第6話 これからも

 笑実えみは「翔希しょうき、君」と口の中で繰り返した。


「いい名前、だね」

「あんたもな」


 煙羽えんうは答えながら、引き金に手をかけた。


「じゃあな、笑実」


 目を閉じ笑みを浮かべる顔に向かって、彼は銃を撃った。解き放つために。

 音もなく発射された銃弾は笑実の手前で弾け、周囲に白い光と青い光を満たした。


「……煙のごとき曇りの日に、生まれた我は思う」


 煙羽は、銃口を上に向けて銃を構えた。


「かの魂の想いの浄化を、来世における救いを」


 笑実を包む光が、徐々に強くなっていく。そのたびに彼女の体はかすんでいく。


めいへの道は俺が導く。……来世では、その笑顔でいれるように」


 煙羽は笑実の頭上に向けて、銃を撃った。

 その弾から発せられた光と笑実の周囲の光が合わさり、天に向かって伸びていく。

 影の世界に光が伸び、その先の冥界にたどり着いていく。


「煙羽の名において」


 煙羽は前に向かって、両手を伸ばした。


「――葬送」


 そう言った瞬間、笑実から一際強い白い光が発せられた。

 その光は天に向かい、七色に光り始める。笑実の姿は段々かすんでいき、その体もまた、七色の光になって消えていく。

 七色の光の中で消える寸前に、笑実の口が小さく動いた。煙羽はしっかりと口の動きを見、彼女の言葉を受け取った。

 その言葉を残して彼女は天に消えていった。影の世界から、冥界にへと昇っていく。

 煙羽は、その光が冥界にたどり着くまでを見届けた。


 その光が消えた後も、煙羽はしばらく空を見つめていた。

 彼は上を見ながら、屋上を囲む壁に触れた。何の感触も返ってはこない。その横にある木箱にワタリが止まる。


「……お疲れ様でした」


 煙羽はワタリに目を向けた。暮れかけた日が、その横顔を照らしている。


「『ありがとう』か。……これで、よかったんだよな」

「……このままこの世にいても、彼女の未練が解けることは無に等しい確率でした。葬送することが、最良だったかと」


 煙羽は、手の中の想器そうきを見つめた。


「あのままこの世にいれば、彼女はいずれ自分が何者なのかも忘れ、たださまよう魂になっていたでしょう。彼女が、彼女であるうちに、彼女の意志を聞いたうえで、送ることができたのですから」

「……よかったってことになるの、か」


 煙羽は、目を細めた。それは、けっして日がまぶしいためではなかった。


「俺にはわかんねえ。どうすれば、幽魂ゆうこんにとって最良なのか。一歩、間違えれば俺も幽魂と変わらない。俺だって、人を恨んで襲う幽魂になる可能性があったんだ。……だからさ」

「…………」

「俺はできるだけ救ってやりたいとは思ってる。どんな魂も、無理やりにじゃなくて想いを聞いて。ちゃんと、そいつらと向き合って、そいつらの想うように送りたい」


(……きっとそれは、俺自身と向き合うことにもなるはずだ)


 そこで考えるように言葉を切った。ワタリは黙って、次の言葉を待つ。煙羽は手から銃を消すと、右手を強く握りしめた。


「俺には、そのための想いも力もまだ足りない。まだまだ、あの二人に比べたら迷うことが多いと思う。……俺は、まだ、自分の想いに心から自信が持てているわけじゃないから」


 その顔に、小さな笑みが広がる。


「――だから、これからも頼む。……ワタリ、さっきは助かった」

「は……」


 ワタリは名前を呼ばれて驚き、羽をばたつかせた。煙羽がワタリの名を呼んだのは、初めてのことだった。

 ワタリは、しばらく煙羽を見ていたが、


「はい、煙羽」


 やがて、しっかりとそう答えた。

 煙羽はそんなワタリをちらっと見ると、何も言わずに、出口に向かってすたすたと歩き始めた。

 その時には、その顔から笑みが消えていた。


「あ、あの、置いていく気ですかっ?」


 ワタリは慌てたように、煙羽の背を追い飛んだ。煙羽がドアを閉めきる前に、その黒い体を隙間に滑り込ませた。

 ドアはカチャリと音を立てて閉まった。屋上に、弱い風が吹き下ろす。


 そこには、もう、誰も残されてはいなかった。




 そんな誰もいない屋上に、音もなく降り立つ者が一人いた。身にまとった黒衣が風にはためいている。

 彼は青い髪をたなびせながら、閉まったドアを見つめた。それから、屋上の壁に近づくと木箱からその壁の上に渡った。


 下を覗くと、煙羽とそのそばを低く飛ぶワタリが路地に見えた。死神の優秀な視力が、二人の口が動いているのをとらえる。

 何か、言い合っている。


「相変わらずだな」


 死神はそうつぶやくと、天を仰いだ。死神も、現世から冥界を覗くことができる。とりあえず、今日のところは影浪の数に変化はなかったということになる。

 そんなことを考えながら、死神はしばらくその場にたたずみ冥界を見つめていた。




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