第2話「失ったもの ~cluster amaryllis〜」

「はぁ……はぁ……」


 どういう訳か突如として現れた光に救われた一ノ瀬は、二キロほど走った先の公園のベンチで身体を休めていた。

 どこか身を隠せるところがあれば良かったのだが、住宅街ということもあり、やむを得ずベンチに寝転がっている。

 先ほどよりも一層深まった夜の闇では、虫達の小さな鳴き声が聞こえるだけだった。


「訳わかんねえ、この前のあいつらといい、一体何者なんだ?」


 『あいつら』とは、二日ほど前に一ノ瀬を狙いにきた謎の男達だ。彼らは先ほどのように怪しげな黒ローブなどは着ておらず(白パーカー女はまた別だが)どこかの学生服を着た三人組だった。

 そしてまた、彼らも同じように謎の力を使っていた。


「共通点は……変な力を使う事と、二人以上ってことくらいか。これじゃ情報が少なすぎるなぁ」


 謎の追跡者の記憶を振り返り、何か手掛かりを探していると。



「こんな所で何をしているんだ?」


 背筋が凍った。

 慌ててベンチから転がり落ち、勢い良く立ち上がって臨戦態勢を取る。


(クソ、もう逃げる体力はねえ。よし……かかってこい。さっきの二人組か?それともまた別の追跡者か?)


 覚悟を決め、声の主を睨みつける。


 だが、


 そこにいたのは杖をつき、大きく腰の曲がった老人だった。


「おお、脅かして悪かったのう」


 老人はそう言うと、かっかっかと笑った。


(うおおよかった〜〜!焦らせんなよもう!)


 バクバクと大きく動く心臓を押さえつけ、口を開く。


「い、いや大丈夫ですよ。ははは」


「それで、何をしていんだい?もう夜も遅いが」

 

 警戒を解いた一ノ瀬は、言葉を選び返答する。


「ちょっとランニングをしてまして、ここで休憩してたんですよ」


 老人は、ほぉ、と関心したような声を出し


「そうかそうか、時間も時間だし、気を付けてな!」


 そう言って手を振るとどこかへ行った。


(危なかった、家がありませんなんて言ったらどうなることか)


 一ノ瀬時雨には家がない。いや、厳密には、どこかにあるはずなのだが場所が分からない。



 

 それもつい三日前、突然この街で目を覚ましたばかりなのだ。


 自分の名前や自販機の使い方、などといった最低限の知識は脳の中に入っているのだが、自分が生まれた場所や好きだったものなど、そういった記憶が一切消えていた。

 

(しかし三日経ってもまだ何も分かんねえな、自分のこと聞ける相手も分かんねえし。あの変な奴らも実は知り合いだったりすんのかね)


 目が覚めると自分が誰なのかすらも分からない状態。それが三日も続いているにも関わらず、一ノ瀬は冷静だった。

 小さく溜め息をこぼした一ノ瀬は、ベンチに座り直してぼんやりと夜空の星を眺めていると

 

 ぐぅ


 と、クールにキメていた男の腹からなんとも滑稽な音が響いた。

 

「……腹、減ったな」


 それもそのはず、一ノ瀬は目が覚めてからまだ何も口にしていない。食べ物はおろか、一滴の水さえも。

 買い物の仕方は分かるのだが、肝心の金を一切持っていないのでは仕方ない。

 金に限らず、服以外は何も持っていないのだが。


(なんでこいつ何も持たずに記憶無くしてんだよ、自分だけどムカつくな)


 何があったのかは分からないが、記憶を失った体の自我からしてみれば確かにたまったものではない。


(とりあえず明日はどうにかしてなんか食おう、流石にそろそろ死んじまう)


 一ノ瀬は先ほどの魔物を連想させる唸り声を上げる腹を抱え、空腹を紛らわせるように眠りについた。

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