第4話 秘めた想い
そうして歩き、細い道を抜けた先に開けた場所が広がっていた。
晴れていれば十分に日が差し込む場所だろう。多種多様な野草が生え、地面を彩っている。
彼女たちの他には誰もいない。ただただ、静寂がその場所には満ちていた。
道の出口から、その広場を
「おっ、確かにあるな。池」
広場の隅にその池はあった。
周りには囲いがされ、人が中に入らないようにされている。その囲いは金属製で、「昔は木製だったけどな」と
人があまり来ないとはいえ、最低限の整備は行われているようだ。
池の水は残念ながら綺麗とは言えない。濁っていて、池の底までは近づかないと見えそうになかった。
夕雨は囲いに近づくと、池をぼんやりと眺めた。
「なあ、沙希」
その唇が、小さく動いた。
「お前、どうして、絵の話になるとそんな顔するんじゃ」
唐突な言葉に沙希は一瞬、何を言われているのか分からなくなった。
「そんなって?」
「自分でも本当はわかってるであろ。寂しそうな顔のことじゃ」
夕雨は上をちらっと見やりながら、言葉を紡いだ。
「我が声をかけたのはな、お前が悲しそうな顔で、絵を描いているように見えたからじゃ。それでいて、つらいのなら描かなくてもいいであろうに、お前の顔は絵を描きたいとも言っているようにも見えた」
「…………」
「なぜじゃ?」
夕雨は体ごと振り返ると、沙希を見つめた。
なぜ。
その問いが沙希の中に響いて、染みこんでいった。彼女は顔に気持ちが出ていたと知って、隠そうとしても隠しきれないものなのだなと感じた。
「――ねえ、夕雨。そういえばあなたって、何年生なの? 私と同じ中学生だよね」
「ん……、多分、お前と同じじゃ」
「じゃあ三年か。あなたは、高校行くの?」
「コウコウ? ……ああ、高校か。まあ、そこらへんに適当に行くぞ」
なぜかつっかえながら、夕雨は答えた。
「そっか、じゃあ夕雨の家の人はそこまで進学にうるさくないんだ?」
「そうなる、かの」
夕雨はうなずいて、それから気づいたように、
「そうか……。沙希は違うんじゃな」
そう声を発した。
沙希は寂しげな笑みを浮かべると、夕雨から顔をそらした。
「……いつからかな。絵を描いてもあまり褒められなくなって、見せても反応してくれなくなって」
「……」
「代わりに、勉強はどうしたの、宿題はしてるのって言われるようになった。美術の評価が五でも褒めないのに、国語とかで五をとると、褒めてくれるの。何が違うんだろ。そう思わない?」
広場に、ひゅっと音をたてて風が吹いた。
一度語り始めた口は、止まろうとはしない。家族ではないからこそ言える本心だった。
「小さい時から、絵を描く仕事に就きたかった。だから、美術系高校か美術部の活動が活発なところに入りたいと思ったけど……。そんな態度とられると、ダメだよって言われてる気がして」
ここ数週間、沙希がずっと胸の内にためていたことを彼女は吐き出していく。不思議と、夕雨には言いやすかった。
「お母さんが、進学校って言われてる高校のパンフをいくつか見せてきた時に、ああ、本当にダメなんだなって思った」
机の上に並べられていた、パンフレットの一つ一つが沙希の脳裏に浮かんだ。
沙希の手の中で、クリアファイルが風に揺られて動いた。
「今年から塾にも行って、習い事も休んで、勉強しよう。そう約束した時に、私は、もう二度と、絵を描かないでおこうって決めた。もう、夢なんて忘れようって。大学も普通の大学に行こうって」
「…………」
「なのに、なんでかな?」
そう問いかける声は、かすれていた。
「いつも、鉛筆とスケッチブックだけはカバンに入れてた。重いのに。今日だって気づいたら、公園に来てた。絵を描いてた。もう、ダメだって決めたのに……!」
「それは、お前が諦めきれてないからではないか?」
夕雨は静かに問いかけた。
「お前が、まだその夢を諦めきれてないから、では?」
「わかってる……わかってるよ。でも、どうしようもないっ」
沙希が強く首を振った拍子に、彼女の肩からカバンがずれ落ちた。
そのカバンの重さに引きずられるように、彼女は地面に膝をついた。スカートが汚れるのも気にしていないようだった。
「もう、どうしようも、ないよ……!」
沙希がそう声を漏らした時、彼女の手からクリアファイルが離れた。
そして中身の絵が、地面に飛び出した。
夕雨は、その絵が白い光をまとっていることに気づいた。
沙希には見えない魂の光。その光は徐々に強くなりはじめると、空に向かって光を立ち上らせていく。
「な、何……!」
その光を視界の隅でとらえて、沙希は驚いて声を上げた。
その時には、沙希にも
沙希には、何が起こっているのかわからなかった。太陽が出てきたのかと思ったが、空は相変わらず曇っている。
「え、なにこれ! 夢……!?」
その
絵から立ち上る光が徐々に集まり始め、細長い形を作り始める。光を中心に風が吹きあがっていく。
その光を、夕雨は静かなまなざしで見つめた。その顔にはみじんの驚きもない。
「ゆ、夕雨、逃げなきゃっ」
とっさに沙希は、夕雨に向かって叫んだ。
夕雨はその声には答えずに、光に向かって足を数歩進めた。沙希が、十分に光から距離をとったことを確認するとゆっくりと足を止める。
細長く集まった光は、まるで人の形のようにも見えた。頭と胴体のようなパーツが見てとれる。
風で飛ばされたのか、光の下に沙希の絵は見当たらない。
「諦めきれてないんじゃ、お前は。その想いが、幽魂を呼んだのだから」
光が舞いあげる風に逆らうように、空からワタリが勢いよく飛んでくる。ワタリは飛びながら、夕雨に向かって告げた。
「まもなく、実体化が完了しますよっ」
沙希にはカアカアとしか聞こえない声は、夕雨には確かに言葉として届いた。
「わかった。――はじめるぞ」
夕雨は、右手を横に向かって伸ばした。
「ちょっと、夕雨逃げて――」
何が起こっているのか理解できていない沙希は、ただ叫んだ。その横に守るかのようにワタリが着地する。
「逃げはせんぞ。これは我ら、
そう言い切ると、夕雨はにこっと笑った。それから表情を引き締めると叫んだ。
「
夕雨の伸ばした手から白い光が発生し、それは徐々に赤みを帯びていく。その手に短刀が現れるのと、
「いやあああっ!!」
閃光のような白い光が、辺りに満ちたのはほぼ同時だった。沙希は声を上げながら、反射的に目を閉じた。
それは、幽魂の実体化が完了したあかしだった。
実体化した幽魂は、普通の人よりも一回り大きい体を持っている。
幽魂はそのまま、沙希に向かって襲い掛かろうと彼女に向かって動き出す。
眩しさのあまり、目を閉じている沙希は気づかない。
白い人型が、沙希に覆いかぶさろうとする――
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