幻想白鯨<ゲンソウシロクジラ>

ジョーケン

第1話 幻想白鯨

 幻想白鯨


 目を開ける。視界一杯に青色が広がっていた。息苦しさは、地上よりはマシだった。

ただ潮の匂いを錯覚するほどに、私の目の前には海中世界が広がっていた。

 バーチャルリアリティを体験できるツールが庶民にも広がり、多くの人が現実世界とバーチャル世界を行き来するようになっていた。所謂VRと呼ばれる技術を利用してショッピングや恋愛、結婚、仕事までするようになっていた。企業の宣伝のために、バーチャルアバターを用意することが多くなっていった。

 最初の頃は、夢と希望を現実にできるモノ、だなんて騒がれていたらしい。現実世界に息苦しさを感じる人たちにとっては楽園だっただろう。窒息しそうだった人が、水を得た魚のように大成した人もいた。自分の世界を広げ、世界を広げていった。

 でも、その他大勢の一般人にとっては――ただ水槽の幅が数ミリ広がっただけだ。酸素の量は限られている。エサを喰わなければ死ぬ。生存競争に負けた魚は何時の時代も死ぬだけだ。

 その負け組の私だが、この度嫌気がさして死ぬことにした。

現実世界。朝は痴漢に始まり、部長のお茶くみが遅いこと、電話対応でミスったこと、飲み会強制参加、嫌いな先輩に吐瀉物吐かれるなど。

バーチャル世界。歌う事が好きな私だったけど、てんでダメ。動画も投稿したり、宣伝したりしてたけど結局人気が出るのはかわいい高ポリゴン数のアバターとエッチな衣装をまとったかわいい子だ。

世間の空気が私にはあってなかったのだろう。そう思うと少し気が楽になった。

最後に好きなバーチャル空間でのんびりしてから、明日会社の屋上から飛び降りてやろうと決意して、今に至る。


 これが走馬燈か、いや少し違うわ。なんて思いつつ海中世界を見渡す。

 今、誰もいない。元々人気のあまりない空間だった。見渡す限りただ蒼い空間と下には砂が広がっているのみだ。小魚さえいない。あとは空を見上げれば満月があるのみ。

 ただそれだけの空間。でも、私はなぜか好きだった。ただ私だけがこの空間にぽつりと佇むだけ。

 ああ、このまま寝落ちて飲まず食わずで死ぬのもいいかも、など思っているとログインを示す反応が表示される。名前一覧には私「オーエル」に加えて「クジラ」が表示されていた。

 今は人と関わり合いたくない。少しだけむっとしつつ、目を閉じて海の中を漂う。

『あ、の。すいません』

 今時珍しいカタコトの電子音だった。気になって目を開けると、すぐ横に白い髪を目元、首元まで伸ばした中性的な青年がいた。これまた白い服とズボンで捉えどころがなく、表情に乏しい。ただ、みたところ結構なポリゴン数で肌や服の生地は綺麗だった。相当額かかっているに違いない。見た目に声をかけすぎて声にまで予算が回らなかったクチか?

