第3話 ギリギリの戦い
その夕雨に向かって、影食いは右腕を大きく振りかぶった。大きな体にしては意外なことに、かなり速い攻撃だった。
夕雨は、自らの攻撃が間に合わないことを感じとり攻撃を諦め、その手をギリギリのところで身をひねってよけた。
影食いは夕雨を襲う一方で、
着地した夕雨が影食いを鋭い目でにらんだ。先ほどよりも両者の間には距離が開いてしまっている。
どうやら、そう簡単には行きそうにない相手のようだ。
「弾が……きますよっ」
夕雨のワタリの声が響く。瞬間、二人に向かって影食いの体から、黒い弾がいくつも降りかかってきた。
夕雨は意識を集中させる。短刀の刀身から赤い光がすっと伸びた。
光が伸び刀身が長くなったように見える短刀で、夕雨は降ってくる弾をはじいた。潮里は後ろに下がりながら、白い日傘を開き身を守る。
攻撃が
思った通り、影食いの右腕が再び勢いよく夕雨に向かう。
だが、夕雨も何も考えずに突っ込んでいるわけではない。潮里はもちろん、そのことを心得ていた。
潮里は、体の前で傘を開いた。
「生成、
彼女の言葉に合わせるように、傘から緑色の光が伸びる。その光は、夕雨と夕雨に向かう影食いの腕の間に達すると、円状に光を展開した。
バアンっと、鈍い音が響く。
円状に展開した光は、固い物質状の壁となって、夕雨を影食いの攻撃から守っていた。衝撃で緑色の壁から、ちらちらと光が舞う。
夕雨は、音が途絶える前に壁から飛び出すと、壁にぶつかったままの影食いの腕に一太刀浴びせた。
影食いの右腕から、黒いもやが噴き出す。影食いの本体も後ずさりし始める。ダメージが入ったようだ。
「どうじゃ」
夕雨は着地すると、誇らしげな顔をした。目の前の影食いの動きが停止する。
潮里は、傘をたたみながら様子を伺う。
動かなくなったとはいえ、影食いの体が消えることはない。まだ、終わっていないのではないか――
そんな予感が、潮里の頭に浮かんだ時、
「ダメです! 気を付け――」
潮里のワタリの声が聞こえ、そして途中で消えた。
二人が上を見ると、ワタリたちに影食いの右腕から生まれた弾が飛んでいるのが見えた。スピードが速く、ワタリたちは避けるのでせいいっぱいのようだった。
影食いの本体にも変化が起こる。体が再び動き始めたかと思うと、影食いは両腕を横に伸ばし、そのまま回し始めた。
普通の人間の腕ならそんなことをしても何も起きないだろう。だが、巨大な腕の回転はその場に強い風を作り出した。
影食いを中心に、吹きすさぶような猛烈な風が舞いあがっていく。
まず、はじめにワタリたちが飛ばされ、次に、地面に踏みとどまっていた二人もバランスを崩した。
「きゃあっ!」
「うおおっ!」
二人は地面を転がり、しばらくしてから止まった。風自体が止まったからだ。
影食いは腕を止めると、傍らに落ちているワタリたちは無視して、まっすぐに
両腕で体を支えながら影食いが動く度に、地面に振動が伝わる。右腕をかばっているようにも見えるが、まだ動かすことはできるようだ。
向かってくる振動を感じながら、二人は立ち上がった。
夕雨は消えてしまった短刀の光をもう一度立ち上がらせた。潮里も傘を構えなおすと、夕雨の近くに来た。
「……来ます……!」
その手がわずかに震える。ワタリたちのことを気にする余裕さえもない。それほどにこの影食いは強力だ。それが今では、身に染みてわかっていた。
二人に近づいてくるたびに、その黒い姿は速度を増していく。そして、両腕を地面に強く打ちつけたかと思うと、その勢いのまま跳び上がり、二人に襲いかかった。
二本の巨大な腕が、同時に振り下ろされる。
潮里は考える前に動くと、夕雨の前に立った。開いたままの傘を突きだす。
「
傘の先端から、一際強い緑色の光がほとばしる。
二人の前で大きく波打ちながら、光は円状になり段々と固い物質に変わっていく。二人の前に、大きな壁が生まれる。
