第10話 夕紙素子という女

 AM10:22

 それは唐突の訪問だった。


「はぁ~」


 朝から、いや昨日の夜から私は憂鬱と戦っていた。

 本日昼には私一人で警察署に行って司法解剖に立ち会わなければいけない。

 どうすれば良いのかも分からないし、そもそも人体解剖に立ち会うなんて正気の沙汰じゃないでしょ。

 きっと今日を境に大好物の焼き肉も食べられなくなるに違いない。

 こんなのパワハラですよ。

 パ・ワ・ハ・ラ。

 何なんですか、アサヒさんは。

 可愛い顔してるくせに。

 酷すぎます。

 あの人のせいで私今日トラウマ刻まれます。

 こうなったらいっそどこか然るべき所に抗議の意見書を提出して、業務の改善提案を行おう。

 そう思っていた。

 ホントについさっきまで。


 そんな憂鬱すら私の脳内から吹っ飛ばす出来事。

 それは事務員の山本さんからの内線だった。


「あ、もしもし夕紙です」

「あー夕紙さん。なんか後藤愛子って方が夕紙さんを訪ねて来られているんですけど――――」

「――――へ?」

「いや、だから後藤愛子さんが夕紙さん訪ねてきて今受付でまっちょるよ~」

「すすすす、すぐ行きます!」


 私の知る人間で、後藤愛子と名乗る人は一人しか知らない。

 その方は『勇者組合』発足当時の時からいた伝説のサポーター。

 その指揮力は凄まじく、柳沢ゴブリンハザードや道鵜町ワイバーンラッシュという未曾有のME事件を解決に導いたと言われている。

 そして勇者組合解体後、特区管理局を発足した張本人。

 そう、何より現特区管理局のトップオブトップ。

 後藤愛子長官その人で有ろうと推測される。

 なんでこんな所に。

 私は慌ててジャケットを羽織り受付まで駆けていく。


「おおお、お待たせして申し訳ありません。後藤長官」


 そう言い敬礼のポーズを取る。


「あら、良いのよ。そんな畏まらなくても。それよりあの子から聞いてるわ。今日は私がサポートするから宜しくね」


 あの子・・・と言うのはもしかして浅日さんの事なのだろうか?

 長官とは仲いいとか言ってたけど本当だったんだ。

 今日の立会、確かについてきて貰えば助かる。

 だけど―――

 

「あの!」


 緊張のあまりか、つい大きな声が出てしまった。


「何?私じゃ不満?」

「いえ、そう、ではなくて・・・ですね。長官もご存じだとは思いますが、今この地区で――――」


 そう、今アサヒさんが溢れそうなゴブリンにたった一人で対応をしていると言う情報が、後藤長官到着のほんの少し前にこのツルギ支部にオペレーター経由で入って来ていた。


「ええ、分かっているわよ。溢れそうになっているのよね?それに対する対応は既に手を打っているわ。それに既にあの子が50匹ほど駆除しているみたいだし、そうそう直ぐに溢れやしないわよ。それより、私たちが今出来る事は―――あなたのサポート行い、今回のME被害の原因の一端を突き止める事。良いわね?」

 

 捲し立てるように喋る後藤長官。

 その中に聞き捨てならない言葉があった。


「あ、あの――――50匹ほど駆除、といいますと?」


 勿論ゴキブリでは・・・無いですよね?