 まぁ標準的なのっぺりとした女性アバターを使っている自分が言えた口じゃないか。

「なんですか」

 嫌味を多分に含ませて、返事をする。言外にどっか行ってくれと電波を放つ。

 ただクジラは機微に疎いのか小首をかしげて言葉を続ける。

『失礼、しました。今日はいい月ですね』

 ぎこちなく薄い笑みを浮かべてクジラは見上げる。面倒なやつに絡まれたと、溜息をしつつ同じく見上げる。

 月が浮かんでいる。ポツンとただ何もない海の中を照らしていた。マジマジみたことはなかったが、結構作り込んでいるようでクレーターも少し見られる。

「あなたここ初めてなの? いつもこんな感じの満月よ、ここ」

『ええ。いつも、いい月です』

 まるでAIとおしゃべりしているようだと、チグハグな印象を受けて少し笑いがこぼれた。

「あなたAIとか?」

『いえ、違います。けれど人間とも違います』

「なにそれ。じゃあ、なんだっていうの」

 もって回った言い方をクジラはする。せっかく1人静かに死のうと思ったのに、これでは妙にもやもやして死にきれない。そんな私に、あくまでクジラは微笑んで電子音で話す。

『ボクは、クジラです。ナカマ外れにされて、色々なトコロを旅して、ここにきました』

 相変わらず要領を得ない会話だ。妙に詩的で、そこがまたおかしい。

いつもなら茶化して笑って、心の中では「なにそれダサ」と吐き捨てるところだ。でも、なぜかそうは思えなかった。だから言葉を続ける。

もう呼吸することすらも鬱陶しいはずが、なぜだか言葉が出た。

「ふぅん。あなたも大変だったのね」

「はい。オーエルさんも、そうですか? クジラ仲間、ですか?」

「勝手に魚類にカテゴライズするな。ま、でも似たようなもんね。窒息する前に綺麗なモノを覚えておきたくて。仕事に歌に、疲れちゃってさ」

『歌、ですか。ボクも歌えるようになりたいです』

「ならまず電子音をマシなのに変えてもらったら?」

 クジラはわかっているのか、わからないのか、ただ頷いている。

「……しかし綺麗なアバターね。てか結構金かかってるんじゃないのソレ。……もしかして、企業の新人枠だったり? シロクジラ系電波美青年的な?」

「えーと……ごめんなさい、うまく言葉にできない。ただ多くの人に受け入れてもらえるようにって、作ったらしいです」

 まぁ男か女か区別もつきづらいし、服も白一色であれば文句も出にくいだろう。

 ふぅんと、相槌を打って再び静かになった。二人の人間もどきが海に浮かぶ。

 しばらくしてクジラは少しうつらうつらとし始めた。時間はもう夜の2時を回っていた。

「すいません。ボク、ねむいので。また今度です、オーエルさん。歌聞きたいです」

「……ま、考えておくわ。私にはもう今度なんてないから、あなたはしっかりね」

 また、といいかけてせめて励ましの言葉をかける。

 ここでまた明日も頑張ろう、と思い直しても、やっぱりつらい日々が続くだけだろう。

 だからせめてイイ言葉をかけて、イイ奴で終わりたい。汚い空気を吸ってきたけど、最後くらいは、きれいな言葉で終わりたい。

 シロクジラはそれでも「また今度」と繰り返す。

『今度は、オフ会とかいうのがしたいです』

「あんた意外と俗物ね」

 そうしてクジラは泡となって消えて行った。現実へ帰ったのだろう。

彼がどこに住んでてどんな生活をしているか分からない。でも、せめて彼のこれからの水槽は生きやすいようにと思って眠った。



 翌日は昼過ぎに起きた。携帯電話には着信がこれでもかと溜まっていた。

鬱陶しいつながりをゴミ箱に捨てて、立ち上がる。

 着替えとシャワーもそこそこに家を出る。最寄り駅から会社への電車に乗る。

電車に揺られながら昨日のことを思い出す。不思議なクジラの青年。もう少し話したかったのが正直なところだった。

 ふと電車の外を見ると水族館が目に留まった。そういえば、小さい頃行ったきりだったなと、少し寄り道することにした。

理由は、たぶん昨日のことを引きずっているから。

 あれが幻想じゃなくて、現実に起こったことでありますようにと願ったから。



 久しぶりの水族館だが平日だったためか人影は少ない。ただのんびりと魚たちがおよいでいた。裏では水族館の職員たちが必死に働いているのだろう。ご苦労様だ。いちゃつくカップルを横目に、1人OLはぼんやりと水槽を眺めていく。

 すると一つの大きな水槽に行きついた。

 色々な魚がひしめいている大きな水槽。色とりどりの魚が泳いでいる。説明パネルが備え付けられており、色々な魚の名前が書いてあった。

その中に、一匹「名前募集中」と書かれたオスのクジラがいた。仲間外れにされたクジラらしく、この水族館で引き取られて飼育中らしい。賢いクジラらしく、人の言葉をよく理解しているようだ。

どこかで聞いた話だなと説明を読んでいると大きな魚影が上から差した。

そのまま見上げると、一匹の大きな白い鯨がいた。クジラは優雅に、のびのびと水槽を泳いでいる。こちらを見て、大きく尾ひれを動かして近寄ってくる。優しそうな目だった。

 備え付けられた説明パネルから電子音が響く。

『知能が高い彼は現在動物と人のコミュニケーションの架け橋となるよう、現在バーチャル空間を通して言語訓練を行っております。皆様も彼とあった際にはぜひ、お話ししてみて下さいね』

 ぼうっと立ち尽くす。くつくつと笑いがこみあげてくる。

 他の客が不審がるくらいに息が詰まるほど、声を殺して笑って、泣いた。

 その間も彼はじっと私を見つめていた。

 涙を拭いて彼を見つめ返す。少し息がしやすくなった胸を抑えて、微笑む。

「また今度。クジラさん」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻想白鯨<ゲンソウシロクジラ> ジョーケン @jogatuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