第4話 現れたもの

「……おり、潮里しおり

「さめ、夕雨ゆうさめ


 同じ声が違う名前を呼んでいる。その声に導かれるように、潮里と夕雨は意識を取り戻した。

 二人は並ぶようにして影の世界の地面に仰向けで倒れていた。

 二人が最初に見たのは、影の世界の空高くに浮かぶ冥界めいかいの光と、心配そうに二人を見ているワタリたちだった。


「ワタリ……?」


 自らのワタリに触れながら、潮里は言葉をかけた。

 見る限り、ワタリたちの体は少し傷ついているようだが、存在に関わるほどではなさそうだ。その体はしっかりと存在している。


 二人は自らの体を確認した。夕雨も潮里も影食かげくいの攻撃で、魂にある程度ダメージを受けたものの、二人の体はかすんだりはしていない。どうやら消えずに済んだらしい。

 どこかぼんやりしたまま、二人はゆっくりと起き上がった。周りを見渡す。


 現世を見ると、そこは住宅街の中にある小さな公園のようだった。

 住宅街のずっと先に、山が小さく見えた。大きいマンションに半分隠れているものの、間違いなくその山は二人がいた場所だった。


 つまり二人は、あの場所から今いるこの場所まで転移してきたらしい。

 現世の空を見ると、太陽の位置は先ほどと比べてもあまり変わっていない。時間はさほどたっていないのだろう。

 二人が戦いのことを思い返し、それから最後に見た人影のことを思い出した時、


「――気がついたか」


 二人の背後から低い男の声がした。

 二人は、同時に振り返った。

 そこに立っていたのは、黒いローブに身を包んだ死神。今この場に姿を現したようにも見える。

 右手には彼の背丈ほどの鎌を持っている。鈍い光を放つ銀色の鎌は、見る者に冷たい印象を与える。その姿はまさしく死神だった。


「……お前が、助けてくれたのだな?」


 夕雨は確認するように、そう尋ねた。

 死神が、影浪かげろうに手を貸すことはあまりないことだったからだ。


「影浪を一度に二人も失うのは、我々にとっても痛手だからな。あの場所から引き離しただけのことだ。……これほどの距離をとれば、あの影食いに気づかれることもないだろう」


 山の方角に目を向けながら、死神は答えた。相変わらず、その顔には何の変化も生まれない。


「ということは、倒してはいないのですね」

「当たり前だ。君たちと違い、我々にはそのような力はない。無謀なことに手を出すものか」

「……ですよね」


 潮里は残念そうな顔でうなずいた。

 そんな潮里をじっと見つめてから、潮里のワタリは死神に頭を向けた。心なしか、その目は不安げに揺れている。


「ところで、死神様。一つ、わかっていただきたいことがあります」

「何だろうか」

「潮里と夕雨様は、偶然出会ったところを影食いに襲われただけです。故意に、あなた方との盟約を破ったわけではありません」


 潮里のワタリは同意を求めるように、夕雨のワタリに視線を向けた。夕雨のワタリもうなずくと、言葉を引き継ぐ。


「はい、その通りです。現に、二人が近況を話し、すぐに別れようとしたところであの影食いが現れたのです。……どうか、ご容赦を」


 二羽のワタリが頭を下げた。それを見て、潮里も頭を下げた。遅れて夕雨が続く。


「…………」


 死神は、そんな影浪たちの様子を黙って眺めた。ちらりと鎌に目を向けると、答えを示すかのようにその手から鎌を消した。鎌は一瞬で消え、何の跡も残さなかった。


「私は君たちを監視している。君たちが語った程度のことは、理解しているつもりだ。それに今回は二人でいたからこそ、誰も消えずに済んだとも言える」


 先ほど夕雨が、死神は忙しいから常に見ているわけがないと言ったが、どうやらそうでもなかったらしい。夕雨のワタリは内心でため息をついた。


「では……許してくれるのじゃな?」

「そうなる」


 死神は短く答えると、二人に近づいた。


「……そんなことよりも、だ」


 彼は声を強めた。


「見つけてしまったからには、あれほどに巨大な影食いは倒さねばならない。影の世界に与える影響も、現世に及ぼす影響も強いからな。――だが」


 問いかけるような視線を、死神は影浪たちに投げかけた。二人にも二羽にも、何を言うつもりなのか予想がついていた。


「もう一度あの影食いと相まみえたとして、君たちは勝てるのか」


 その質問に、誰もすぐに答えることはできなかった。

 先ほどの影食いの巨大さ、俊敏さ、そして攻撃の苛烈さ――


 影浪たちの脳裏に先ほどの戦いが浮かぶ。二人で戦っても手厳しかった。死神がいなければ、二人が今頃この世界から消滅していたのは間違いないだろう。

 もう一度戦うと考えただけで、潮里の体は震えた。

 ワタリたちは、自らのあるじである影浪を心配そうに見るだけで、何も言わない。

 影浪が消えればワタリも消える。怖いという点では、ワタリたちも変わらないのだ。


 そんな中でただ一人、夕雨は眼光を強めた。右手を握りしめる。


「……勝てぬかもしれぬ。だがやるしかないのであろ? ……それが、我らの存在理由じゃ」


 答えた夕雨に、死神は冷徹な視線を向けた。夕雨の眼はまっすぐに彼の視線を受け止めてみせ、そらすようなことはしない。


「……存在のために戦うのか。そうして負けて消えるのか。本末転倒だな」

「それは……!」


 言い返そうと、体を前に出した夕雨を潮里は手で制した。夕雨のワタリが、心配そうに夕雨に近づいてくる。


「そうだな、確かにやらなければわからないのだろう。結末は。……だが、君たちには悪いが、あの調子では負けるのは目に見えている」


 それは、その場にいる全員がわかっていることだった。死神は、まっすぐに事実だけを述べていく。


「かといって放置すれば、先ほど言ったように、現世にも影響がある程度生まれるだろう。……そこで、私にできることは一つだけだ」


 死神は、二人に手を向けた。


「――生と死を司り、魂を見守る我らの名において、影浪との間に一時的な盟約を立てる。今より、例の影食いを倒すために、この世界この国の範囲内にいる影浪が共に行動することを許可する」


 死神の声は力強く辺りに響き、影浪たちは驚いたような目で彼を見つめた。


「……よろしいのですか?」

「早急に、対象を消滅させたいからな。許そう」

「わかりました。ところで今ここに煙羽えんうさんはいません。どうやって、お伝えすれば……?」


 潮里は首をかしげながら、死神に尋ねた。彼は常のごとく、すぐには答えようとしない。

 死神は目を閉じると「そろそろだな」とつぶやいた。目を開けて、ちらりと後ろに目をやった。


 その動きを追っているうちに、夕雨と潮里にもが感じ取れるようになってきた。

 二人は顔を見合わせると、嬉しそうな顔を浮かべた。二人の足元でも、二羽のワタリが頭を寄せ合っている。


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