第3話「生命の水 with 少女」

「ん……あぁ、もう朝か」


 蝉の声が響く朝、公園のベンチで一ノ瀬は目を覚ました。無防備で夜を過ごしたにも関わらず誰にも襲われなかったことは、大した傷の見当たらない体が物語っていた。


(今日で四日目か、そろそろ何か凄い展開が起きそうなもんだけどな。てか起きてもらわないと困る)


 路頭に迷うとは正にこのことだろう、と一ノ瀬は思う。


(世の中の記憶失った人達はどうしてんだろうな、『記憶喪失マニュアル』とか出版されてないもんかね。超少数の需要しかないんだろうけど)


 軽く現実逃避に近い妄想を繰り広げながら、どうしようもなく公園を見渡す一ノ瀬の目にあるものが映った。

 それは直方体の石に、銀色の蛇口が取り付けられたものだった。


(あれって確か水出るよな……水出るよな!?)


 公園に置いてあり、石に取り付けられているということはよく分からなかったが、蛇口の記憶は残っていたらしい。記憶を失う前の一ノ瀬はあまり公園に来なかったのだろうか。


 断食四日目の一ノ瀬は一目散に蛇口へと向かい、取っ手をひねる。


(頼む……頼むぞ……ッ!!)


 目を見開き鼻息を荒らげる一ノ瀬の視線に応えるように、蛇口が反応を示した。



 銀色の口から、ジョボボボ!!!と激しい音を立てて水が流れ出した。


「っっしゃああ!!きたきたきたァァ!!!」


 一ノ瀬は叫んだ。公園で叫んだ。周りにそこそこ人もいたのに。


 流石に恥ずかしくなり、蛇口の高さに口を合わせるように、小さくかがみ込んで水を飲む。


(生まれて初めての水!!うめえ!!!)


 

 ──清々しい顔の一ノ瀬が公園を出たのは五分後のことだった。



「水ってうまいんだな、生きてて良かった」


 貴重な初体験を終えた一ノ瀬は、行く宛もなく歩いていた。

 真横の道路には絶えず様々な自動車が行き来している。彼らが一体どこへ行くのかなど、一ノ瀬には知る由もなかった。


(ふぅ、一気に回復した。でもまた変なのに追っかけられたらもう無理だな)


 それもそのはず、回復したとはいえ、四日間何も口にしていないのだ。激しい運動はしないに越したことはない。


(こういう時に『バイト』とか『仕事』って単語は頭に出てくるんだが、あれって確か高校生以上じゃないと出来ないよな。俺ってそもそも学生なのかね)


 財布でも持っていれば、中にある学生証を見て即解決するような話なのだろうが、財布など持っていたらとっくにどこかでパンでも貪っているだろう。



「あ、これ無理じゃね?絶対また変なのに追いかけられてお陀仏コース確定じゃん」


「てか記憶喪失とかハードすぎるんだよ、第一何したら記憶なんてぶっ飛ぶんだよ」


「さてはお前、黙って思考できないタイプか」


「あー辛い、水だけであと何日生き……え?」


 軽く自暴自棄寸前になっていた一ノ瀬の独り言に、何かが混ざった。


「誰だ、今の……?」


 恐る恐る振り返った一ノ瀬の前には、一人の少女がいた。

 十五〜十七くらいの、これまた昨日の二人組くらいの歳の少女だ。

 肩の少し上まで切られた短い髪。グレーのシャツにシンプルな上着を羽織り、シュッとした黒のズボンを履いているその姿は、『可愛い』という言葉とはかけ離れており、『綺麗』といった方が良いだろう。


「やあ、『天災』」


 一七五センチの一ノ瀬の肩ほどの背丈の少女はポケットに両手を突っ込んだままそう言った。


(『天災』?なんだそれ?てかこいつ知り合いか?)


 どうやら『天災』という言葉は記憶から消えてしまっているようだ。一ノ瀬は目の前に突然現れた少女にやや警戒して訊ねる。


「えーっと、初めまして、だよな?」


 クールな少女はその顔に似合わないきょとんとした顔をした。


「あ、ああ。多分そのはずだが」


 初対面で自分に関わってくる人間、その状況に一ノ瀬は嫌な何かを感じた。きっとそれは経験から来るものだろう。


「となると、お前は誰だ?」


 少女はニヤリと笑いこう言った。



「なんてことない、ただの魔導師さ」

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漆黒の月影 夏雨 @DAYBREAK_RAIN

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