「ええ、あの子。宗一がゴブリンを50匹ほど駆除したらしいわよ。そしてそのまま現在調査続行中」

「ゴ、ゴブリン50匹って言ったら準災害クラスの案件じゃないですか!それを浅日さん一人で・・・・」

「宗一は数少ないファーストエイジの生き残りよ。普通のゴブリン程度じゃ何匹居ようと相手にもならないわよ」

「ファーストエイジって・・・アサヒさん一体何歳なんですか?」


 そう言いながら私は、童顔の青年の顔を想い浮かべる。

 思い浮かんだのは昨夜の丹雷軒での一コマ。

 辛い物が大好きだと言う彼は、ピリ辛雷ラーメンの辛さマシマシを注文し食べていた。

 はふはふと言いながら美味しそうに食べるアサヒさん。

 白い肌からは玉のような汗が流れ落ち、一心不乱にラーメンを啜っている姿はまるで少年の様だった。

 何だかその様子を可愛いなって思いながら私は見ていたのだけど。

 ファーストエイジって事は22年前のルナティックハザードで誕生した勇者―――BraveHeart、と言う事になる。

 その時アサヒさんの年齢が10代前半だったと仮定しても――――


「えっ、35歳~40歳!」


 どう見てもせめて20代前半。

 なんなら10代でも通りそうなほどの肌のきめ細やかさだったのを覚えている。


「……何に驚いてるのよ。そもそもサポートするBHのプロフィールぐらい事前に目を通しておきなさいよ。ちなみにあの子は32歳よ」


 後藤長官が生暖かい眼差しで私を見ていた。

 確かに正論である。

 だけど私は言いたい。


 この特区―――ツルギ地区は、特区と言っても良いのか疑問に思うほど異変が無い。

 私がサポーターとして就任してここ2年間でも何回かゴブリンが山奥で出た程度で脅威としては程度が低く、BHの方が来たとしても数ヶ月に一回、それも全部浅日さんしか来ないのだ。

 よって此処に配属されているのは私と事務でパートの山本さんのみ。

 約100㎡はあるこの社内をたった二人で過ごしているのだ。

 そして何もない日はひがら一日二人でお茶して過ごしている。

 お茶しながら給料を頂けて、一般企業の方々は貰えるかどうか既に危うい年金も、私たちは一応ちゃんと貰えると言う利点もある。

 何てスバラシイ職場だと思い真面目にお茶しながら勤務を続けてきた。

  定期で山の麓にあるME監視用の装置を確認して周り、山奥の調査はBHの方に受注して頂いている。

 一応自分も元BH候補生だったので調査程度なら出来ない事も無いのだが、「ME調査」はBH以上の者しか受注出来ないシステムになって居るので致し方ないのである。

 それがここ最近、本当に最近になって立て続けにゴブリンの目撃情報の様な物が上がってきていて少し業務も慌ただしくなった。

 だけど忙しかろうが暇だろうが我々事務の出来る事は少ない。

 オペレーターのように作戦行動中のBHと直接やり取りするわけでも無く、かといって浅日さんは我が儘言うわけでも無く。

 極めつけはこれだ。

 S.Z.A直轄管理地区のツルギ支店の社員構成。

 その内訳はS.Z.A社員が1名、パートが1名。

 勿論社員は自分自身。

 パートは山田さんだ。

 入社当初2週間のOJTを受けそして現在に至る。

 要するに上司すらいないのである。


 そんな私に正しい業務を行えと言っても無理がある。

 だから私は言いたい。

 ガツンと。

 そう、こう言うのが業務改革への第一歩になるのだ。

 私は口をへの字に結び、長官の方へ一歩、歩み寄る。


「それじゃ、出かけるわよ。行くんでしょ?警察」


 にっこり笑顔の後藤長官。

 ぎゅっと拳を握りしめる私。

 ――――ガツンと。

  

「あ、はい、それじゃ表に車回してきます長官。スイマセン、山本さん後お願いします。」


 言えない私。


「は~い。気を付けてね~」


 間延びした山本さんの返事を後に、私は憧れの後藤長官に促されツルギ警察署に出向くべく車を用意する。

 勿論ダッシュだ。

 

 業務改革案は、これから一人で警察署に赴き人体解剖に立ち合わなければならないという、憂鬱なストレスから私を解放させてくれた長官に免じて今回は見送ることにしよう。

 査定に響くのも嫌だし。

 何より長官の眼―――――鋭すぎる。

 

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