何アレ…」


 ばくばくと激しく鼓動をならす自分の心臓の音が今にも漏れ出てしまいそうな、そんな気になってしまう。

 一度深呼吸してから奈々子はもう一度右側の通路をのぞき見る。

 其処にはくすんだ緑色の肌をした全裸の人の形をした何かが、横たわる女性の股ぐらに夢中で腰を打ち付けていた。

 激しく打ち付けているのだろう。

 そこから奈々子までは少し離れているにも拘わらずパチンパチンとリズミカルな音が聞こえてくる。

 そのリズミカルな音の間にねちゃりねちゃりといった水音も混ざっているのが奈々子には恐ろしく思えた。

 頭部の方にはもう一匹の人型が女性の頭部に跨がり一心不乱に腰を振っている。

 女性の身体はビクリビクリと時折小刻みに痙攣している様に見える。

 一体何時からこの惨劇は続いているのだろう。

 

「ギギギッ!――――ギフー…」


 頭部に跨がっていた方が気の抜けた声を上げる。

 満足したのか、立ち上がりどこかへと歩いて行く。


「―――――ッ」


 奈々子は思わず声を上げそうになった自分の口を咄嗟に両手で押さえた。

 横たわっている全裸の女性は、まぎれもなく自分とハイキングに来た亜子だったのだから。

 地面に横たわる亜子は口の端から想像したくもない液体をだらしなくこぼし、体中の至る所にアザがあった。

 目は完全に白目を剥き、とうに意識が無い様に見える。

 髪は乱れているが金色に染め上げた綺麗な金髪は間違いなく亜子の物だろう。

 

「ギッギギー」


 意味のあるのか無いのか分らない鳴き声のような声を上げ薄汚い人型が亜子の顔に跨がる。

 そしてもぞもぞと動いたなと思うと腰を振り始めた。

 嬉しそうに、かくかくかくかくと腰を振るのだ。


 その様子に奈々子は涙が溢れてきた。

 一体何の涙なのか。

 目の前で友人が人ならざる何かに蹂躙されているからなのだろうか?

 それとも恐怖からなのだろうか?

 はたまた何も出来ない自分の無力さびなのだろうか?

 ただ分る事が一つだけある。

 

 ここに居てはいけない。

 逃げなければ。

 奈々子は人型が凌辱に夢中になっている内にその場を後にした。

 そっと通路を進み、ある程度いった所から一気に走った。

 

 頭の中には先程の亜子の姿が浮かぶ。


 それを振り払うかの様に走った。


 案外洞窟自体は距離が無かったのか視界の先に出口とおぼしき光が見えた。

 幸い通路内で何とも遭遇せず奈々子はそのまま外に出れた。


「はぁはぁはぁ、やった―――」


 外に出たという安心からとか奈々子は一度足を止めた。

 両膝に手を置き乱れた息を整える。

 そして顔を上げた先には日本特有の松や杉の乱立した森が広がっていた。

 生い茂る葉のせいで森の中は薄暗い。

 差し込まれてくる陽の光が弱い。

 その様子から今は夕方、若しくは朝方なのだろうかと奈々子は推測する。 


 ドシャ―――


 背後で不意音がする。

 その音にびくりとしながらも奈々子そっと音の方に振り返る。

 其処にはどこからか落ちたのであろう繭があった。

 割れてはいるがさっき洞窟の中で観た繭とそっくりだ。

 ただ、洞窟内で観た繭より数段大きい。

 割れた繭からはどろりとした液体が流れ出ている。

 その液体は赤く、奈々子にはまるで血の様に見えた。

 

 ぴちゃり。


 ぴちゅぴちゃ。


 繭の中から液体を舐める取るような小さな音が聞こえてくる。

 そして割れた繭の影から一本の腕がのそりと出て来た。

 その腕は殆ど肉も付いて折らず今にも折れてしまいそうなほど細かった。

 只異様なのが、恐ろしいほどにとがった爪とその肌の色。

 灰色がかったような緑がかったような何とも言えない色。

 ねっとりとした液体を纏いながらもう一本の腕が繭に掛かる。

 そしてぶるぶると震えながら身体を起こしてくる腕の持ち主。

 顔も勿論何とも言えない汚い緑色をしていた。

 その瞳はまるでルビーの様に真っ赤で口は頬まで裂けており耳は上向きに尖っている。

 およそ人とは程遠い容姿をしていた。


「―――鬼」


 奈々子は子供の頃祖母から聴いた鬼の話しを思い出した。

 頭に角は無いがその容姿は祖母から聞いた鬼そのものだった。

 鬼は奈々子が其処にいるのにお構いなしに、繭に囓りついた。


「アグアグ、ギギ」


 そして旨そうに繭を喰った。

 ただ繭を囓りながらも、じっとその視線はこっちを見ている。

 奈々子にはそれが次はお前の番だと言われているようで慌てて森の中へと走り出す。

 少し走った所で奈々子は心配になり、一度立ち止まり振り返ると鬼はまだ繭を囓っているみたいだった。

 良かった、なんとか逃げれそうだ。

 奈々子がそう思った時、どしゃりと何かがおちた様な音がする。

 そっと奈々子は音の方に顔を向ける。


 其処には割れた繭が落ちていた。


 ―――――ドシャッ


 また繭が落ちる音がする。

 奈々子は顔を上げた。

 其処には松や杉といった日本特有の木々が乱立している。

 そして其処には本来あってはならない物がつり下がっていた。

 繭。

 グロテスクな繭がどくんどくんと脈動しながら木々に吊り下がっているのだ。

 奈々子の視界に入る木々全てにそれがぶら下がっている。


「ひ、ひぃ」


 ―――――ドシャッ


 ―――――ドシャッ

 

 ―――――ドシャッ


 繭の落ちる音がする。

 奈々子は何が何だか分らなくなり兎に角走った。

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