第12話 

 その後、みずなは家路についていた。出遅れたこともあって図書館が満席だったからだ。

 片道三十分ほどの道のりは、そろそろ自宅の傍だった。太い街道を二本も超えると、駅前の華やかな雰囲気はすっかりなくなって、落ち着いた雰囲気の家屋が増えてくる。みずなの住処は、そんな中に立つアパートだった。自動点灯する部屋の明かりは、大家の自慢の機能であるという。改築を機に奮発したという話だった。

 みずなはそれを気に入っていたが、青葉は、『そんなのこのクソ立地の前にはしょぼすぎるよ』首を振ったものだった。あんまり大学から遠すぎるという。『遠いと何が困るの?』と聞いたら、特大の溜息をつかれた覚えがある。

 帰り道はほとんど下り坂だった。それは裏を返せば、行きはずっと上り坂であることを意味する。これも青葉には不評だった。

『単純にさ、行き帰りで一時間かかるんだよ? 実家から通うよりは近いかもしんないけどさ』

 肩で息をしながら呟く青葉の横顔が脳裏に浮かんで、みずなは思わず笑っていた。

 青葉は体力が無い。そして朝がとても弱い。高校生の間は実家で、そして大学に入ってからはアパートで同居してみて分かったことだ。青葉は床に就く前に薬を飲むことがあった。それは睡眠薬だと聞いている。

 薬を飲めば深く眠れて目覚めがすっきりするものだと思っていたけれど、実際にはそうではなかった。みずなの一日は布団にしがみつく青葉を目覚めさせることから始まっていた。

 寝覚めの青葉は、たいていものすごく息苦しそうな顔をしている。そこにみずながのぞき込むと、ようやく笑顔を見せるような有様だ。

 青葉の『楽しい』は、少なくとも見える範囲ではみずなと共にある。昨日家に帰った時、青葉は涙を流していた。その意味は分からなくとも、『楽しい』ではないのだと言うことは分かる。

 それがなぜなのかは、長く一緒に過ごしてみても不明だ。通学のわずか三十分の間なんかで、答えが出るわけもない。

 かちゃり、とサムターンが軽快な音を立てる。

 部屋に滑り込むと、まだ青葉は帰っていなかった。

 着替えていると、唐突に携帯電話が鳴った。画面に表示されているのは番号だけだった。

「もしもし? どちら様ですか?」

 相手はゼミの同期だと名乗った。男だった。

「ごめん、次の月曜俺発表なんだけどちょっとキツくてさ。手伝ってくれないかな」

「え? どうして?」

「いや、思ったより試験勉強が重くて」

「じゃあ、試験勉強がなければできるんでしょ? 金曜日の放課後と土日があるよね。多分図書館は空いてるし集中してやれると思うよ。三日もあれば間に合うって」

 よどみなく言うと、電話口からはため息が返ってくる。

「……あのさぁ、それ本気で言ってる?」

「本気って何?」

「言ってること分からないかな、って言ってるの」

「分かるよ。ゼミの資料集めが間に合わないから、私に手伝って、って言ってる。でも、それは本来ルール違反だから、私は、金土日で頑張るっていう方法を提案してるんだよ。それとも、どうしてもできない理由があるの?」

「いや……、っていうか」

「じゃあ頑張れるよね。勉強は自分のためにするものだし、課題は成長の種だよ。先生は私たちの成長を期待して課題を出してるんだから。頑張ろう!」

 いくら待っても返事はなかった。画面を確認すると、電話は切れていた。

「納得してくれたね。頑張って」

 沈黙した携帯電話を充電器に差そうとして、みずなはふと思いついた。

 ――青葉ちゃんのケータイ、繋がらないかな。

 思いついたときには、アドレス帳から青葉の番号を呼び出していた。

 単調なコール音がみずなの耳を叩く。

 六回。七回。八回。

「……お留守番サービスに接続します。ピー、という発信音の後にメッセージを……」

 念のためもう一度かけてみても、結果は同じだった。

「ケータイは、生きてるんだ」

 ほっと溜息が漏れた。

 もし、携帯電話が壊れていたり、海の底に沈んでいたり、あるいは電源が切られていたりすれば、『おかけになった電話は……』という例のアナウンスが聞こえてくるはずだ。しかし、現状は、『繋がる状況にはあるが、誰も出ない』。すなわち、青葉の携帯電話は無事で、ひとまず電波圏内に存在することになる。

 つまり、探せば見つけられる場所にあるということだ。恐らくは、青葉の死体も一緒に。

 テレビを点けると、ちょうどニュースが終わったところだった。

 みずなはテレビを消して携帯電話に目を落とし、ニュースサイトにアクセスする。

 記事の流し見。

 死亡事故。殺人事件。あるいは行方不明者の発見。そういうニュースをみずなは探している。

 もっと正確に言えば、その犠牲者として、小日向青葉の名前が無いかを探している。

 なぜ――青葉がどのように死んだのか、知る必要があるからだ。

 それはどうして――一つは、身元を引き受けるため。法律は、死を手続として規定している。身元引受人のいない青葉の肉体を見送れるのは、忌を結んだみずなだけだ。

 しかし手続きは手続き。みずなはもっと個人的に、青葉の死へ関心を持っている。

 そこにはみずなの知らない青葉がいる。生命を失った、あるいは棄てて見せた親友が。

 なぜ。どうやって。

 それが分からないことで、みずなは自身にオコっているのだと女史は言った。

 彼女が語った定義に照らせば、みずなはオコっている。青葉の死を理解できない自分自身に対して。

 そして、それを教えてくれない青葉に対して。

 一言でもいい。青葉が語ってくれさえすれば、この状況は解決する。

 ――知りたい。青葉ちゃんが何を感じて、どう考えているのか。全部。

 昨晩はサイレンに遮られた決意を、胸に固める。それは即ち、青葉の「死」をすべて理解することだ。知らない不満を、イカリに変えて。

『自分本位な怒りは、相手を傷つける……』

 しかしゆかりの言葉が思い出されて、人差し指が下唇に向かっていた。

 つまり、今日青葉が帰ってきたときに詰め寄るのは、おそらく身勝手なイカリなのだ。イカリのベースは、みずなの心ではなく、客観的な事柄でなくてはならない。青葉の死因を、その向こうの真意を知るためには、物証による足がかりが必要だ。

 ――と、なると、何を知ればいい……?

 青葉との間に、不満を放置しておきたくはない。

 ――私は、オコってるんだ。

 感情を定義する。みずなは青葉にオコっている。状況の改善のために。

 ――このイカリを、どう伝えようか……。 

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