そう経たないうちに、ズドンッッと大きな音が影の世界に響いた。
両腕の攻撃を、壁はどうにか受け止めてみせた。ミシミシと音が、パチパチと火花が、拳と壁の間から生まれている。
壁の横から打って出ようと思い、夕方は
夕雨が理由を聞く前に、壁に新たな衝撃が飛来した。小さな衝撃が連鎖していく。
影食いの体から生まれる弾が、絶え間なく壁に降り注いでいるのだった。
弾が壁に当たるたびに、壁から小さな粒子が飛び、壁の強度を奪っていくのがわかる。
壁から出れば、あの弾に襲われるのが目に見えている。一方で、このまま弾を受け続ければ壁は持たなくなるだろう。それならば。
「…………」
夕雨は、静かに短刀を構えた。
「集想、集想……」
夕雨がつぶやくたびに、刀身の光が強くなっていく。燃え上がる炎のような色みを帯びていく。
それは、イチかバチかの行動だった。
潮里は夕雨を見ると、自らも傘を構えた。意識を集中させ、傘の先端に光を満たしていく。
二人は壁が壊れる瞬間に、最大限の攻撃を仕掛けることにしたのだ。二人の目の前で壁に亀裂が入りはじめ、そして――
「はあああっ!」
壁が壊れたと同時に、夕雨は長く伸びた短刀を一閃した。壁を突き破った黒い弾が、その攻撃で吹き飛んでいく。
その先にある影食いの体に向かって、夕雨は短刀をもう一度振るった。同時に、潮里も傘から閃光を放つ。
赤と緑色の光が、影食いの体に向かっていく。
凄まじい音と光が二人を包んだ。二人の目の前が、強い光で塗りつぶされる。
必死に目を凝らす二人の前で、その光が真ん中から徐々に割れだした。それを完全に見届ける前に、二人に向かって凄まじい速度で何かが迫った。
「いやあああっ!」
「ああああっ!」
何かに強く突き飛ばされ、二人の体が宙を舞った。地面に、二人が強くたたきつけられる。
さすがに、今度はすぐに立ち上がることができない。夕雨が顔だけを何とか上げる。
その先、光が完全に消えた場所で、立っているのは、巨大な影食いだった。
両腕からは黒い塵が舞い、傷ついているのがわかるが影食いは確かにまだ存在している。
「なぜ、じゃ……?」
先ほど、二人が攻撃を加えたのは影食いの体のはずだ。それなのに、影食いは両腕を怪我している。
衝撃でぼんやりしている頭を夕雨は動かし、そして思い当たった。
おそらく、体に向けられた攻撃を両腕で防いだのだ。
「くぅ……まさか、そのような……」
つぶやく夕雨の横で、潮里もようやく頭を上げた。
二人が見つめる先で、影食いの両腕から黒い弾がいくつも解き放たれた。
今までと違い、一つ一つの弾が集まることで一つの大きな塊になっていく。それは二人の体より、ずっと大きいものだった。
二人は立とうとしたが、力が入らない。二人の想器は遠くに飛ばされており、あの攻撃を防ぐすべはない。
塊の発射を防ごうとどこからか二人のワタリが飛んできたが、すぐに影食いの左腕で吹き飛ばされた。どうやら、左腕はまだ動くようだ。
飛ばされたワタリたちは、影浪たちのそばに落ちてきた。
潮里はそんな二羽に手を伸ばした。抱え込むようにして、体の下に二羽を隠す。
再び潮里が目を向けると、大きい塊が発射されるところだった。
潮里も夕雨も、それを見るしかない。まっすぐにそれは飛んでくる。
これまでと見てきたように、ここで自らの存在は終わるのだと二人は思った。
「さよなら……」
潮里が力なくつぶやいた時だった。
突然、二人の目の前に黒い人型が現れた。あまりにも一瞬のことで、二人には幻か何かのようにも思えた。影食いのようにも見えたが、その背では青い髪が揺れている。
その人物は二人に背を向けたまま、手に持っていた鎌の刃を地面に突き立てた。
次の瞬間、白い光が辺りに満ちた。その光で夕雨と潮里には何も見えなくなり、やがて二人は気を失った。
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